10 古い怪談と聞き取り
「怪談に出てくるものを持ってたってことか?」
テトスが聞く。眉をひそめて、そんなことがあるのかとでも言いたげだ。
だが、ヨランは小さく息をついて、肯定した。そのまま言いづらそうに続ける。
「実は、兄がアコルセリ治癒士と同年代だったそうで。ある時からずっと愛用するようになったから、目についたらしく」
「それが怪談になったのか? なんでだ」
「あの人、在学中はかなりの純人主義過激派だったので、そういうのを嫌った人が、その」
「ははあ。嫌がらせ目的か」
ナーナも納得した。
純人主義が多いには多いが、都外から通う生徒だっているのだ。表立って反抗出来ないため、こそこそとやり返したにちがいない。
それにしたってやりようがあったのに。
一回こっきりで後腐れなしではなく、じわじわと残る悪意は好きにはなれない。
嫌な行為だ。
ナーナはうんざりした気持ちを追い払って、口を開いた。
「それなら、ティトテゥスが期待する宝とは関係なさそうね。まさか、鋏が宝ってわけではないでしょう」
あの時見た鋏がそうなら、とてもそうは思えない。ナーナの目をもってしても、呪いを使っている嫌な古道具にしか見えなかった。
「あとのはどうなんだ?」
テトスがメモを目で示す。ヨランは少し考えてから、首を横に振った。
「亡霊と禁忌書庫、木の話は昔からあると聞いたくらいです」
「亡霊がエミル領主の可能性……もなくはないし、昔からすると本も宝の可能性もある。木は、わからん。なんなんだ、枯れてるのに若いのか。ナーナわかるか」
ぞんざいな話題振りだ。ナーナは呆れて答える。
「わかるわけないでしょ。初めて聞いたのよ。エミル領主の昔の文献にも、そんなもの出てこなかったわよ」
「どれも学園に代々伝わる怖い話、みたいなものですから。文献に書かれるようなものじゃないかと」
ヨランが付け加える。
「本当に、作り話みたいな感じでしたよ。僕も入学したときに、この枯れ木の話についてはアミクから聞きました」
「そうなの?」
「ナーナティカは聞いたことがないですか? 中庭にある木を見つめると、人が枯れ木に変わってしまう呪いがかけられるって話です」
聞いたことがない。
ふるふると首を横に振って否定する。ナーナの代わりに、テトスが「ああ」と声を上げた。
「俺もベイパーから聞いたな、それ。実際、そんな木はなかったんだよなあ」
「調べたんですか」
「気になるだろ。聞いてすぐ行って確かめた。なーんにもなかった」
テトスらしい。
片手をぱたぱたと振って、つまらなそうに言った。
「まあでも、念のためだ。他の話も含めて、またベイパーたちに聞いてみるか。お前も同室のやつに聞いてみろよ。情報通がいるだろ」
テトスがそう言いだした時点で、すでにテトスの中では決定事項だ。
(聞かなかったら、また調べろ、聞けってうるさそうだもの。しかたないわ)
それにナーナとしても気になる情報だ。
木に巣くう危険生物が出ている最中で、木にまつわる話が出てきたのだ。たとえ関係はなかったとしても、昔から伝わっているとなると、なんとなく知りたくなる。
「わかったわ。聞いてみるだけ、聞いてみる」
「よし。ヨラン、あとは現地調査だ。探しに行こうぜ。この後空いてるだろ」
ナーナの返事を聞くが早いか、テトスは立ち上がるとヨランを誘った。
ヨランもとくに断ることなく、その誘いを受けるとナーナに「また」と声をかける。そして二人して連れ立って部屋を出て行った。
意外にも、ヨランはつまらなそうではなく楽しそうであった。
(男の子って、やっぱり冒険や探検が好きなものなのかしら)
図書館でゆっくり本を読むほうがナーナは好きだ。旅行や散歩も好きだが、あちこち散策するのは疲れてしまう。
(古い怪談かあ……モナ、怖い話苦手なのよね)
これから聞くだろう相手のことを考えて、ナーナは椅子に深くもたれた。
ご機嫌取りに手土産が必要かもしれない。
そしてその予想はまさしく当たった。
ナーナがたずねると、モナに甲高い声で文句を言われた。
「いやだ。怖い話はしませんわよ!」
怪談の単語が出た瞬間、表情が強張った。取りつく島もなく素早い動きで、モナは両耳をふさいだ。
「最近、怖い目にあったから余計に怖がりになっちゃったのかもねえ」
それを眺めていたミミチルが、肩をすくめている。
「ミミチルは知っているかしら?」
「古くからある話なら、ナーナが聞いていたものと同じものしか知らないかな。付け加えるなら、尖塔の吊り縄がこの寮の話ってだけ」
「そう。ありがとう」
「どういたしましてぇ」
のんびりと返して、ミミチルは耳をふさいでいるモナを揺すった。
「モナ、怖い話終わったよ」
「……本当に終わったかしら? ねえ、あとから、後ろにいるとか言いませんこと?」
「言わない言わない」
ナーナが思っていた以上にモナは怖がっている。下手に話題に出すべきではなかった。
