義姉の身代わりで恐怖の公爵に嫁がされた娘が男前すぎる。
富めるアンダルデ王国に『毒蛇』と恐れられている男がいる。闇よりも深い黒々とした髪、マグマのように赤い瞳、月よりも白い肌を持つといわれている彼は王国屈指の大貴族だった。
彼の治める土地は毒蛇や猛獣がはびこる大森林だ。蛇の毒は医薬品に、猛獣の毛皮や牙は加工品として高く売れたため、毒蛇公爵は大金持ちだった。
経済活動も活発な彼は様々な貴族に低金利でお金を貸していた。銀行で借りるよりもいいということでたくさんの貴族は彼からお金を借りていたのだが、ファルディス侯爵家は事業失敗により返済が困難になっていた。
そして毒蛇公爵は侯爵に交換条件を出した。
『娘を嫁にくれれば借金は帳消しにする』
と。
「嫌よ嫌!! 絶対に嫌よお父様!!」
社交界の華と名高いガルディアは泣いて懇願する。
「あなた!! こんな可愛い娘を毒蛇公爵の下へ送るつもりなの?! わたくしは絶対に許しませんからね!!」
妻のナディールは目を吊り上げて言った。ちなみに侯爵の破産原因はこの二人の浪費が原因である。
「わ、わかっている。私だって可愛いガルディアをあのような男に嫁がせたくはない!! そうだ! 身代わりを立てよう!! 遠縁に使えそうなやつがいたはずだ」
フレナンドが思い浮かべるのは大叔父の孫娘だ。一族の反対を押し切って駆け落ちした際にできた子で今は下町で暮らしていると聞く。
「そいつにしても食うや食わずの生活をしているよりも、公爵夫人になった方が幸せだろう。早速引き取って花嫁修業だ!!」
こうして連れてこられたのが、リカルダだった。
「私がリカルダだ。よろしく」
ハスキーな声と陽に焼けた顔、引き締まった体にすらりとした背丈、灰色のシャツと黒のスラックスがよく似合う人物だった。癖のない金髪を後ろに束ねて露になった顎のラインはすっきりとして彫像のような顔立ちがよくわかる。濃いブルーの瞳に高い鼻、そしてそこに優しく浮かべられた笑みはどんなお菓子よりも甘かった。
「おおおおお、お父様。人違いをなさってはいけませんわよ。ですが、せっかく来ていただいたのに追い返すのも悪いですから私の従僕……いえ、専属執事にいたしましょう!!!!」
頬を紅潮させてガルディアは言う。社交界の華として貴族の殿方を射止めてきた彼女が一瞬でハートを盗まれていた。
「まあ、いけませんよガルディア。年頃の娘がこんなイケメンを連れて歩くと噂になるでしょう?ここはわたくしの執事として引き取りますわ」
こちらも顔を真っ赤にしてナディールが言う。彼女も落ちた。
フレナンドは驚きすぎて絶句していた。
そんな三人に気まずそうな顔で言うのは執事筆頭のリチャードだ。
「恐れながらお嬢様、奥様。間違いなく遠縁のご息女でいらっしゃいます。私も信じられなくて念入りに調べました……」
信頼する執事の言葉に皆が目を点にする。
「傭兵団暮らしが長くて貴族の作法っていうのがからっきしなんだ。すまないな」
リカルダは少し照れた顔で言う。言葉遣いは確かに悪いが、彼女の人柄の良さが温かさとなって言葉に宿っていた。
その率直な物言いにガルディアは好感を持った。けしてワイルドイケメンで素敵と目がハートになったからだけではない。ナディールやフレナンドもだ。
そしてガルディアは自分が恥ずかしくなった。無理矢理つれてきて問題を押し付けるなど、人間の風上にもおけない。
「お父様。例の縁談、わたくしが行きますわ。人に押し付けて自分の責任を果たさない人間になりたくありませんもの」
ガルディアがキリっとした顔で言った。
「まあ、ガルディア……。いえ、可愛いあなたにそんな苦労を強いるわけにはいきません。わたくしが行きます。わたくしもまだまだセブンティーンで通りますわ!!」
ナディールが堂々と言い放った。娘を守ろうとする母の姿は美しい。
「いやだめだ。娘と妻に苦労をかけてとあってはファルディス侯爵の名が廃る。ここは私が女装して……!!」
家族のために立ち上がる父の姿は頼もしい。しかし、三人を制したのはリカルダだった。彼女はフっと優しく笑う。
「私が行く。ここに来たのは遠縁の姉が窮地に立っていると聞いたからだ」
「そ、そんな……ダメよ!!!」
「姉上、その涙で十分だ。私に家族がいたと聞かされた時、涙が出るほどうれしかった。執事さん。ファルディス侯爵家の名に恥じない作法を私に教えてくれないか」
