7 顛末
装飾の多い、芸術的な門がある。
湖水に棲む動物たちをモチーフにしているのだろうか。ナーナが本で見たことのある生き物たちが門をにぎやかに縁どっている。
「水のほとりへ客人が三人」
ヨランが口ずさむと門の飾りがゆるやかに動く。魔法の仕掛けが施されているのだ。
「寮の監督官に気をつけてくださいね。こっちです」
「おいナーナ。俺はいいけど、お前鈍臭いだろ。それにヨランもいる。魔法使って誤魔化せないのか。幻覚とか」
「動き続ける的に使い続けるより、さっさと移動したほうが早いわ。音だけ消しましょう」
それぞれの足を指さして魔法をかける。ありあわせの応急処置みたいなものなので、長時間はもたない。
ヨランが手で指示をして寮内を足早に進む。
これが明るい日の中だったら、さぞやきらびやかだったろう。ナーナは堂々と豪奢な寮内が見れないことを残念に思った。
「部屋までわかるのね」
「姉のおかげで……それに、僕も気になって調べたので」
ひそひそと話して、ヨランは一つの部屋の前で立ち止まった。
コウサミュステ寮の奥まったところにある部屋だ。
廊下の窓から頼りない光源が部屋のドアを照らしている。精巧な彫刻がほどこされたノブに青白い光が当たると、なんとはなしに不気味な心地を抱かせた。
「ティトテゥス」
「わかってる。俺が行く。後ろにいろ」
「ヨランは……」
できれば戻ったほうが良い光景がある。
感覚を繋げたナーナだからわかる予想だ。それを知らないならばと、親切心で名前を呼ぶ。
だが、ヨランは拒否をした。ポケットから鈍色の鍵を取り出してみせる。
「自分の寮のことです。ここまで関わったなら、戻りません。鍵も用意してきました」
「やるな、ヨラン」
テトスが先頭、次にナーナ、最後にヨランの順番で入ることになった。
魚の飾りがついた鍵をテトスが回して、そろりと開く。分厚い扉を開けて体を忍びこませた。
部屋は真っ暗だ。
テトスは入って手から飴玉くらいのボールを中に投げると、天井から淡い光が降り注ぐ。簡易照明の魔法具だ。
そしてすぐに暗いのは窓が締め切られているわけではないと分かった。
息を呑む。
窓のカーテンにびっしりと群がる羽虫。鱗のように連なって、時折羽を震わせている。
その下。
細い空洞を風が通り抜けるような音。そこに背をもたれかかってうずくまるものがある。
音はそこからで、同時にかさかさと蠢く音がした。
(想像しなくてもわかる。あそこにいる人に集っている)
光と部屋に入ってきた部外者に反応したのか、虫たちはさざ波のように動き始めた。
ナーナが魔法を唱えるより先に、ヨランは大きく息を吸って口を開いた。
「ッー!」
何か音を発したが、その音はナーナの耳には届かない。
魔力をまとった音の塊が部屋中の空気を振動させる。ナーナの視界には、透明な空気がうねり波状の虫の動きを相殺させたように見えた。
(魔法じゃないわ。普通じゃ聞こえない音を出した……ヨランも混じり血の特性が? 異能力?)
気にはなるが、今は後回しだ。
ナーナは腰元に着けていた媒介具を指先で辿る。魔法の力を強める繋ぎとなる道具。
「ティトテゥス! 女王が繁殖主。探して!」
テトスへ≪つなげ≫とナーナの魔力を追う視界を共有させる。
蠢く塊の中に向かって、テトスは素早く腕を差し込んだ。躊躇なく羽虫の羽を摘まんでは投げていく。
徐々に動き始める虫を捉える動きに無駄はない。
テトスは身体を動かすことに関しては天性の才を持つ。ナーナの補助を合わせれば、どんなものでも正確無比に捉えることだってできる。
襲い来る魔力をまとったものの動きも最小限の動きで躱し、さらには叩き落とすことも可能だ。
「よっし、見つけた」
指先で摘まみ、余分なものを跳ね除ける。飛んで逃げようとした、ひと際大きな虫をテトスが蹴り落とす。
部屋にいる虫たちが一斉に痙攣して床に落ちた。
「なんだ?」
「呪いには同期の文字があったから、繋がっているのよ」
「じゃあ、ほい」
躊躇いなく、テトスは女王を踏み潰した。
そして溜め込んだ魔力を抱えきれずに火花を上げて静かに灰へと変化する。
呪いで変化した代償なのだろうか。空気が抜けるような、ぽすん、という音を上げて部屋の床に灰がたまる。ぽつりと見える乳白色の粒が転がる。
そして、部屋の隅に崩れ落ちたまま動かない人物とナーナ達だけが残った。
「おい、生きてるか」
テトスが床で足の裏をぬぐって、部屋の人物の肩を叩く。
反応はない。かわりに微かな喘ぎ混じりの呼吸音が返ってくるばかりだ。
「大分弱っているのよ。ヨラン、いつから彼はこの部屋に……」
ナーナがヨランに聞こうと後ろを向くと、両手を上げたヨランが背後から頭を捕まれていた。
背の高い黒のローブを着こんだ婦人、臨時教員のフスクスだ。
「こんな時間に。自寮外の生徒と何をしているのです。この状況は」
憤慨した口調に、テトスが小さく「やっべ」とこぼした。ナーナも同じ気持ちだ。
ごまかすように手を後ろで組んで、しおらしくうつむく。
「カラルミスのチャジアにヒッキエンティアのブラベリ。ええ、存じていますとも。レラレ、あなたは賢明で慎重な新入生と思っていましたがね」
「すみません、フスクス先生。でも」
「レラレ、言い訳も結構。反省はあとで十分にしてもらいますよ、三人とも。それぞれの寮担任の先生にはお話をします」
