10 施療院へ
「あら? 遅くなったかしら」
馴染みの図書館の小部屋に入ると、すでにヨランが待機していた。
定位置の席に座って本を開いている。
机には地図にまっさらなノート、筆記具が整えられており、すでに準備ができているようだった。
「いいえ。僕が気になって早く来てしまったんです」
「準備をありがとう。助かるわ」
言いながら、ナーナもいつもの席に腰かけて、持ってきた道具を机に広げた。
学園外の距離となるため、魔法の安定性向上目的であつらえた媒介具。それからこっそりと持ち込んだ、手で摘まめる大きさの飴玉を小さな袋いっぱい。
菓子にヨランの視線がいっているのに気づくと、ナーナは笑いながら説明をした。
「情報をたくさん処理することになると、甘いものが欲しくなっちゃうの。お行儀が悪いけど、見逃してちょうだい」
「言ってくれたら用意をしたのに。他にいるものはないですか?」
「いいわよ、そんなこと。自分のことだし、ヨランには花の準備でお世話になったもの」
「手配をしただけで、そこまでの無茶ぶりではなかったですから。大したことはしていません」
「そうなの? 昨日の事前準備をしたときに見たけれど、すごい量だったじゃない。レラレって、本当にやり手の商家だって思ったわ。それともヨランが凄いのかしら」
「ええと……ありがとうございます」
そう返したヨランの耳は赤い。
じっと見ていたらうつむいてしまったので、ナーナは話を切り替えるために媒介具を手に取った。
手のひらくらいの金属の輪に、細長く切り出したような形の石が連なっている。色は濃淡の差はあるが、すべて黄色や青みがかった鉄色である。
これはテトスとナーナを繋ぐ補助具となるものだった。石にそれぞれの髪を混ぜこんで精製したものだ。
「さて……ヨラン、もし異変が起きたら教えてね」
「あ、はい。聞こえたものの書き取りも、ですね」
「ええ。頼もしい限り。じゃあ、始めるわよ。≪繋げ≫」
気を取り直したヨランが筆記具を広げる。
それを見てから、息を一度吸って吐いて、ナーナは魔法を使った。
媒介具が奇妙な振動をしはじめる。
「ティトテゥス。聞こえていたら、そっちの媒介具を触って」
口に出した言葉を魔法で送る。
そっちの媒介具というのは、出発前にテトスにつけさせた耳のカフスのことだ。
すると、数秒の間をおいてから机の上の媒介具がリン、と軽い音を立てた。
問題なく魔法が使えているようだ。軽くナーナはうなずくと続けて質問を飛ばす。
「今から、あなたの身に着けている媒介具に干渉して、あなたの声をとれるようにする。すこし痛いけれど我慢して……≪さらに繋げ≫」
媒介具の石が淡く輝いた。
それからまた少しして、不満そうなテトスの声が石から聞こえてきた。
『なあにが、すこしだ。こん棒でぶん殴られたかと思ったじゃねえか』
無事に繋がったようだ。憎まれ口のテトスに呆れながら、ナーナは言葉を返す。
「便利な代償よ」
『お前の声だけ聞こえるのか。随分な贅沢だな』
「魔法構築の条件で、それが一番早くて楽なの! もう、遠回しな嫌味はいいから。花は無事に届いたかしら」
『いいや。これから……門前に入る。俺はいったん黙るぞ』
「わかった。花のほうに聴覚を切り替えるわ」
息を整える。
ナーナは続けて、意識を集中して魔法を使った。
音に反応をする花に、聴覚をリンクさせる。
このために、事前準備としてあらかじめ花にナーナの髪を溶かし混ぜた水をたくさん吸わせている。一日も絶たずに水は抜けるため、証拠隠滅にもってこいである。
「≪我が身の一部を辿れ。聴覚を共鳴せよ。音を集めよ≫」
瞬間。
ナーナの耳にあふれんばかりの音の洪水が届いた。
「んぎっ」
思わず舌を噛みそうになった。
ナーナは慌てて自身の耳に保護魔法をかけて調整をする。
(驚いた。こんなに小さな音まで拾うなんて……)
花に潜んでいた小さな虫の足音や風に揺れる花びらの音と、とにかくにぎやかでならない。
音量の調整をしてもめまいがしそうなほどだった。
常人より情報の受け止めが可能な頭でなければ、たちまちに爆発するのではないかと思うほど騒がしい。
「ナーナティカ」
心配そうに名前を呼ぶヨランに、大丈夫と笑い返す。しかし、ヨランはますます眉を寄せて言った。
「音がよく聞こえる感覚は、わかります。僕がそうですから」
表情はしごく真面目で、ナーナを慮っているとわかった。
「その魔法、僕に共有することは出来ますか。お役に立てると思います」
「……思った以上に耳に障るわよ?」
「僕は生まれつき、先祖返りで耳がいいんです。大丈夫ですから」
強い口調で言うヨランに、ナーナは軽く両手を上げた。
「わかったわ。手を貸して」
繋ぐ魔法は、遠隔地でなければひどく難しい魔法ではない。
子どもが初めて魔法を使うときの、感じた気持ちをぼんやり伝えるものだったり、暑さ寒さをほんのりと感じさせるくらいのレベルだ。
さらにそこから細かな感覚や思考になるとグンと難易度が跳ねあがるのだが、そこは干渉魔法が得意なナーナにとっては軽いものだった。