反対する皆を宥め、リカルダは一流の家庭教師にあらゆる作法を教わった。そして一か月が過ぎたころ、ほれぼれするような男前が完成した。
引き締まった細身の体躯は優雅さと逞しさが同居し、濃いブルーの瞳はワイルドさに加えて洗練された凛々しさがあった。皮手袋に覆われた手は逞しさが溢れ、衣服の隙間から見えるうなじや手首、首元が酔ってしまいそうな色香を放つ。
「若、準備は整いました」
公爵家への旅路に付き添うのはファルディス侯爵家専属の騎士団だ。リカルダは朝夕の訓練に参加し、その力量と気さくさから『若』と慕われていた。
「ああ、ご苦労。それじゃあ、姉上、父上、母上。行って参ります」
「うう……リカルダ。行かないで行かないで!! やっぱりわたくしが代わりに行くわ!!」
「姉上、その言葉だけで十分です。それに今生の別れってわけでもありませんし、また、会いに来ますよ」
ガルディアはリカルダの逞しい胸でおんおんと泣いた。ナディールとフレナンドはお互いを支え合い、涙を流していた。
「あなた、今からでもわたくしが代わりに……」
「いや、わたしが……」
「父上、母上も無理をなさらずに。私にお任せください」
リカルダはナディールとフレナンドの肩を叩き、喝を入れた。
こうして身代わりになったリカルダは人々の恐れる毒蛇公爵の下へと嫁ぐのであった。
■
物心ついた時から傭兵団にいたリカルダは寂しいと思ったことはなかったが、『家族』に憧れを持っていた。団員たちは仲間であったが、それぞれ帰る家と守る家族を持っていたのだ。
「あいつらがいるから頑張れるんだ」
そう言いあう仲間たちをリカルダはいつも羨ましく見ていた。
「私にも帰る家、守る家族があればいいな」
そうリカルダは願っていた。
そして、リカルダの下に養女として迎えるというファルディス侯爵家の手紙に飛びついたのだ。
リカルダにとって欲しかった『帰る家』、そして『守る家族』、二つも同時に手に入れられてリカルダはとても幸せだ。
身代わりに嫁ぐと聞いたときも、新しい家族を作れると嬉しく思った。
公爵の下へ赴く花嫁道中、随行員が毒蛇公爵が怖くないかと尋ねてきた。
「毒蛇と言っても相手は人間なんだろう? 腹を割って話せば案外いい奴かもしれないぞ」
リカルダは豪快に笑った。
傭兵団の中で最強の称号を持つリカルダに怖いものなどないのだ。
■
「まさか、ファルディス侯爵家の娘が来るとはな……」
城で待つのは若き当主、エレディンだ。黒い髪白い肌、噂通りの人物だが、たった一つだけ違うことがある。それは彼の美貌だ。まるで絵画から抜け出たように凛々しく、美しかった。
しかし、彼の凍てついた心を溶かせた人間は誰一人いない。
天涯孤独の彼は家族を知らずに育った。そんな彼は誰も信じないし誰も愛さない。彼が信じるのは金、そしてこの領地だけだ。その領地を発展させるためならばどのような手段も厭わない。
冷徹な自分と娘との婚約をちらつかせれば、相手はどんなことをしても金を作ってくる。今までもそうだった。
そのため、実際に嫁が来るのは想定外なのだ。
「いかがなさいますか公爵様」
執事のフレディが聞く。
「強面を集めて城に配置しろ。都の甘ったるい環境にいたご令嬢はすぐに逃げ出すだろう」
「しかし、逃げ出せない事情があればどうなさいます? 一族から疎まれて厄介払い代わりに送られてきた場合はここにしがみつくしかありません」
「侯爵令嬢ガルディアは溺愛されたご令嬢だ。身代わりでもない限り、そんなことは起こらんさ」
「もし、身代わりだった場合は?」
「ふっ。いつものように嘘を暴いて事業すべてを貰う」
彼の表情は変わらなかった。冷徹で冷酷、何の感情も持たない冷ややかさはまさしく蛇のようだった。
しかし、その変わらないはずの顔が花嫁ご登場で一変した。
「はじめまして。公爵閣下、私がリカルダです」
細身だが騎士顔負けの引き締まった体、夏の日差しがよく似合う健康的な肌色に精悍な顔立ち、ワイルドでありながら佇まいはエレガントの一言に尽きる。
「……ファルディス侯爵家の嫡男か?」
「いえまさか。公爵閣下に嫁ぎに来たリカルダと申します。これからよろしくお願いします」
「は?」
聞き返したエレディンは悪くない。その場に居た公爵家側の人間も似たり寄ったりだ。しかし、リカルダは彼らが驚いた理由を誤解した。
「ああ、失礼。作法は完ぺきにマスターしたのですが、どうも令嬢の言葉が使いこなせないのです。結婚式当日まではなんとか」
