13 増える虫と警戒
寮へと戻ったナーナは、早速ミミチルに相談をした。
二つ返事で引き受けたミミチルが、「形が虫なら」と素晴らしい集中力で調べ上げてから、経過すること、三日。
このたった三日で、寮のミミチルの机には大小さまざまな瓶が並び、ノートや紙きれがベッドや床に散乱した。まさに寝食を惜しむ勢いで取り組んでいたため、モナと一緒にナーナは無理やり食べさせたり寝かしつけたりしたのだった。
そうした時間を過ごして、やっとのことで作業の区切りがついたようだ。
「ナーナ、ひとまずは終わったよ」
四日目の昼。
ミミチルは手伝いに残っていたナーナを呼びよせると、説明を始めた。
「あのね、この虫。前に見た……コウサミュステで呪いに使われた可哀想な子、覚えているよね? あれと同じ感じがするなあ。無理やり変化させられたみたいな」
「魔力を持つ生き物って、突然変異で現れることもなくはないでしょう? それとは違うのかしら」
「ううん、絶対違うよ。そういうモノでもあるはずのものが、ないんだもん。この子、食べて魔力や栄養を溜められても排せつできないんだ。器官がないの」
「貯めるだけの存在? そういうものもいるのかしら。でも、確かに、おかしいわね……」
「そう。だから、長生きできないよ。こんなの自然じゃない。生き物は、排せつしないと生きていけないんだよ、ナーナ」
力説するミミチルは、悲しそうに調べ上げて書いたノートを見た。
「それにね、この解剖した子、幼虫なのに体内に卵を持っていたの。あ、卵はまだ未成熟のまま摘出して、ぜんぶ駄目になってるから安心して。でも、ね、やっぱり変でしょ」
「つまり、幼虫みたいな見た目で完全体ってこと?」
「たぶん……普通の虫じゃないから、私の知らない生態があるだけかもしれないけどお」
言いながら、ミミチルは小瓶に隔離した部位を机に並べた。
「これ、腸のなかにあったもの。木のほかに動物の肉もあるの。危険生物ってほんとだったね」
「色々調べてくれてありがとう、ミミチル」
「どういたしましてぇ」
笑って礼を受け取るミミチルを横目に、ナーナは瓶を見る。
(ここから辿って居場所を探るも、できなくはないけど……当然、先生方も試さないわけはないし。今は、やめときましょう)
危険生物を率先して退治へと向かうなんてことは、今のところするつもりはない。
何より、学園側が主導して調べているのだ。下手に手を出して罰則をくらうことは避けたい。
ナーナは思考に整理をつけて、気を取り直してミミチルへ声をかけた。
「先生にはこれから言うのよね? 一緒に行くわ」
「……うん。一緒だと安心かも」
ミミチルがうなずく。前に一人で行って、ひどい目に遭ったのを思い出したのだろう。
瓶の数々をカバンにまとめ入れる。虫の中身はやはりグロテスクだ。モナが講義のために不在でよかったかもしれない。
魔法で保護をかけてから、ナーナはミミチルと連れ立って寮担当の教師へ向かった。
*
「おおい、テトス。いいところに来た」
講義が終わり、一旦寮の部屋に帰ってきたテトスは、待ち構えていたベイパーに引き留められた。
「なんだ」
「ちょうどお前に話そうと思ってたんだ。次まで時間があるだろ」
そう言って、共用スペースの椅子をベイパーが指す。
そこにはヴァーダルも腰かけて、優雅にお茶を飲んでいる。テトスの寮部屋はベイパーとの二人部屋なので、ヴァーダルは来客だ。
都の大貴族であり、以前施療院で世話になったからベイパーが丁重に扱ったのだろう。
ヴァーダルのあたりだけ、異様にもてなされた形跡がある。茶菓子もテーブルクロスも、テトスがいるときはないものを引っ張り出している。
「やあ、テトス! 君に聞いてほしいことがあるんだよ」
相変わらずきらきらしい美貌を惜しげもなくテトスへ向けて、ヴァーダルも座るように促した。
