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鴨の巫女と、雪の軍神  作者: いんげん
旅立ち編
2/57

高天原神宮杯



お艶の発言に時を止めていた男たちが、気を取り戻した。


「なんと……」

「あの鴨が神獣……たしかに見たこともない大きさだ」

「それがし、馬や狼、牛以外の神獣は聞いたことがありませんでした。あれで鬼と、どう戦うのだ?」


ざわざわ

人々の衣擦れの音や、つぶやく声が聞こえ、睡は虹に手を合わせたままうつむいた。


目も、口も、ぎゅっと引き結ばれたまま、顔が赤面していく。


「どなた様も、この橋を渡ること、罷りなりません!」

 

お艶が歌舞(かぶ)いている。

主君の首を守る武将さながらの声は、より一層、睡の体を縮こませた。


「……いいわよ、さっさと後ろを通ってよ」

 

 睡の囁きは、誰の耳にも届かなかった。


「神獣様の産卵が滞りなく――」


お艶の言葉が終わらないうちに、


「承知しました」


男が答えた。


凛とした響きは、睡の心臓まで届いた。

決して怒鳴っているわけではない、なのに不思議と、その場を静まらせた。


思わず、ちらりと声の方をみると、男と目が合い、睡は吃驚して袖で顔を隠し背を向けた。

睡の長いまつ毛が、何度も瞬いている。


「神獣様の産卵に、虹、なんとも縁起が良い」

 

男の語り口は、快く調子がよい。

皆の視線が、意識が、男へと注がれている。


「本当ですな、御館様」

 

はっはは、と男たちの陽気な声が響いた。


睡は、このまま待たれるのも気づまりだと思い、意を決して男たちに振り返った。


多くの家臣たちの中心に立つ男、名を永尾景之(ながお かげゆき)という。


争いの絶えない越後(えちご)を統一し、越後守護職についた、軍神と呼ばれる男だ。


今は甲冑ではなく、神域に入る者の規則で、黒い袍をまとった束帯姿だ。

同じく黒の冠をかぶっている。


普段は戦場を駆ける兵たちも、今日ばかりは刀を外し、窮屈な衣に袖を通した。

さながら平安貴族のように雅に……とは、なっていない。


景之と側近以外は、さまになっていなかった。


「……どちらさま?」


目を見張り時を止め、睡に見入っていた景之が、睡の問いかけに、ゆっくりと呼吸し微笑んだ。 


彼は、凛々しく鋭い印象を与える顔立ちだが、表情や仕草を巧みに変化させ意のままに印象を操作している。


「永尾景之と申します。鴨の巫女様」


呆けたように景之を眺めていた睡は、鴨の、と言われ、ふわふわと舞い上がっていた気分が一気に冷めた。


いつも影で、かわれるように言われていた。


神獣は普通の獣たちとは一線を画す体格と、身体能力を持ち、古来から鬼との戦いで活躍してきた。


そのため、神獣として人々に有難がられるのは、戦で役に立つ神獣だった。


「あら、そう永尾さん。聞いたことないわ」


幼き頃から馬鹿にされ続けた睡は、委縮し嘆き、静かに泣いたりすることは、無かった。

一切なかった。


つんっと顎を尖らせて、麗しい顔を、いたずらっ子のように微笑ませた。


「これは、失礼いたしました」


睡の機嫌を損なったと理解した景之は、深々と頭を下げた。


「越後の守護職を仰せつかっております。ここより東北の地、雪深い土地より参りました」

「雪! それは、ネギが埋まってしまうくらい降るのかしら」


ころりと表情を変え、興味津々な様子で一歩前に出た睡に、景之は目を見張った。


「葱ですか? そうですね。雪が深すぎて冬に農作物を育てることが叶いませんが」

「あー違うの、そうじゃなくて、その子の名前がネギなの」


橋の真ん中に坐するネギに、皆の視線が集まった。


「クアアア」


注目を集めたネギは、大きな翼を広げ、飛んだ。

あばよ、一瞬人々を振り返り高く、早く、虹に向かった。


「あっ……」


呆然と皆がネギを見送る中、睡は橋の中央に残された卵に気が付いた。


そう、まるで空にかかる虹のような形をした橋は丸みを帯びている。


ぐらぐら


ゆらゆら。


ころり


産み落とされた端の卵が倒れると


各卵一斉に走り出した!


【第一回、高天原神宮(たかまがはらじんぐう) 卵杯(タマゴダービー) 開催】


たまご達は、橋の下までどんな争いを見せるのか。


緩やかな曲線を下る道で、卵たちは加速!


ここで飛び出してきたのは、4番 少頭尖(チョットアタマトガリ)だ!

尖った頭が大きな円を描くように転がっている。


二番手は、5番 茹卵御免(ユデタマゴキャンセル)だ。

側面に草をまとい、お洒落に転がっていく。



なんと、ここで橋桁の溝だ!