「いや、ちょっと待て!! お前はガルディア嬢ではないだろ!! 契約違反だ!!さっそく賠償金請求をする」
「待って下さい、公爵閣下。借金帳消しの条件は『ファルディス侯爵家の娘』ですよね?私は遠縁ですがファルディス侯爵家に連なる血筋、養子縁組も結んで親子の盃も固めました。違反ではありませんよ」
リカルダはそう言って微笑む。いちいち気障なしぐさでエレディンは苛立った。
「いや違反だ。『娘』だぞ『娘』だ。どう見ても違反しているだろうが!!」
「ん? ああ、言葉遣いのせいで誤解させましたか。私は女だ」
「嘘つけー!!!!!!!」
クールと名高いエレディンは人生で一番大きな声で叫んだ。なお、この後専属医のチェックを受けて見事リカルダは女性であることがわかり、エレディンは渋々謝った。
こうしてエレディンとリカルダが一つ屋根の家……ではない城で過ごすことになった。
■
リカルダが城に来て数日、エレディンは危機に瀕していた。まず、騎士団の連中が先にやられた。
「リカルダさんさすがです。まさかあのレッドフェンリルを一撃で倒すなんて思いもしませんでした!」
「フッ、お前はまだまだだな、俺はリカルダ殿ならやれるってわかっていたぞ」
公爵家騎士団長ホフドンがニヒルに笑う。彼はリカルダを敵視して「貴族のお遊びだ。実戦は甘くない」と一蹴していたのにどうしてこうなったとエレディンは嘆く。
しかも、リカルダの武勇は止まるところを知らなかった。
「閣下、ガルドース地方で暴れていたレッドフェンリルの親玉を捕縛しました。あそこはもう安心です。これまで通りに鉱物の採掘がすすむでしょう」
公爵領が長年抱える難題をあっさり解決した。
領主としてはガッツポーズを決めたいくらい喜ばしいことなのだが、エレディンの立場としては素直に喜べない。騎士団だけでなく家臣も心酔した。
「公爵様。リカルダ殿は比類なき手腕の持ち主。家臣一同、ぜひとも公爵家に迎え入れて頂きたく思います」
リカルダの名が領に轟けば轟くほど彼女との婚約取り消しが難しくなるのだ。
エレディンの苦悩をよそに、リカルダは甲斐甲斐しく世話をやく。朝食を摂らないエレディンを心配し、心のこもった手料理を振る舞うのだ。
例えば、栄養価が高く、冒険者が喉から手が出るほど欲しがるエレファント鶏の卵……から作った卵サンド、体の不調を全て治すリザレクション樹の果実……で作ったジュースだ。
「攻略難易度S級ダンジョンでしか取れない逸品だな……」
「デルバー地方にダンジョンが出現して領民を困らせていましたのでね。材料も手に入るし一石二鳥だと思ったんです。他にも土産があるので楽しんで下さい」
リカルダは朗らかに言う。その明るい笑顔にエレディンは「いい奴なんだよなあ……」と思わざるを得ない。ちなみに超健康食のおかげでエレディンは病的な白から健康的な肌色になり、ほどよく筋肉がついてリカルダとは違う方向の美丈夫になっていた。
何かの会議に出席すると二度見されるのはまだしも、「どなたですか」と言われるレベルだ。
側近までもがリカルダに気を許し、「エレディン様。リカルダさまほどの御仁、そうそういませんよ」と推してくる。
このままでは意に沿わない結婚を強いられてしまうとエレディンは焦った。
「そうだ。ファルディス侯爵家に引き取ってもらおう。この際借金は棒引きでいい!!!」
こうしてリカルダは侯爵家に戻ることになった。公爵家の人間は悲しみにくれ、騎士団連中は男泣きに泣いた。
エレディンはこれでスッキリできると安堵したが、なぜだか胸に穴が空いたような気がして仕方がなかった。
■
リカルダがいなくなって数日、はじめは寂しさから意気消沈していた屋敷の人間たちだが徐々に元気を取り戻していた。しかし、反対に気分が乗らないのはエレディンだ。
エレファント鶏やリザレクション樹の果実は大量にストックがあるというのに、どうも心が曇る。食もあまり進まず、美味しいとは思えない。
「おい、料理の質が最近落ちたな。前はもっと美味しかったはずだが」
「いえ、いつも通りでございますよ」
「そうか? 不味くて食が進まん」
「エレディンさま。お忘れですか。あなた様の食事量はいつもそれくらいですよ」
言われて初めてエレディンは思い出した。
「……そうだったな」
肉や野菜、珍しい料理……武勇伝を交えて出される食事はどれも本当に美味しいものばかりだった。
「いかがですか? リカルダさまが恋しくなりましたでしょう」
