6 歯の主人
目の前で普段のおっかなびっくりとした動作とは違う、てきぱきとした手順で解剖が進んでいく。
木箱に納めた解剖道具を迷いなく取り出し、消毒した板の上でピンセットと鋏を使って切り開く。手慣れた様子で手足を針で留め、透明な底の浅いふた付き容器に部位を取り分ける。
最後の作業が終わり、手袋をとってミミチルは後ろへ振り返った。
「終わったよ、ナーナ」
「ありがとう。辛い作業だったでしょう」
「否定はしないけれど、この子たちを理解するためにもなるから」
ナーナは瓶入りの羽虫を持ち帰り、部屋にいたミミチルに頼んだのだ。
ほかの歪な部位を切り離して、歯のみの状態で再び探知魔法をかけるためである。
「おかげで色んなことがわかったかも。話していいかな」
「どうぞ」
止めなくてもそのまま話しそうなので、ナーナはこくりと頷いてうながした。
「元となった虫は、やっぱり蟻の一種だね。見分け方は触覚と羽で、大きさは全然違うけど似た子は中庭にも棲んでいるやつだと思うな」
「ま、これと同じ?」
虫の解剖だからと遠くにいて様子を伺っていたモナがやってきた。
「モナは好きな子じゃないかなあ? 羽は魔力を帯びると七色に反射するんだよ」
「でも羽虫は羽虫。それだけで嫌よ! あれ、うじゃうじゃと群れているのがぞっとしないですわ」
「だってそういう性質なんだもん。真社会性で女王個体がトップで、その下で協力して過ごすの。ニンゲンよりよっぽど統制の取れた社会があるんだから」
「でも虫じゃないですの」
「もーっ」
頬を膨らませたミミチルは、唸りながら平たい容器を一つ掴む。
「私たちは知らないうちに彼らの因子を受け継いでいるのかもしれないんだから、侮ったり思い上がったりはだめだよ。はいこれ、ナーナ」
「ありがとう。興味深いお話だった」
「でしょお?」
ナーナの言葉に、ミミチルが嬉しそうにする。
「少なくともこの虫には、ミミチルが言ったような性質があるってことでしょうし、参考になったわ。群体のトップがいる可能性は高いのよね?」
「そうじゃないかなあ。この解剖した虫は雄個体だったから。顎が発達してたから雌かと思ったけど、呪いのせいかも」
「ねえミミチル。女王がいるならどこかしら」
「羽を持つ雄個体がでるのは、営巣中の女王がいるはずだから……発生した場所だと思う」
つまり、呪いが使われた現場ないしは行使した者の傍。
ナーナが魔法を使って探し当てれば一気に解決へと近づく情報だ。
「ミミチル、貴女、虫に関しては国一番じゃないかしら。すごいわ!」
「えへぇ、うれしい」
「貴女にたくさん礼を言うように、ティトテゥスにも伝えておくわね」
この羽虫を持ち帰った時に、テトスの依頼だとナーナは伝えていた。同じく被害にあったのだと言えば、親身にミミチルは手を貸してくれたのだ。
いくら現在頭に花を咲かせるような恋愛脳だとしても、テトスはそこまで礼儀知らずな男ではないはずだ。夜にでも言い含めておこうと決意を新たにしていると、モナがそわそわと聞いてきた。
「そういえば、あなたティトテゥス・チャジアと仲がよろしいの?」
思わず脆い容器を握りしめそうになった。
モナは化粧をほどこした顔を期待にきらめかせて見ている。
「一緒に辺境からやってきたのでしょ? でしたら、互いに特別な感じがあったりしたのでは? 昨日も共に過ごしていたんですわよね?」
やめてほしい。
口について出そうになって、ひきつった笑顔になる。
ナーナは咳払いをして否定をした。
「断じて違うわ。ティトテゥスとは偶然! たまたま! ここの編入が同時だっただけ。多少の縁はあるけれど、特別な関係だとか恋しいとか一切ないわ」
