13 同物同治のうろこ剥ぎ
つんざく悲鳴が耳に刺さる。
悲鳴の主は、縛り上げられて地面に転がされているホリィ・ムーグだ。
彼女自慢の赤金色の長い髪が振り乱れるのもかまわず、蠢いて金切り声を上げ続けている。
つい先ほどされたばかりなのか、脚には逃げられないように細長い杭が一本差し込まれて流血していた。
その先では、モール・トイットが脱力した状態で台に乗せられている。上着は脱がされてはいるが、こちらはムーグと違ってまだ物理的な怪我は出来ていないようだった。
むき出しの洞窟内には似つかわしくない、清潔そうな台だ。手術台なのかもしれない。台の近くには器具が置かれた収納台が備え付けられている。
少し開けた部屋は、まるで天然洞窟を利用した治療室みたいだと思わせた。
(まだ気づいていない。ムーグの悲鳴のおかげか)
中年の男が一人、流し台らしきところで作業をしている。ぶつぶつと鼻歌混じりで、日常の延長線にでもいるかのようだ。
悲鳴に慣れているのか、こちらをちっとも気にしていないのは都合がいい。
テトスは適当な地面に落ちた小石を拾い、男へと音もなく投げた。
無防備な後頭部に当たって、一瞬の硬直をして、倒れる。
ついでに、ムーグのほうへも投げようとして、テトスは手を止めた。
同時にナーナが干渉して眠る魔法をムーグへかけていたからだ。
『ティトテゥス、奥にもう一人』
「奥? どこだ」
言われてテトスが視線を彷徨わせる。すると、男が立っていた流し台のあたり、その奥に小道が続いているのを見つけた。
しかし、そこへテトスが足を向けるより早く、一人の女が現れた。
「あら」
女は、いたって顔色も変えず、予想外のお客を目にした家の者のような態度だった。
敵愾心もなく、怯えもない。むしろ、受け入れるような穏やかな表情を作るとふんわりと微笑んだ。
学園で目にしたときと同じように。些細な怪我を見るときのように。
テトスが見たときとまったく変わらない様子で、アコルセリが立っていた。
白衣に薄い汚れが散っている。ふわりと場違いなほど甘ったるい香りが鼻先をかすめる。
それはどこからだと視線で探ると、手元におよそ日常では使わないような古い裁ちばさみが握られていた。そこから嫌な臭いがする。
「あなたは……チャジア。そう、チャジアでしたね。意外と乱暴だったなんて、残念なことです」
いたずらをした子どもを優しく叱るように言うと、アコルセリは倒れている男の元へと歩いた。そして指先で脈をとって「あら」と意外そうな声をあげた。
「生きてはいるのかしら。まだ使えるのね。そう、本当に腕のいい生徒なのですね。素晴らしいわ」
「それはどうも」
「仲が悪いかと思っていたけれど、お友だちを救いに来るとは情にも厚かったのねえ」
「まあ……そうだな」
面倒になったテトスが否定せずにいると、アコルセリはテトスのほうを向いて目を輝かせた。表情もあからさまに明るく、声も喜色を浮かべている。
「ますます素晴らしいわ! ええ、そう。純人ならそうでないとならない! あなたのように!」
歓喜に体を震わせて、アコルセリは言う。立ち上がり、くるりくるりと夢見心地でステップを踏む。
しかし、すぐさまストン、と喜びの表情は哀切に変わった。
「ああ……辺境出なのがますます惜しい……本当に、本当に惜しいことです。出自は、私たちの治療ではどうにもなりません」
「どういうことだ」
テトスが聞き返すと、アコルセリは困った風に眉を下げ、悲しそうに言った。
「純人だというのに、知識もない頭足らずが多いのです」
アコルセリは鋏を片手に、ゆるやかに歩きながら、治療台に寝そべるトイットに近づく。
「怒りを抑えることもできずに、獣のように暴れるばかり。良識もない、良心もない」
腕、肩、顔に手で触れ、額へと上がった指がトントンとつつく。そのあとをゆらゆらと鋏の刃がなぞる。
「なれば、彼らは純人の形を持つだけの可哀想な欠陥品なのです。それならば、異形を治す役に立つほうが、まだ世のためでしょう」
「治す?」
「ええ、純人の物と入れ替えを。心根の善良な者が、正しい形を手に入れる。それは治療に他ならないでしょう?」
何を言っているのだろう。テトスが意味を理解する前に、話を繋がり聞いていたナーナが強張った声で呟いた。
『まさか、都でのバラバラ事件も?』
「彼らがいなくなって、誰か困りましたか? 自治組織は仕事をするでしょうが、彼らに関わった人々は皆、心が安らいだでしょう? 彼らも、これ以上に悪心を振り撒くこともなく疎まれることもない」
ナーナの言葉に応えるかのように、アコルセリが続ける。
「何より、純人に近づけることは喜ばしいことでしょう?」
「ちっとも喜ばしくないな」
「辺境の者は理解できない感覚ですか。教育の差、育ちの差はこんなに……だから大いなる意志が、あのとき背を押してくれたのでしょうね」
話が通じるのに、理解が追いつかない。
独自の理論で動く、理の外れた人間が目の前にいた。
「ですが心をこめて話せば、理解してくれるでしょう。これまでのように」
すっとアコルセリの指先が、トイットの頭からテトスの方へと動いて差し出される。
途端、左目の奥で、軽い音がして弾けた感覚が走り抜けた。同時にテトスもその場を反射的に飛んで避ける。
『やってくれるじゃない』
ガリガリとかみ砕く音をさせながら、腹立たし気にナーナが言う。
『ティトテゥス! ぼうっとしてないで! 幻と惑いの魔法が飛んできたじゃない。片手は陽動! 媒介は鋏!』