「聞こえる?」
「はい……すごい、本当に煩雑だ」
利き手でないほうの手を拝借して、軽く握る。ナーナならそれだけで十分に干渉できた。
実際の光景が見えるわけでもないのに、ヨランが目をすぼめて呟く。
(半分負担を肩代わりしてもらっただけで、大分楽になったわ……言い出してくれて助かったかも)
ナーナを音情報の受容体にして、大量の受け取った情報処理の半分をヨランに投げる。
その効果は劇的だった。
「話し声が聞こえます……施療院の人でしょうか」
「やっぱり中には入れないのね」
花たちが拾った声で、ベイパーが手紙を渡して交渉をしているが芳しくないようだ。
ベイパーの声は、聞いているこちらが胸を痛めてしまうほど張り詰めている。しかし、規則を持ち出され、散々粘ったが駄目だった。
カロッタ家の意向で花を院内のそこかしこに飾ることが了承されたのは、せめてもの慰めだろうか。すぐにでも飾るとの言葉通り、花たちはどんどんと運び出されていった。
(仮にも医療の場所だっていうのに、生花をあちこちに飾るのはいいのねえ……)
ざわざわと耳朶に伝搬する音を流しながら、ナーナはやはりこの施設は治療とは程遠いのではと疑念が深まった。
そう思っていると、おもむろにヨランが空いた手で何かを書き始めた。
時折迷いながら、いくつも線を書き足し形を作っていく。綺麗な線ばかりではないが、見守っていると穴抜けの箇所はあるものの、間取りであるとわかった。
「……運ぶ人の足音でなんとなくの感覚ですが、大体あっていると思います」
(すっごいわ)
ナーナは唖然とヨランの手元を見た。
間取りはどんどん明らかになっていく。まるで魔法の地図のようだとナーナには思えた。
「建物は上は二階まで……音がこもっているところがあるので、締め切っているのか地下収納か。そのどれかがあるのかもしれません」
そしてナーナのほうを向くと、ヨランは「それから」と言った。
「聞こえますか。アコルセリ治癒士の夫が医師を務めているようです」
「ええと、ちょっとまって」
耳をすまして、いくつかの波長を取捨選択すると、やっとそれらしき会話を拾えた。
どうやらベイパーたちのことについておしゃべりに興じているらしい。
(どれどれ? 「入院患者の見舞いに来た学生さん、アコルセリ先生の奥様がいる学園ですって」ってやつね。まあ、誰も部外者がいないからって口が軽いこと)
閉鎖されたような環境だからと、ずいぶんと情報の扱いが緩いようである。
ほかにも、カロッタ家の御心づけがあるから必ず言いつけ通りにしなくては、とも話している。その言葉通りに、花はあちらこちらに運び飾られているようだった。
「……ねえ、治癒士たちの声は聞こえるけれど人数がずいぶんと少ないのね。それに患者の声がよく聞こえないわ」
「寝息らしきものが聞こえます。それから呂律の回らない声がいくつかと。眠っているか弱っているかだと思いますが……」
互いに感想をこぼす。ナーナはそろりと横に視線を向けると、同じくしていぶかしむヨランの視線とかち合った。
怪しいと思うが、証拠が足りない。
しばらく聞いていると、この治癒士たちはあまりものを知らない娘たちだとわかった。
新聞では選りすぐりの技術者だと喧伝されていたが、彼女たちではなく医師のことなのかもしれない。
人数は三人くらいで、通いこみの交代制で仕事をしているらしい。金払いもいいが人手が少なく、患者は痛ましい者が多いのが難点だと姦しく話している。
治癒士たちは、基本的には中立を保って職務を全うしているようだ。負った傷を悼み、追いやられたことに同情し、介助を行っている。
(異形持ちで暴走を起こしたなら弱るのもわかるけれど、そういうもの? でも、全員が全員そうなるのはやっぱり気になるわ)
ナーナの知る故郷の異形持ちたちは、誰も彼も元気が有り余っていた。
それに、この施療院に集められた者たちは全員が暴走を起こした者ではないはずだった。特にベイパーの元婚約者は、足に鱗が数枚あった程度で生活していたという。
考え込んでいると、不意に机に置いていた媒介具が震えた。
『今、橋の街に着いた。ベイパーたちは先に学園に帰すところだ』
テトスの声だ。
『そっちはうまくいったか』
「ヨランのおかげで施療院の大まかな間取り図が出来たわ。あとはいくつかおかしいところがあるかもってところ」
『地図があるなら、安心して忍びこめるな。おかしいところは向かいながら聞く』
「止めても行くと思っていたわ。目を少しの間貸すから、その間に覚えてちょうだい」
ナーナは、施療院の様子を話して聞かせた。それから、ヨランが作った間取り図を見て、テトスに視界の共有をした。
『期待以上だ。じゃあ、ここからは俺の仕事だな。補助は任せた』
そう言うと、テトスから届く言葉が途切れた。おそらくすぐに行動をし始めたのだろう。
ナーナはヨランに目くばせした。
「私たちも、もうひとがんばりしましょうか」