モナが期待するのは恋愛に繋がる話題だ。そう察して念入りに強い口調で言う。
「そもそもタイプじゃないわ。私、魔法より物理の方が強いって思いこんでるヤツとはお付き合いしたくないもの」
「あら、そう。ふうん」
途端、つまらなそうに言うモナに重ねて否定をする。
「今後一切そんなことは起こりえないから。あと、昨日は違う子も一緒だったわ。残念だけど、モナのご期待には沿えないわ」
「未来はわからないですわよ。わたくしが占いでもしましょうか?」
「また今度ね。それよりこんな呪いを引き起こしている犯人を見つけるほうが、今の私には大事なの」
そう言うとしぶしぶモナは引き下がった。
ミミチルの「それは大事。がんばって」の応援を受け取って自分のスペースに戻る。
集中して考えたいからと伝えると、二人は距離を取ってナーナに任せてくれた。
一人離れた理由は、他にもある。
この魔法は見てくれが悪いからだ。
「≪置き換えよ。同化せよ≫」
誰にも見られないように、容器を机に置いて二人に背を向ける。
この虫に生えた歯。代償として捧げられ呪いの元となる歯を、自分の歯と同じものと認識させる。
そして、その歯の主、あらゆるところに潜むだろう虫たちの歯と意識を繋ぐ。
(うぉええええ)
何かを食んでいる。
何かを、咀嚼している。甘く、緩く、噛み続けている。
無数の蠢く上下の歯の感覚。どこともしれぬ物に向かって嚥下をする感覚まで飛んできそうだ。
同化した都合上、自分の歯並びも一時的に置き換わる。きっと、歯の主のものと同じになっているはずだ。
ぞわぞわと口内が動く。気色の悪さが吐き気に変わる。それを耐えながら、さらに神経を集中させる。
「≪辿れ。繋ぐ身を辿れ≫」
慣れない歯列の違和感を無視して、さらに魔法を紡ぐ。
(辺境一の魔女の力、見せてやるわ)
干渉する。
この歯と繋がる。呪いとして捧げた繋がりを辿る。
すうすうと歯列から空気が抜けている。この歯の主はずいぶんな乱杭歯なのだろうか。
(ちがう)
歯がないのだ。
捧げたから、もう歯がない。
主は暗い隅でうずくまって、肉しかない口内をふるわせて息をしている。歯を持たない虫と同じくして、顎ばかりを上下させている。
そうして、女王たる新たな歯の主がその肉の塊の上に鎮座する。
(──……ああ、人が棲み処!)
女王が歯でゆるやかに肉の主を食んでいる。
魔力を吸いだし、時折あらたに現れる同胞からも捧げられ受け取っている。肥え太り、大きく、より強大に成長する。
その女王は、新たに繋がった同胞に向けて虚空へと複眼を蠢かせた。
見ている。
多くの女王の子と同一化した大きな瞳が見ている。
(やば)
慌てて干渉を切って、追いかけられないように歯を指先で思いっきり潰した。思った以上に脆く軽い歯は、あっさりと砕けてしまった。
どっと冷や汗が噴き出す。
ぞわりぞわり、口の中で歯が元の位置に戻っていく。そんな気持ち悪さよりも、とんでもないものを見つけた気持ちが上回った。
「ナーナ?」
浅く呼吸を繰り返すナーナに、モナが声をかける。
「だ、大丈夫……集中しすぎて息が止まってた」
「もう! わたくしたちがいて良かったですわね! ミミチル、お茶にしましょ。貴女も働いて甘いものがほしいのではなくて?」
やがて漂い始めた甘い香りに、ようやく人心地がついた気さえした。
ナーナはこの学園に来て初めて、多人数部屋で良かったと思えた。
ナーナは一息ついた後、急いでテトスへと連絡を取った。
繋いだ感覚からして、呪いを使った人物はほぼ死に体だ。こんな呪いを放った者だが、そのまま放置しておくのはナーナとしても落ち着かない。不本意だがその意見はテトスとも合致した。
そしてテトスと相談した結果、夜の人気がないところを狙って犯人を確保することとなった。