おとなしく従うと、二人は待ってましたとばかりに話し出した。
「実はな、虫の話なんだ。ヴァーダル様、お手数ですがもう一度」
「いいとも。危険生物と言われ、現在、先生方が対処されている虫なんだが。最近多く出現が認められているのは知っているだろう」
ヴァーダルは当然のように聞いてくる。テトスがうなずくと、満足そうに微笑んだ。
「うん。やはり、そうだろうとも。前に騒ぎがあった地下競技場の虫も、君がしたのだろう? いや、君たちかな。他寮連れは目立つから注意するといい。気が滅入っている者もいるからね」
「御忠告どうも」
「ああいや、先生方に言うつもりはないさ。皆にも話して、快く理解してもらえたよ。何かあの場で詮索されるとまずい事情があったんだろう?」
権力をバックに沈黙させた。そう、にこやかに話す。長い指先を組んで机に置いて、ヴァーダルはじいっとテトスを見た。きらきらと部屋の灯りに緑の瞳が反射している。
「……何か、俺に頼みが?」
「うん、実はね。虫を退治できるテトスにも、考慮しておいてほしいことがあるのさ」
「内容による」
「おい、テトス」
不遜な態度を取るテトスをベイパーがたしなめる。しかし、ヴァーダルは気を悪くしたふうもなく続けた。
「先も言ったように、ずいぶんと虫の目撃が増えてきているようでね。先生方の対処も、どうにも追いついていない。つい昨日は、僕の傘下の家の子がやられたみたいでね」
「へえ。どこで」
「地下競技場さ。昨日の夜から利用制限が設けられたのは、このせいだよ。休憩室で仮眠しているところを襲われたと、報告を受けたのさ」
「生きてるのか?」
「かろうじて。腹部で虫が増殖していたそうだが……まあ、スピヌム先生に任せれば、いつかは回復するよ。そこでだね」
ヴァーダルは眉尻を下げる。憂鬱そうな顔をして小さく息をつく。
「虫の騒ぎは、コウサミュステの件があったのを覚えているかい? 確かあれも君が関わっていたはずだと記憶しているけれど」
「ああ、色を抜く呪いの」
「うん。その件でね、コウサミュステ寮生徒への警戒や敵視が強くなってきているんだよ」
「そりゃあ……」
わからなくもない。
不安な中、かつて問題があったところを疑ってしまう者は少なくないだろう。
「困ったことに、とくに我がカラルミス寮は直情的な生徒が多い」
「ヴァーダル様や寮監督が抑えてはいるが、いつパニックが起きるかわかったもんじゃないんだ」
ベイパーがそろっと付け加える。
「どうりで今日の講義は、妙に突っかかる奴がいたと思った」
テトスは先ほどの講義で見た光景を思い返した。
コウサミュステとの紋章美術の共同講義だったが、小さな嫌がらせをして紋章美術学教師のフスクスに叱責されていた者がいたのだ。
「カラルミス寮の精神に相応しくない行動はしないよう言ったはずだが……ままならないものだね」
「血の気が多い奴や思い込みが激しい奴がいますからねえ、ここ。ある意味、寮の精神にのっとって挑んでいますが」
嘆息まじりにベイパーが同意する。それにうなずいて、ヴァーダルは肩を落とした。
「僕が寮監督になったあかつきには、より改善していかねばなるまいね。上に立つものとして戒めておこう」
「それでヴァーダル。俺に頼みって、結局なんだ。コウサミュステに気をつけろじゃないだろ」
「ああそうだった。頼みというのはだね。君が生徒たちに、虫が出たら付き添ってほしいと頼まれていたことについてだ」
「まさかそれに付き合えって?」
「いや、主に僕に付き添ってほしい。それで、場合によっては所属寮を問わずに虫を追い払ってほしい。できれば皆が見ている中でね」
「見世物じゃねえか」
「身近な頼れる強い存在っていうのは、大多数にとって親しみやすく受け入れやすいものさ。これで少しは抑えがよくなるはずだ。なにより、テトス、君にも利点がある」
「たとえば?」