試練の溝が、行く手を阻む。


横一線だ、11個の卵が横一線に並んだ!


ごろごろ

 

ごろ


ごとごとごと



「神獣様の御子が!」


お艶が叫ぶと、景之の家臣たちは、カニの歩みのように橋の下に広がり、卵を受け止めようと構えた。


屈強で厳つい男たちが、正装で滑稽な動きをしているのが楽しくて、睡は思わず声を上げて笑ってしまった。


「ふふ、あはは……頑張って、割れたら大変よ」


ネギの子供たちは、高天原神宮の端にある田畑で雇われた者たちと、農作業に励んでいる。

今年も、彼らのおかげで豊作だった。


「樋口殿、一番端を頼みましたぞ!」

「馬鹿なのかい、わしの腕は一本じゃ!無理、無理じゃ、大熊行け!」

「それがしこそ無理です!腹がでかすぎて、足元は見えぬ!」

「あはは」


1つ、2つと家臣たちが受け止めるさまを見ながら、睡も橋を下り始めた。

ネギの卵は固い、本当は少しくらいの衝撃で割れたりはしない。


1つの卵が、小石にぶつかり、コン、と跳ねて方向を変えたが、如才なく辛気臭い顔をした男に受け止められた。


まぁ、すごい。

見事な動きに目を奪われていると、睡がつまづいた。


「あっ」

「睡さま!……邪魔だ、この熊!」


主人の大事と、お艶が駆け寄ろうとすると、行く手には卵を天に掲げる、大男が横たわっていた。


「あー」


無様にも砂利の上に飛び込むこと止む無し。

睡は、緩やかに流れる絵巻物を見ている気分で、倒れることを覚悟した。


しかし、「失礼」と腕が差し出され、黒い衣に包まれた。


「お怪我はございませんか?」


捕まった腕に押し戻され、無事に着地した睡は呆然と相手を見上げた。


見上げた永尾景之の顔は、美しく精悍で、風格もあった。

意志の強さを感じさせる、上がった一文字の眉。眼光は鋭いのに、なぜか余裕と優しさを感じさせる瞳。

筋の通った高い鼻。

何よりも、彼の醸し出す、空気に支配されていた。


「睡さま! 手を放せ無礼者」

「……おつや」


景之の腕を叩き落としたお艶が、その背に睡を追いやった。


「ご無礼を」


すぐさま景之は膝をついた。家臣たちも両手に卵を抱きながら、それに倣った。


お艶が鼻息荒く彼らを見下ろして、なにやら口を開こうとしたのを感じ、睡が先手をうった。


「卵、拾ってくれてありがとう。1、2、3……あれ? 今日は11個ね」

「誰か、ひとつ隠しているのではないか⁉」


お艶が玉砂利を強く踏みしめながら、彼らの前を歩いた。

すると、死をも恐れぬ男たちが、姉に叱られる弟のように縮こまった。


その間も、景之の視線は睡に向かっていた。


「恐れながら、御卵は、11個でございました」

「っ⁉」


暗い顔の男が申し出ると、お艶が目を見張った。

また、怒り始めるかと危惧した睡は、お艶の腕をつかんだ。


「どっちでもいいの。すぐまた産むから。それも皆さんに差し上げます。三日三晩、懐にいれて温めれば、立派な真鴨が生まれます。ネギは子育てしないの」


睡の言葉を聞いた者どもは、手にした卵を不思議そうに眺め、恐る恐る着慣れない着物の懐を探った。


「田畑の虫を食べてくれるわ。越後には水田や湖はある?水辺が好きなの」

「沼地だらけでございます」


景之が答えたが、睡は視線を送らず、そっぽを向いた。普段より瞬きが多い。


「飢饉になったら、鴨、食べても大丈夫よ。(わざわい)は起きないから」

「食べる⁉」

「神獣様の御子を⁉」


皆が震えながら、懐の卵を守るように身を引いた。


「私、もう何羽食べたか覚えてないわ。羽もむしって布団にするの」


怯えた顔で睡を見上げる家臣たちに、睡はニヤリと微笑んだ。


「ご冗談です。しかし、市井の者が食べても問題ありませんでした」


悪女を演ずるところに水を差され、睡はお艶に恨めしい視線を送ってから、身をひるがえして歩き出した。


「じゃあ、もう通ってもいいわ。行くわよ、お艶」

「はい」


二人が去っても、越後の家臣たちは動けずにいた。


三年に一度の大名の参拝。

初めて訪れたものも多い。


荘厳な神宮の作り、清潔で整った豊かな街道、神々しい巫女と神獣。懐に忍ばされた卵、皆、狐につままれたかのように呆けた顔をしていた。



「さて、参ろうか」

「はっ」


景之に従い、男どもが、我も我もと橋を渡り始めた。




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