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3 歯虫


「こっち。これ、よく見てね」


 ミミチルは自分の部屋机に小瓶を置くと、封をしていた香り付きの油紙を外す。それから、細かく切られた生地を一切れ小瓶の中へ摘まみ入れ、また封をした。


「強い虫よけ油を塗った紙、ちょっと臭いんだけどお……もうちょっと近づいてみて」


 確かに鼻奥にツンとくる強烈な香りだ。強い清涼剤と噎せ返るような花の芳香が混ざったものは、一度嗅いだら忘れられそうにない。鼻をつまんで言われるがままナーナは近づく。


「これね、モナの生地の色抜けしたところあったでしょ? その近くに卵があったんだ。白くて見落としそうなくらいちっちゃいの」


 早口になりながら、ミミチルは小瓶を指さした。

 小瓶の中には爪先ほどの幼虫が蠢いていた。乳白色の幼虫は見ていて可愛らしいものとはナーナには思えなかった。


「あっ、そっちじゃなくて。彼のおしりの少し後ろ」


 目をすぼめて注視すると、たしかにぽつぽつとした楕円の物体がある。


「それで、孵ったのがこの虫なの?」

「そう。でもね、ただ待っていると孵ったわけじゃなくて、この布みたいな特殊なものがあって初めて反応があったの。たぶん、彼らの主食なんじゃないかなあ」


 ミミチルが入れた細かな端切れに蠕動しながら幼虫が近づいていく。それに伴うように、玉子は明らかに膨れて、頭をのぞかせた。


「この布、モナのものみたいに魔力を豊富に含んだインクで染めたものなの。ほら見て。彼らが食べると小さな穴。まわりの色が消えちゃってる」

「インクを食べているのかしら」

「ううん、インクもだけどそれだけじゃなくって、きっと魔力目当てじゃないかな。他のインクには目をくれなかったから。自分よりも豊富な魔力を持つものが好物みたい」

「それじゃあ、外に行くといっぱい潜んでそうね」


 いやな想像をしてしまった。ナーナが顔をしかめて言えば、「それがね」と興奮した様子でミミチルは否定した。


「植物は嫌いみたい。じゃあ動物が好きかっていうともっと好みがあったんだ。これは、図鑑に書いてる衣魚(しみ)と同じ傾向だけど」

「好み? 魔力なのでしょう?」

「そうなんだけど、もっと限定的」


 さらに端切れを追加して入れて、ミミチルが観察している。


「このインクは、モナの服の染料と同じ工法なんだけどね。変わった作り方をしているんだ。髪を少し溶かして混ぜてるんだって。南の国にある伝統製法らしいよ」

「えーと……つまり?」

「魔力を持つ髪が好物だと思うなあ。それにこの成長速度。たぶん内包魔力が強い新しい虫なんじゃないかな。だって、聞いたことも見たこともないもん」


 ミミチルが入れた端切れは、いつのまにかすっかり白く染まっている。

 さらに大きく育った幼虫は、指の一関節を越えて蠢いていた。ふと、ナーナはその虫の頭に不釣り合いなものが見えた気がした。

 咀嚼している姿が、まるで虫のように顎を使うのではなくて、その奥にある歯を使って食べているような、そんな風に。

 ぞっとしない想像に鳥肌が立ちそうになって、ナーナは質問をした。


「ねえ、ミミチル。これ以上成長するとどうなるの?」

「わかんない。蛾じゃなくてたぶん蟻の一種みたいとはわかったんだけど……はっきり言えないかも。もし変態したなら、もっと観察ができるかなあ……あっ、危ないかも」


 小瓶の真ん中くらいまで体が成長した幼虫が、さらに広いところを目指そうと油紙の蓋へと体を持ち上げている。


「≪閉めよ()固く閉めよ()開くな()≫」


 慌ててナーナが蓋に手をかざして唱える。油紙の表面に薄く光る紋章が焼き付く。


「わ。もう詠唱省略できるんだ、ナーナすごいね」

「ありがとう。でも魔法を増幅できる媒介を通していないから、効き目は長くないと思うわ」

「うん。でもこれ、すぐに先生のところに持ってくから」

「どの先生?」

「寮で見つけたから、寮担のセシュマン先生かなあ。生物学のケイボット先生でもいいかもだけど、あの先生、虫が大嫌いなの」

「ふうん」


 セシュマンは民俗学の教師だ。

 各地に伝わる魔法を調べる学問だが、彼の授業はもっぱら田舎の伝承を引き合いに都の洗練された呪文と褒めることが多い。そのため、ナーナとしてはあまり得意な科目ではない。


(この学園、国一番というわりに、偏った教員も多いのよね)