「発動しても、ちゃんと避けれてただろ。問題ない」
『発動より先にどうにかしたほうがいいに決まってるでしょう!』
ナーナの声が耳を通り抜けて頭を揺らす。
耳を塞いでも意味がないので、テトスにとって余程こちらのほうがやっかいな魔法である。
「なあ、一つ聞きたいんだが」
「ええ、なにか?」
こんな状況にも関わらず、アコルセリはなおもテトスを前に困った子どもを相手にするようだった。ほんのわがままを仕方のないと見守っている、そんな風に。
「シエギ・ウッドに毒を飲ませたのか」
「ああ、あの子」
アコルセリは微笑んだ。しなやかな指先が、脆いものにふれるかのように鋏の刃を撫でている。
「よき理解者の一人でしたよ。言われなき苦しみを背負う家族こそ、真摯に聞いてくれますからね。一族が、自分が純人たりえなかったことを悔いていました」
「姉を思いやっていたのか?」
「あの子なりの思いやりはありましたとも。そこを汲んでこその治癒士ですから。純人たろうとするからこその苦しみ。だから相談にのりました」
「それで何をした?」
「あの子が言ったのですもの。姉を見ていられないから、逃げてしまいたいと。話し合ってすぐに荷物を持って転がりこんでくるくらいに、追い詰められていました。姉が哀れと、己も哀れと、苦しんで」
「毒を渡したんじゃないのか」
「苦しんでいたからこそです。よく手伝ってくれましたよ。手作業は気を紛れさせるのにちょうどいいでしょう?」
アコルセリの目線が一点の壁に向かう。
そこにあるのは華奢な足だ。白い肌のふくらはぎよりも下、そこにぽつぽつと斑点のように傷ができている。
「あの子と一緒に、彼女の足を入れ替えて、異形たるうろこを剥いであげました。そうして、お薬にしてさしあげたのに」
『身内にあんなことをさせたの!? 毒を飲んで、強い精神的なショックで我に返ったのよ。だから……!』
――シエギ・ウッドは逃げだした。
ナーナの言葉とテトスの結論が重なる。
「あんたがしたのは、ただの犯罪だ。治療じゃない」
「いいえ、助けたのです。私は間違いなく治療をしています」
「これまで何人殺したんだ」
「ですから、有効な治療の礎になっていただいたのです。彼らも本望でしょう。皆、だれもが私の話を聞いて手伝ってくださったのですよ」
「都の貴族や子どももあんたがしたんだろ」
「聞き分けのないことを」
アコルセリは失望のため息をついた。しかし、つきたいのはこちらも同じだった。
『ティトテゥス』
「言われなくても!」
名前を呼ばれ、テトスは飾り紐をふるった。
アコルセリの抵抗する隙も与えずに、素早く巻きつけて転がせる。
喋らせる時間も勿体ない。話したところで理解もできない相手に割く時間はいらない。
自分自身を正義とも思わないが、この時ばかりは腹立ちとともに胃の腑の底を燃やす炎があるとテトスには思えた。
それは片割れであるナーナも間違いなく思っている。
左目が熱い。
熱を帯びて、粘膜を潤ませる生理的な涙が溜まる。
『≪眠れ。幻に惑い、繋げよ≫。ティトテゥス、復唱!』
「≪眠れ。幻に惑い、繋げよ≫!」
飾り紐を媒介に、アコルセリへと魔法がかかる。
当然、反撃に展開される魔法を、魔法構築式を覗いたナーナが指示を飛ばす。
『まどろっこしい、変えるわ!』
(《右に払う! それから左上。右下!≫)
言葉より早く、頭にナーナが魔法で干渉してきた言葉が入りこんでくる。
それと同時に、寸分の狂いもなくナーナの望み通りテトスが指先を動かした。テトスを媒介にしてナーナの干渉魔法が働く。
双子だからできる、自身の体を媒介にした強制接続による一部の一体化。テトスの骨ばった指先へ華奢な指先が重なる。
(《下、上っ、そのまま前に、お返しっ!》)
視界に踊る文字たちが姿を変えて、アコルセリの元へと収束した。
やがてアコルセリは静かに目を閉じた。
あたりには、深い寝息が響く。
「……いい夢を見れると思わないこった」
これから間違いなくとびきりの夢を見続けるだろう。
呪いに近い、かぎりなくグレーゾーンな魔法をかけた。
アコルセリに繋がるように仕向けたのは、壁に飾られている者たちの記憶だ。そして、今も熱に浮かされている、イニエたち患者の恐怖だ。
ナーナがかけたと後から思われないように、アコルセリが放とうとした魔法を干渉し改変して、自らに使ったようにみせかけた。若くして辺境一の魔女と名されるに、ふさわしい技量だった。
『証拠だけは、残さないように、してよね』
体力のないナーナは息切れを起こしているようだ。
短く息をしながらの声に、「わかっている」と短くテトスは返す。
「壊すのは得意なんだが……そういうわけにもいかないよなあ」
そうして、テトスは辺りを見回して一息ついた。
ついで、アコルセリの手から落ちた鋏を踏み壊す。せめてもの腹いせである。
この不快な場所も、物も、きれいさっぱり壊すくらいでないと腹の虫は治まりそうになかった。だがそうなると、誰が何をしたのかといらない詮索が入ってしまう。
(よし、小細工するか)
倒れたままのムーグの足から細杭を抜いて抱え運ぶ。そして、手術台の傍へもたれかかるように配置させる。ついで、アコルセリたちと争った形跡を適当につける。
それが十分にできたと判断すると、テトスは台の上に居る意識のないトイットの頬を軽くはたいた。
「起きろトイット。お前に手柄をわけてやる」
やがて間もなく。
迫真の叫び声が空間に響いた。




