7 助言と休みの終わり際
長い休みの終わりに近づくと、途端、戻り始めてきた生徒たちでにぎやかになった。
人が多いと、厳しかった寒さも和らいだ気になる。実際、季節は暖季に向かっているので、休み前よりはいくぶんか温かくなっていた。
ナーナは久しぶりに会う生徒たちと軽く挨拶をしてから、テトスと合流してフスクスの部屋を訪問した。課題提出のためである。
別々で渡しても良かったが、それではフスクスの手間になると二人で考えての合理的な結果だ。決して仲良しというわけではないと、ナーナは誰に聞かれたわけでもなく言い訳をする。
二人は揃って提出をして、部屋の執務机に向かっているフスクスの前に並んで、姿勢よく待つ。
「確かに受け取りました。本も丁重に扱っていたようで何よりです」
フスクスが二つの本の背を撫でて、机に置く。
それから受け取ったナーナたちのレポートを取り上げ、にこりと微笑んだ。目尻に小皺が出来ている。出来はフスクスから見ても上々のようである。
「ブラベリは規則と構築式、チャジアは……防衛と抜け道。どちらもよく出来ています」
「ありがとうございます」
「光栄です」
ナーナとテトスがそれぞれ答えると、フスクスはレポートを重ねて丸めた。
「私からの課題は以上となりますが、何か質問がありますか」
「あ、では、先生。よろしいでしょうか」
「どうぞ、ブラベリ」
フスクスの機嫌は悪くなさそうだ。これなら、聞いても多少のことで叱責はないかもしれない。
ナーナは改めて、課題をもらってから感じていた疑問を口にした。
「貸していただいた本のことです。この本は、もしや領主様からでしょうか」
質問に答えはない。
笑みを作って、フスクスは沈黙した。物言わぬ圧力を感じる。
「記述も、保護の魔法も、通常では考えられないもので……」
にこ、とフスクスは微笑んだままだ。ナーナは尻すぼみになって言葉を止めた。
(や、やっぱり本物なんじゃない!)
隣に立つテトスに目くばせすると、これ以上聞くなとばかりに、小さく「しっ」と言ってきた。
「これは、単なる貴重な本ですよ。わかりますね、ブラベリ」
言い含めるようにフスクスが言う。
「ナセアーナ様のご厚意で、たまたま私が手にして、あなたがたに渡したのですよ」
ナセアーナは辺境領主の娘だ。第四女で、年のころはフスクスと同じくらいである。つまり、そういう伝手なのだ。
「過去に使われていた古い本のために、遊び書きがあったようですが……使われていたのなら、あってもおかしくはありません。当時をより身近に感じられるものだったでしょう?」
「は、はい」
「調べ、見つけだすことは大いに結構ですが、危険な箇所や考えもあったはずです。チャジアの調べにもありましたね?」
フスクスがテトスの方へと視線を向けると、テトスは直立したまま「はい」と答えた。
「損壊したまま、修繕に手が届いていないところが確かにありました」
「ええ、ええ。同様に過去の道具や魔法が処置なく放置されていてもおかしくはありません。良いですか、知ったのなら、うまく回避するように」
「はい、心得ました」
テトスの返事に、満足そうにフスクスはうなずいた。
「ブラベリも、得た知識を賢く利用するのですよ」
「はい、先生。精進いたします」
「よろしい」
ナーナにも確認を取ると、フスクスは一つ手を打った。レポートが縮小してフスクスの上着のポケットへと入っていく。そして代わりに包装された飴玉が机に転がった。
「今回の課題に関して、あなたがたの成績加点はありません。ですが、せめてもの労いをしましょう。一つずつとりなさい」
言われるがまま一つずつ取る。白い包みからほんのり甘い香りがする。
「疲労回復、頭がすっきりする薬を飴にしたものです」
単なる飴玉ではない。ナーナは包装された包みに複雑な構築式があるのを見て取れた。テトスも香りに心当たりがあるのか、やや動揺したように大事に飴玉を手のひらに持っていた。
「もうじき、学園も始まります。それに合わせて騒ぎも起きているようですから、気をつけてお過ごしなさい」
「騒ぎって、あれですか、魔法生物の」
テトスがたずねると、フスクスは口を曲げてわかりやすく顔をしかめた。
ナーナはテトスをつついて小声でたずねる。
「なに、それ」
「戻ってきたベイパーから聞いたんだよ」
「もう広まり始めているのですか。混乱する前に指導が必要かもしれません」
ふう、とフスクスが息を吐く。
「中立特区内に、危険な魔法生物の目撃情報があったのです。こうして生徒の話にのぼるのなら、対処を急がねば」
「それはどんな魔法生物なのでしょうか」
ナーナがたずねる。フスクスは、難しい表情で説明をした。
「他の生物に寄生し、内側から切り刻み綿状にして巣くう虫型です。報復行動が目立つようですから、見かけたとしても安易に手を出さないように」
そこで言葉を切ると、ナーナとテトスをじろりと見る。
「いくら辺境で魔法生物の討伐をしたことがあるからといってもです」