にんまりと笑う執事のフレディにエレディンは沈黙で返した。
一方、屋敷に帰ったリカルダはファルディス侯爵家で歓待を受けていた。心を入れ替えた侯爵夫妻とガルディアは慎ましく暮らし、領内から身分を問わずに人を取り立てたこともあり、財政もだいぶ落ち着くようになっていた。
「良かったわリカルダ!! 本当にごめんなさいね」
ガルディアはリカルダをぎゅっと抱きしめた。リカルダは優しい姉を抱き締め返し、家族の温かさを噛み締める。
「姉上、謝ることはありませんよ。とっても楽しかったから」
リカルダは目を閉じて公爵領での日々を思い出す。強いモンスターに心滾る冒険……そしてなによりもエレディンと過ごした日々はとても良い思い出となった。ぶっきらぼうだが不器用な優しさが彼にあった。リカルダの無礼さを許容し、自由にさせてくれた。
「本当にいい奴だった」
リカルダが小さく笑う。
その顔にガルディアはピンときた。ナディールはハっとなってフレナンドはおっとなった。三人は顔を突き合わしてスクラムを組む、
「お母さま、あの顔は……」
「ええそうね。乙女の第六感が働いたわ」
「おじさんの第六感も働いたぞ」
「ですが、毒蛇公爵がリカルダをどう思っているかが問題ですわ。最悪、あの子の片思いということも考えられます」
「本人に自覚がないのが厄介な所ね」
「よーし、こうなったらもう一度……」
■
公爵家にある報せが飛び込んできた。
「ファルディス侯爵家から融資依頼が来ました……。どうなさいます?」
「あそこの家はアホかー!!返す当てもないのに借金してどうするつもりだ!!」
「手紙には担保としてリカルダ様との縁談を用意しております。むしろこちらが狙いですね」
「リカルダ様はぜひとも公爵家に欲しい人材、願ったりかなったりですな」
執事と家門筆頭のロデース伯爵がほのぼのと笑いあう。
「ちょっとまて!! 私の意見を聞け!!」
エレディンが怒鳴ると二人はしらーっと冷めた視線を向けた。
「旦那さま。またお顔の色が悪くなりましたなあ。睡眠も最近取れていないご様子ですし……」
「ときどき、リカルダ様が住まわれていた部屋でボーっとしてらっしゃいますよね」
二人はじりじりとエレディンに詰め寄った。 孤独な公爵にようやく春が来たのだ。ニヒルを演じながら家臣領民のためその身を捧げる彼にはぜひ恋を叶えてもらいたい。
リカルダなら幸せな未来が描けるだろう。
「閣下、リカルダ様が他の領地に取られたらどうします?」
「……それは……困る」
エレディンの返答に二人はにんまり笑った。
ファルディス侯爵の申し入れは受領され、リカルダが再び城に入ることになった。
しかし、前回と違ったことがある。乙女の第六感を発動させたガルディアによって、リカルダは令嬢として綺麗に着飾っていたのだ。素地がもともといいリカルダの姿は絶世の美女となっていた。
「リ、リカルダ……?」
「閣下……。その、姉上には似合わないと伝えたんですが……やはりおかしいですよね」
リカルダが照れながら言う。
「すぐにいつもの服に着替えます。ああ、そういえば領地で他に問題はありませんでしたか? 前以上に威力のある武器も持ってきたんですよ」
「はは……。君はそうやっていつも領地を気にかけてくれていたな。私のことも気にしてくれた」
「そりゃあ、家族ですから。閣下は意に沿わない縁談だったかもしれませんが、私は嬉しかったんですよ」
少し照れながらリカルダは言う。
「そうか、嬉しい……か」
エレディンは自分の中の感情の正体がわかった気がした。
「リカルダ、私も、お前が来てくれて『嬉しい』みたいだ。今度こそ、家族として……いや、恋人からやり直してくれないか?」
エレディンはリカルダに手を差し出す。その手をリカルダは驚いて見つめ、エレディンの顔を見つめた。
「……そう言って貰えるなんて夢みたいだ。喜んで受けるよ、エレディン」
恋とか愛とか、自分には似合わないと思っていた。一生縁がないと諦めていた夢だ。
嬉しさにリカルダが微笑み、エレディンも笑う。
不器用な同士、ゆっくりと恋をはじめよう。
二人が幸せになるために。
■
エレディンとリカルダはしばらくして結婚した。ファルディス侯爵家は公爵の家門の一つとなり、優秀な行政官を派遣してもらって裕福な貴族となった。それぞれは幸せに暮らし、『毒蛇公爵』という名はいつのまにか消えて、『美貌の公爵』と『絶世の美女の公爵夫人』の名が国中に轟いたのだった。