巫女と神獣
睡とお艶が、巫女たちの居住する宮まで戻ってきた。
広い敷地を有する高天原神宮では、開けた場所が沢山ある。
そこで、神獣の子犬と駆け回っていた小さな巫女が一人、睡の元へやってきた。
少し離れたところでは、お付きの侍女が控えている。
「睡さま! 頂いたお団子、もちもちで美味しかったよ。ごちそうさまでした」
「あら、そう? 私のおかげで、貴方の頬が、うんとモチモチになるわね。気をつけなさい、お団子ぐらいになったら……」
「なったら?」
幼い巫女が、期待に目を輝かせて聞いた。
「もちろん」
一歩踏み出した睡が、ゆっくりと腕を広げ
「食べてしまうの!」
「きゃー」
うわーっと口を開けて襲い掛かる真似をすると、巫女と子犬は大喜びで駆けだした。
あちらこちらを駆けまわる一人と一匹を、睡が追いかけまわしていると、大げさな咳払いが聞こえた。
「ここは、神域。遊びまわる場所ではありませんよ」
やってきた一団の先頭に立つ侍女が、睡に鋭い視線を送った。幼い巫女は現れた一団に震え上がり、己の侍女の背に隠れた。
「いーじゃない、部屋の中で走り回っているわけでもあるまいし。ここら辺は居住地だもの。庭よ、庭」
睡が反論すると、廊下から数人の侍女たちが微かに聞こえる声で、「騒ぎといえば、鴨の巫女ですわ」「お暇ですからね」などと口にしている。
「おやめなさい」
「お栄様」
侍女が頭を下げると、押しのけるように女が歩み出た。
幾重にも重ねた煌びやかな着物が、塵ひとつない廊下を引きずられている。
「睡さまは、まだ里が恋しい幼き巫女たちの世話を買って出てくれているのです。決して暇で遊んでいるわけではありません。それに、三年に一度帰ってくるだけの私たちが、常駐している睡さまに神宮の過ごし方など、どうして言えましょうか」
顔も、存在も強い威圧感を醸し出す彼女も、巫女である。
美しい白い駿馬を神獣に持つ巫女だ。彼女の登場と共に、籠がやってきた。
「ご出立ですか、お栄様」
金をあしらった豪勢な駕籠に目をむきながら、睡が問うた。
「ええ」
「道中お気をつけて」
お栄が輿入れをしたのは、陸奥。
ここからは遥か東北にある。
神獣の馬で行けば早いであろうが、普通の馬より遥かに大きく足が速い分、もう彼女には乗りこなすことができない。
噂によると、戦場では彼女ではなく武将が騎乗し、彼女は城からも出ないらしい。
他の巫女は戦場で実際に神獣に指揮することはなくとも、離れた陣営に待機することが多い。
しかし、睡は彼女らしいと納得したものだ。
昔から籠りがちで、幼き頃には、土に触れることも嫌がった。
思い起こせば、彼女が六つの時分、神宮にやってきて以来、睡は幾度となく遊びや畑仕事に誘ったが、付いてきたの一度だけ。
その時、ネギの子鴨たちに囲まれ、泣いて逃げ出し、水田に落ちて以来、とても嫌われていた。
申し訳ないことをしたと謝罪に向かっても「巫女は神宮に居て、清くないといけない。睡さまは間違っておいでです!穢れが移りますゆえ、近づかないでください」と取り付く島もなかった。
そっと部屋の前に置いた、おやつだけは皿から消えていた。
「睡さまも、お体にお気をつけてお過ごしください。鴨では戦いどころが鬼に食事を与えるも同然。ずっと此処にいらっしゃるのがお似合いです。それに睡さまは、この高天原神宮のかなめ。睡さまが、次世代の巫女たちにおつくりになった米やら麦やらを与え、腹から神域を守っているのです……ふふふ……おかげでこの地は安泰です、ほほほ」
お栄は、我慢できずに、高らかに笑い出した。
睡は、まつ毛を高速で羽ばたかせ、無の表情で一緒に、ほほほと笑った。
「では、わたくしは、これで」
お栄の着物の裾を、侍女が四人がかりで持ち上げ、お栄と共に駕籠に押し込めた。
「……相変わらずですね」
お栄の一団が見えなくなって、お艶が声をかけた。
「元気そうね」
睡は、うんうん、と頷いた。
「あのね、睡さま」
「ん? どうしたの?」
離れたところで待っていた幼い巫女が、遠慮がちに睡の千早をひっぱった。
「さっきの、お栄さま。私が睡さまのお団子貰って、ほかの巫女たちと食べようとしたときにね、そんなものより、もっと良い、高価な菓子と変えてあげますよって言いに来たの。嫌な感じだったの」
口を尖らせた巫女に、睡がクスクス笑った。
「あら、それなら、じゃあ、そちらも頂きますって言って、両方食べればよかったのに」
「え、あっ……そっか」
「それで、他の子たちはどこいったの?」
普段より、人気のない宮に首をかしげた。
「大きな子たちは、御大名様たちと、おはなしだって」
「あー、そうだったわね」
「睡さまは、選ばないの?」
悪意のない言葉が、一番深く胸に刺さる。
睡は、うっと胸を押さえた。
「巫女様、殿方様の方にも選ぶ権利があるんですよ」
「お艶……」
神獣持ちの巫女は、権力者たちの妻にと望まれ、話がまとまれば輿入れとなる。
強く立派な神獣を有する巫女ほど、数多の国から望まれた。
巫女たちは、その中から一番良い条件を選ぶのが常だった。
主に、財政的に豊かであること。
鬼の生息地がないこと、もしくは、大きな脅威がないことが望まれた。
「睡さまが、いっとう綺麗で面白いのに。ネギも可愛いし」
「なんて可愛いの」
睡が、幼い巫女を、ぎゅうぎゅうに抱きしめて回った。
巫女は嬉しそうに声を上げて、侍女たちも微笑んでいた。