ナーナはテトスとちらと見合ってから、従順にうなずいた。
「はい、勿論です先生」
「気をつけて行動します」
しばらくして、フスクスは「話は以上です」と言った。
ナーナたちは口々に飴の礼を言ってから部屋を出て、歩き出した。
どちらともなく、部屋を出てから飴玉を改めて取り出して見せあう。
「ねえ、この飴」
「高級薬の飴だぜ、間違いない」
「疲労回復だけじゃないわよこの効能。ちょっとした運も良くなるやつよ。包装の構築式に消化まで効能維持ってあったもの」
「俺の小遣い稼ぎ何回分になるんだこれ。とっておくか?」
「こんなに複雑な構築式でただの紙に包んでいるんだから、もってせいぜい数日くらいよ。大事にとっていたら効能切れになるわ」
そして数秒黙って、互いに飴を口に含んだ。
「あ゛ー、この味。苦うまい。薬って感じだ」
「味の改良をしたら、もっと価値が上がりそう……うん、スーッとしていいわねこれ」
口の中で転がしながらひとしきり感想を言い合う。
「運がよくなるなら、ちょっくら回ってくるか。じゃあな、ヨランが来たら図書館で」
「はいはい。またね」
テトスが思いついたとばかりに、指を鳴らすと片手を振ってさっさと歩き出した。
それを待たずに、ナーナもまた寮に向かって戻るために足を動かした。
*
「ひっ、くし!」
冷えた空気にやられた。
ヨランは鼻をすすって荷造りをしていた手を止める。
長い休みで勉強に追われない代わりに、家業の手伝いで埋まった日々であった。商売の勉強といえば聞こえはいいが、使い勝手のいいただ働き要員だとヨランは思っている。
「ヨラン、終わったらこっちだ」
名前を呼ばれて顔を向ける。兄のウルイが手を振っている。
十も年の離れた兄はヨランと違って体格が良く、がっしりとしている。威厳のためか髭も蓄えており、低い声で話す姿は、とても兄弟とは思えないとよく言われる。ジエマと合わせた三人兄弟が揃っていても、兄が父かと勘違いする者もいるくらいだ。
ウルイは、手が空いているからと自ら荷造りの手伝いに名乗り出ていた。いかんせん、荷物が多いのだ。
主にそれはジエマのせいと言っても過言ではない。
姉はレラレ家の宝に等しいから、万に一つも害があってはならないのだ。特殊な異能も、知るのは限られた者だけでないとならない。
いくら歴史の長い商家とはいえ、信頼がおける使用人が大勢揃えられるわけではない。人数が増えるほど、情報が漏洩する可能性は高くなる。
単なる荷造りでも、ジエマが関係するなら、家の使用人に全て任せられなくなるのだった。
「少しは姉さんにもさせたらよかったのに」
「お前、わかっているのにそう言ってやるな。ほら、あとこれだけだ。あのとき手伝ったのだから、大人しくやるんだ」
近寄って、詰め込まれた荷物を眺めてヨランはぼやく。
すると、たしなめるように言われた。まるで子ども扱いだ。
それでふてくされると、この兄はほんの小さな子どもみたいに頭を撫でたりあやしたりしてくる。それが苦手だった。
(確かに、家のものから材料を融通してもらったけど。大体は僕がやったのに)
不機嫌そうだとわかったのだろう。ウルイは「しょうがないさ」と言う。
「うちの販路に、危険生物の情報が上がったんだ。ジエマがそれの予知をする可能性があるなら、母さんたちは直接見張るに決まっているじゃないか。他の者に任せられないだろう」
「わかってるよ」
「それに、辺境の二人組がうちの弟妹と仲がいいのも気になってるんだよ。お前も聞かれたろう?」
ウルイはヨランの腕を指した。利き腕に嵌まっている橙色の腕輪は、今もしっかりと存在を主張している。
「いい子か?」
「え? は?」
ヨランは思わず大きな声で反論しようとしたが、やめた。逆に意識している風にとられて、からかわれかねない。
一つ呼吸を静かにしてから、努めて冷静に首を振った。
「……普通に、仲良くしてもらっているだけ。出身でどうこうはないから。あと、姉さんもそこを気にしてはいないよ。ただの友人」
「なんだ。そうか。ジエマが話していたのとはまた違うのか」
あっさりと納得したウルイは、また確認作業に戻った。
「まあ、学園は狭いようで広い。伝手も関係も、広げれば将来に役立つ。信頼も信用も培ってお前の将来に生かすといい」
「兄さんはそこで出会いを見つけたって話はもう聞いた」
「はは、その通りだ。ほら、お前も確認作業を手伝ってくれ。明日出るために、万全にしておくんだ」
リストをチェックするための用紙をヨランに手渡して、ウルイは後方で片付けを始めている使用人に指示を飛ばし始めた。
(販路の危険生物って、よほど厄介なのが出たのか? 防護の道具がやたらある。また、何か起きないといいけど)
手紙を送ってきたナーナとテトスの顔がヨランの頭に浮かぶ。
なんとなく嫌な予感のような、落ち着かない気分がする。
ヨランは、腕輪をそろりと撫でる。身を守る魔法とやらで、不穏な出来事も遠くにいってくれたらいいとぼんやりと思うのだった。