(何か、気晴らしになるようなもの……あっ、あるわ。使ってあげたほうがいいかしら)
申し訳なくなって、ナーナは自分のところから小瓶を取ってモナへ差し出した。ジエマからもらった、ネルネの粉末薬だ。
「あら。これって、どうしましたのナーナ」
「モナ。怖がらせてごめんなさい。これ、楽しい夢を見れるお薬。レラレの商会からいただいた物だから、怪しいものじゃないわ」
「それって、人気の薬じゃない?」
ミミチルが興味津々で聞く。
「そう。長く持たない薬だけど、勿体なくってなかなか使えてなくって。この際、皆で飲んで、楽しい夢を見ない?」
ナーナが提案すると、モナとミミチルは顔を見合わせて、にこりと笑った。
「まあ! それなら、喜んで! 怖い思いをした甲斐があったというものですわ!」
「私、新種の虫の夢が見たいなあ」
二人が喜ぶ様子に、ほっと息を吐く。
(この薬があって良かった。もしかして、こういうことを見越してくれたものだったのかしら)
ナーナは手元の小瓶を軽く振って、大事に握りしめた。
「寝る前のお茶に一杯ね」
*
夜。
粉末薬を服用して、あとは寝るだけといったタイミングで、ナーナはベッドサイドの机を見て気がついた。
ぼんやりと鏡が光っている。
卓上の魔法具の鏡だ。薄い板と木片をくっつけただけの簡単な立鏡が、薄く輝いて明滅していた。
ナーナはそれに気づいてペンで鏡面をつつく。すると鏡面はつるつるとした面に変化して、文字が現れた。
『話は聞けたか?』
テトスの文字だ。
『ちゃんと聞いたわ。ヨランから聞いたものと同じよ。吊り縄の詳しい話を聞けたくらいかしら』
ナーナが返事を書くと、すぐに反応が返ってきた。
『なんだ。それなら収穫なしか』
『そういうそちらはどうなの』
『生徒は大体ヨランと同じくらいの内容だったが、重要な情報を手に入れた』
なんだそれは。ナーナが書き込むより先にテトスの書き込みが続く。文字は乱雑で早い。
『スピヌムが知っているらしいぜ』
『それ、どこからの情報なのよ』
『本人。探検中に出くわした。そうそう、ついでにナーナを医務室に呼べって言われてたんだった。明日行くぞ』
『なんで』
『お前、予後の経過を見せに来いって言われて行ってないだろ』
思わず返事の手が止まる。
医務室で過ごして、ようやく寮に帰れるようになったときのことが蘇った。
スピヌムは診察を通して、魔法の使いすぎによる体力の消耗にしては妙だと気づいたのだ。
通常、この世界の人類には、魔法を使いすぎると無意識にストップをかける機能が存在する。力ある文字を扱うのに、神経を使うためだ。
そのため使い続けると、ひどい疲労感に襲われる。
──ナーナには、この消耗を警告する機能がほとんど働いていない。生まれながらにそうだった。
そのため、何度も疲労しては倒れ、回復、さらに倒れ、回復……といった、文字通り血を吐く過酷な訓練じみた日常生活を、乳児期からずっと過ごしてきたわけである。
だからこそ辺境一の魔女と自負できるほど、魔法の腕が磨かれたのだ。当然、自分の命を犠牲にするまではしない。そのくらいの見極めはこの年まで生きて、学んでいる。
(性格はともかく、熱心な名医なのよねえ。スピヌム先生って)
医務室に居た時、本来なら医務室にしばりつけておきたい症状だと言われて、ナーナは全力で拒否した。療養生活が終わった後、即座に寮に戻ったのだった。
『忘れてくださるかと思ったのに。わかったわ』
『安心しろ。心優しいお兄様が付き添ってやる』
『意地悪な弟ではないの? ちっとも心配していないでしょう』
『これくらいで簡単にくたばらないっていう信頼だが?』
文字だけで嫌味だと分かる。ナーナは口元を曲げて、苛立たし気にペンで文字を書く。
『それはそれは、どうもありがとう』
『あとヨランも行くってよ』
『なんで。無理に連れて行くっていうなら、やめてあげてちょうだい』
『自分から言ってたぞ。お前がひ弱だってバレたんだろ。よかったな、嫌われてなくて』
テトスの言う通りかもしれない。
前回の事件ではヨランの前で体調を崩して医務室送りとなった。それを気にした真面目なヨランは、無視できなかったに違いない。
だが、それとは別にテトスの言い方にかちんとくる。ナーナはスン、と表情を落として言い返した。
『ええ、よかったわ。少なくとも、ティトテゥスよりは好かれているでしょうね』
『いや、俺のほうが好かれているが?』
あとはもういつもの軽い応酬である。
双子のどちらがより人望があるかをひとしきり言い合って、不毛だとどちらともなく気づいて、その日は終わったのだった。
そして、残念なことに期待していた夢見の効果は現れなかった。
三等分して量が規定ではなかったからなのか、目を閉じるとすぐに眠ってすっきりと目が覚めただけの効能になっていた。よく寝たため、体調はすこぶる良い。
損をしたような、そうでないような。
微妙な気持ちで、ナーナはベッドから起き上がることになるのだった。