ヴァ―ダルはすっと右手の指を一つずつ上げて言った。
「一つ、僕やモナの家に恩が売れる。二つ、ジエマ・レラレ嬢を迂遠だが守護できる。三つ、僕のお墨付きという名目で自由に探検できる」
「悪くない」
思わずテトスは反射で返した。
呆れた顔のベイパーに「別にいいだろ」と言って、ヴァーダルの顔を見た。輝くばかりの美貌に上機嫌な表情を乗せている。
「未来の頼もしい傭兵殿を迎えられて嬉しいよ。今日からベイパーともどもよろしく頼もう」
「護衛ってことだろ。それは今回の騒ぎが治まるまでだ。ずっとはしないからな」
「もちろん、いいとも!」
快諾して、ヴァーダルは小さな鈴を取り出して鳴らした。制服のベルトに着けていた飾りかと思ったが、驚くほどよく響く。
ちりん、と涼やかな音が余韻を残して消えるくらいに、部屋の扉が叩かれた。
「入りたまえ」
自分の部屋でもないのにヴァーダルは許可を出す。テトスが呆気に取られている間に、扉は開かれた。
そして、きびきびとした姿勢で複数人の男子生徒が荷物を持って入ってきた。全員テトスより上の学年の生徒だ。
誰もかれもが真面目な表情をして、大荷物を運び込み、部屋の場所を無理やり三分割にするとベッドや家具を組み立てた。
「は?」
「……お前、簡単に考えて細かく聞かずに受けるからだよ」
ベイパーが恨めしくテトスに言う。
その間も、どんどん二人部屋だった部屋が立派な三人部屋へと変貌していく。
「ご苦労」
頭を下げて退室する男子生徒たちを軽く労って、ヴァーダルは晴れやかな笑顔を浮かべた。
「今日から世話になる。よろしく、我が友よ!」
思っていた状況と違う。
テトスは喉まで出かかった言葉を抑えて、「おう」とだけ返した。
*
夜。
いつものように報告をする最中で、ことの次第を聞いたナーナはあんぐりと口を開けた。
(途中から部屋替えって、無理やりできるものなんだ……さすが権力持ち)
しかし、それよりも、テトスの大雑把な対応には呆れてしまった。
『これで報告相談がしづらくなるようだったら、怒るわよ』
『それはまだ大丈夫だ。もし見られたらどうにかする』
『物理で黙らせるのだったら、止めますからね』
返信が遅れてきた。図星だったに違いない。ますますナーナは呆れて声が出そうになった。
『まあ、そういうワケだ。虫についてはお前も気にかけてやれよ』
『わかっているわ。でも、コウサミュステが睨まれているだなんて。大丈夫かしら』
『そうだな、ジエマさんに気を配っておかねば』
『ジエマだけじゃなくて、ヨランもでしょう。あとアミクも。少しは心配しなさいよ』
『ヨランなら、お前が魔法道具渡してるからなんとかなるだろ。それとも自信がないのか?』
『ありますけど?』
明らかな挑発だったが、こう言われてはそう返すしかない。ナーナは筆圧を強くして返すが、テトスはいつものような軽口で済まして話を戻した。
『お前の取り柄がなくなると、あとは貧弱さしか残らんからな。で、セシュマンに出したんだっけか、虫』
『そう。またミミチルが嫌味を言われそうになったわ。寮担へ報告しなかったらしなかったで嫌味を言われるのよ。腹が立つったら』
『カラルミスの寮担がパテルウスで良かった。実力あれば認めてくれるって楽だぜ』
『そこは羨ましいわ。まあ、ほかはヒッキエンティアのほうが良いけど』
『そうは思わんがな。ともかく、こんな状況だ。下手をうって医務室おくりになるなよ』
テトスなりの激励だろうが、いちいち癪に障る言い方をするものだ。ナーナは口を曲げて返事をする。
『そっちもね。お墨付きの探検で、今日みたいな浅はかな対応をしないことを祈るわ』
嫌味をこめて、おやすみ、と書き込む。そのまま、ナーナは通信具をつついて鏡面へと戻した。
耳を潜めて、念のため部屋に虫がいないかを探る。きちんといないことを確かめてから、ナーナはベッドに入って目を閉じた。