落ち合う場所は食堂。夜まで待ってから、ひっそりとナーナは寮を抜け出した。
夜の構内は静まり返っている。
時折、見回り用の魔法具が飛んでいたり、職員が回っているのをやりすごして進む。定位置を規則的に回る魔法具はともかく、職員は適当にしているようだ。おざなりに魔法であたりを照らしてはすぐに去っていく。
(平和だから警戒もしていないのね。お粗末だこと)
だが今はそれがありがたい。
注意もそこそこにナーナが食堂にたどり着くと、すでにテトスがそこにいた。
天井まで伸びる柱の、高い位置にある装飾部分にひっかけて待ち構えていたテトスは、ナーナを見つけるなり「遅い」と文句を言った。
「これでも急いできたの。馬鹿みたいなあなたの足と一緒にしないでちょうだい」
「良いから場所を案内しろ」
「わかっているわ。場所は」
そこまで言って、ふいに声が割り込んだ。
「コウサミュステ寮ですか」
慌てて振り向いたが、テトスが反応していないことにナーナは気づいた。すかさずテトスを睨むと、片眉を上げた。
「当事者に知らせないのもどうかと思ってな」
「あれから気になって、テトスに聞いたんです」
コウサミュステの寮服を着たヨランが近づいてきた。
「それに、借りはあるから手伝いで返せればと思いまして。姉のこともあるので」
「でもヨラン、あなた」
ナーナやテトスと比べて実力が足りるのか。
これまで辺境でもまれてきた自信がある二人と比べると劣るのではないか。
そう思えてナーナがヨランを見るが、ヨランは落ち着いている。
「荒事は確かに慣れていませんが、お役に立つことはできますよ。どうもその呪いの主は僕の寮みたいですから」
「それはそうなのだけど」
そうだ。
呪いを使った者は、コウサミュステの生徒だった。意識を辿って通った道が脳裏に蘇る。
「寮に入るのを手伝います。他寮の生徒は入り口がわかりにくいでしょうから」
「おう、じゃあ頼む」
軽く頼むテトスが前を歩く。
それに合わせてヨランも歩き出す。こうなっては仕方ない。ナーナは溜息を飲みこんで二人の後ろについていった。
学園の道は複雑であちこちに通路が伸びている。建設から改築を加えてどんどんと施設が増えて行った弊害でもあるのだろう。
そんな道を迷わず歩いて、ヨランは半地下へ降りる通路へと案内した。
「上の通路じゃだめなのか」
暗い道を安全確認のために先頭を進みながらテトスが聞く。
「コウサミュステ寮は湖上にあるので、中に入るには水面下にある地下通路を通る必要があるんです」
「あなた、学園史を見ていないの? コウサミュステ寮を建てたのは水上建築の名手なの。寮に通う芸術家のパトロンということもあって、美しい景色を見せたいために造られたのよ」
「ほーん」
ぺらぺらと説明すれば、生返事がもどってきた。テトスは気になることには熱心だが、興味のないことにはいつもこうなのだ。
「よくご存知で。その逸話もあって、今も芸術家の卵や技術職の生徒が多くいるんです」
少し進んでヨランは息を吐いた。
静かな石廊に、その音は思った以上に響く。それは悔やんでいるような声色だった。
「だから、誰も気づかなかったんです」
「誰も?」
「はい。時期によっては作品製作に没頭することも珍しくはない生徒が多いので。それに、件の生徒は同室者がいませんから」
「知り合いか?」
短いテトスの質問に、ヨランが「いえ」と短く返す。
「僕が入る前に、不幸な事故で退去したみたいです。姉が知っていました」
「ジエマさんか。そうか。彼女は嘘を言う人ではないな」
心なしか声を弾ませて、深くテトスが頷いた。対するヨランは苦笑いだ。
通路はほどなくして終わり、上に向かう階段が見えた。