 不満点を上げながら、ナーナはうなずいた。


「あ、ナーナ。彼、歯がたくさんある。威嚇かな。かしこいんだ」

「えっ」


 のんきに言ってのけるミミチルだが、ナーナは鳥肌がまた立ちそうだった。

 虫の頭。大顎をぎちぎちと開けている。

 そして、その奥にある人のものに似た歯の列が、顎の上下とともにカチカチと重なる。もし耳元にこの虫がいたなら、間違いなく歯のぶつかる音が聞こえることだろう。


「なおさら大きくなって人のそばにいちゃいけない子だね。羽が生えたら人の頭に飛んでいきそう。私、今から行ってくる」


 ふう、と息を吐いてミミチルは大事に小瓶を抱えて部屋を駆けていった。

 虫に関する行動力は素晴らしい。

 ナーナは自分の友人の意外な強さに、目を白黒しながら見送って、やがて決意した。


「部屋に虫避け術、目いっぱい掛けておきましょう」


 予期せぬ大掃除になりそうだ。

 次の講義が始まるまでに、すぐにでもしなければ。袖をまくり上げて、ナーナは気合を入れた。





***





 夜。

 ヒッキエンティアの寮塔は静まり返っている。片田舎といって差し支えないあちらの学園に比べると、遥かに設備は整っていても夜は同じだ。

 それか、学園以外に建造物がほぼなく、町から離れているからかもしれない。

 窓から外を覗いてみても、星灯りと薄暗い学園の建造物、あとは山などといった自然が見えるだけだ。

 今日は雲もなく透き通った夜空が広がっている。


「ミミチル、まだ帰ってこないのね」


 窓から眺めて、昇降装置が動いているのを見ようと思ったが、ナーナがこうして見ている間に動いた様子はなかった。


 ミミチルが帰ってこない。

 先生に虫を見せてくると行ったきり、姿が見えないのだ。


「きっと、まだ先生に捕まっていますのよ」


 モナが言う。


「罰則が長引いているに決まってますわ」

「そうだとしても、なんで罰則なんかつけられたのかしら」

「授業にあまり出ないからでなくて?」


 ありえる理由に、ナーナは閉口した。モナは爪に塗った液を乾かしながら続ける。


「どうせ積もりに積もった課題ですわよ。戻ってきたら慰めをするくらいでよろしいわ」


 モナの口ぶりからすると、ミミチルの授業参加率は前々から悪いようだ。それならば、しかたないのかとナーナは入り口のドアを見て目を瞬かせた。

 静かにドアが開いており、ミミチルが立っていたからだ。


「ミミチル。おかえりなさい」


 しかしミミチルの顔はひどいもので、泣きはらした後なのか、目の周りは赤くなり鼻水まで垂れていた。


「んまあ! どうしたというのかしら。みっともない」


 言葉こそ冷たいものの、モナは綺麗に整えたばかりの指先で自分のところのタオルを引き出すとミミチルの顔をぬぐった。


「どうしたの?」


 気弱で人見知りのミミチルは、他の生徒にからまれやすいのだ。

 ナーナは辺境の学園からやってきたからやっかまれることはままあったが、それとは別方向のからかいの対象になるのがミミチルだった。

 とくにミミチルをからかう生徒がミミチルとは違って幅を利かせているというのが大きい。


(私もティトテゥスみたいに、やってやろうかしら)


 そんな企みも覚えるくらいである。


「ナーナ、ごめんなさい。虫、とられちゃって……私がやったんだってムーグがケイボット先生に言いつけて」

「はあ? あのホリィ・ムーグが? あの女、またしようもないことをしていますのね」


 モナが苛立たしそうに唇を曲げた。

 ホリィ・ムーグはカラルミス寮の女子生徒だ。モナと対をなす同学年女子のリーダー格であり、仲はこの通り良好とは言えない。


「彼女の彼氏が被害にあったっていうの。それを私が持ち運んだって騒いで、それでケイボット先生が処分するって目の前で……」

「んまーあ! ちょっと考えれば、ミミチルが出来る時間なんてないとわかりますのに! ずっと図書館詰めだっていうのは、司書も知っているはずですわ!」


 つい先日、自分も同じ疑いを持っていたことを棚に上げて、甲高い声でモナは憤った。


「ありがとうモナ……私もホークネットさんが言ってくれたから、それでやっと解放してもらえたの。ねえ、あの虫。ふつうの虫じゃないって。呪いを使っているっていうのよ。虫は被害者、いえ被害虫だわ。私、あの子たちがかわいそうで」


 そういってさめざめとミミチルは小さな目を潤ませて泣き始めた。

 その気持ちはいまいちわからないが、ミミチルの話した内容は気にかかる。ナーナはミミチルの肩を撫でながら問いかけた。


「大変だったわね、ミミチル。呪いって、どうしてそんなことを言ったのかしら」

「最近ウワサの色抜き歯形の呪いね。わたくしも聞きましたわ。それのことでは?」


 テトスが言っていた話と同じことをモナが言った。

 それにうなずいて、ミミチルは付け足した。


「魔力が好きな虫に呪いをかけて改造して創られたのよ、あの子たち。私、そんなもてあそぶようなことしないわ!」

「ということは、この虫、カラルミス寮にも出たってこと、かしら」


 ナーナが聞けば、ミミチルはおずおずとうなずいた。


「そうみたい」

「なら、ますますミミチルには無理ではないですの。カラルミス寮が関わる授業、今年は全然出ていないでしょうに」


 モナは腹立たし気にいいながら、ミミチルの顔を整えると髪を撫でだした。されるがままのミミチルは拗ねた声を出した。


「そうだよお。そしたら、モナやナーナも協力したっていうから、私悔しくて悔しくて」

「なんですって! あの女、次会ったときはタダじゃ置きませんわ!」


 眉を吊り上げたモナは、ナーナに向かって「いいですこと!?」怒りの形相を向けた。


「ナーナ、次あの女と一緒の講義がありましたら、コテンパンにしておしまいなさい!」

「努力するわ」

「わたくしも、いっそう美に磨きをかけて、あの女に目に物をみせてさしあげますわ!」


 そうして肩を怒らせて、モナは「早く寝ますわよ!」とベッドへ戻っていった。

 おかげでミミチルの気は少し晴れたらしい。



「モナのああいうところ、サイコーだよね」


 そう言って微笑み、ナーナにお礼をいってミミチルも自分のベッドへのろのろと向かって行った。


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