ピリピリといらだつ様子を隠しもせず、フスクスが一つ手を打つ。
すると、部屋の灰は一か所に集められ角砂糖ほどの大きさに凝縮をした。部屋はものの数秒で綺麗に変わり、ナーナ達の乱れた髪も服も元に戻った。
「しかしもう夜は遅い。あとは私が引き受けます。チャジアとブラベリは寮に早く戻ること。レラレも部屋へ戻りなさい。貴方がたの友人が心配して私へ声をかけてきたのですよ」
そう言われては、部屋に残ることもできない。
「見えぬ友人のために挑む勇気は大変よいですが、今後このようなことがあればまず大人を頼るように」
「はい、先生」
おとなしく返事をして、ナーナたちはそれぞれの寮と部屋に戻ることとなった。
寮の部屋に戻ってすぐ、心配したとモナやミミチルに叱られナーナは平謝りをしたあとで泥のようにベッドで眠りに落ちた。
***
翌日。
通常通りの学園生活が始まるなかで、ナーナ達はフスクスによって呼び出され一通りの罰則を受けた。
といっても、きつい罰則ではなくそれぞれの学習に応じた課題を出すようにと命じられたくらいで、思ったよりも重い罰ではなかった。
ナーナ達の騒ぎの元凶を突き止めた働きを鑑みてのことだと言ったフスクスは、やはり公正な教員だとナーナは思った。なにせ寮担であるセシュマンにはひどい嫌味を言われたからだ。
思い返しても腹立たしい。
ナーナがため息をついたところで、同じテーブルの席についていたテトスが口を開いた。
「それで、あれからどうなったんだ」
せっかくだから一緒に課題を済ませれば早く終わると、テトスの一声でナーナとヨランが強引に集められたのだ。
もともとこの話題を切り出したかったのだな、とナーナは思ったが黙っていた。同じく気になっていたからだ。
テトスにたずねられてヨランは、ペンを机に置いてから断りをいれて話し出した。
「あまり良い話ではないですけど。もともとは、同室者のためだったらしいです」
「あれが?」
皮肉めいたテトスの返しに、ヨランが曖昧に笑う。
「同室者が、混じり血の強い生徒で、排除された仕返しをするのだと」
そこでナーナはピンときてたずねた。
「もしかして、純人主義の嫌がらせが切っ掛けってことかしら」
「そうです。大人しいタイプで虫が嫌いで、それがエスカレートしていったって話です」
「それって、そちらの寮担は知らないの?」
「ケイボット先生は知らなかった、と。不幸な行き違いだったのだと言っていました」
テトスが顔をしかめた。絶対嘘だろという顔だ。
「よく聞けたわね、ヨラン」
「姉が見舞いに行って、そのときに」
「あら、優しいお姉さんなのね」
褒めたつもりなのだが、ヨランは複雑そうな顔をした。
「まあ、良し悪しもあるので言い切れませんが。先生も姉には……まあ、その。で、彼の故郷にあったお呪いから、魔が差して手を加えてやり返そうとして、ああなったという言い分でした」
「もうちょっと上手くやらねえからそうなんだよなあ」
「感想を言うにしても、それはどうなの」
ナーナが睨むが、テトスは気にしたふうもなく悪びれずに言う。
「損したのはそいつだけだろ。他にも迷惑かけてさあ。あれじゃ、最初にやってきた奴にちゃんと仕返しできたのかもわからないだろ」
「まあ、あの呪いはほぼ無作為だったのは確かだけど……それで、やり返したかった相手は聞いたの?」
ヨランは少し考えてから、答えた。
「カラルミスのホリィ・ムーグとモール・トイット」
「あら」
「へえ」
それを聞いて、ナーナはテトスと目くばせをした。知っている名前だ。
同時に、わざとらしい大きな声がかけられた。
「ああーら、なんだか臭いと思ったら! 見てモール、罰則を受けた田舎者よ!」
「これじゃあ成績も怪しいもんだぜ、どうせ学園長が哀れんであげてくださったんだろ」
「ねえモール、私、こんなくさぁいところ嫌よぉー」
「ははっ言えてる。消臭薬かけなきゃな」
モールが取り巻きをつれてにやにやして言った。笑いを忍ばせて彼らの取り巻きも同調している。
ナーナは言い返そうかと思ったが、正面に座るテトスの仏頂面を見て思い直した。
テトスが机の上にあるベルに手をのばす。このベルは図書館の自学スペースに備え付けられている、司書のコールベルだ。
するとすぐさま、モールたちは口々に言い捨てて離れて行った。
「じゃあな! 罰則組、俺たちに迷惑かけるなよ」
わざわざ嫌味だけ言いにきたらしい。本を借りている様子もない。
騒がしい一団が去ると、しん、と沈黙が降りた。ゆっくり一呼吸おいてナーナは目を瞬かせる。
テトスと目が合った。
互いの考えていることが、魔法を使うまでもなくわかる。
「ねえ、奇遇だわ。とても心動かされるお名前を聞いたわよね? ティトテゥス」
「ああ、ナーナ。実はこんなものを拾っていたんだが、素敵だろ」
「まあ、本当。小さな可愛らしいアイテムが3つ」
「紛れ込んでも仕方ない大きさのものだろう? 数もちょうどだ」
テトスが取り出した見覚えのある乳白色の小粒を見て、ナーナは笑いをこぼした。同様にテトスも笑う。
「あの。二人とも、なにをするんですか」
気まずそうに聞いてくるヨランに、二人は揃って爽やかな笑顔を浮かべた。
「ちょっと、この気持ちのお返しを」
声が被る。
ヨランに礼を言って、その場を後にするところまで息はぴったりだった。




