『好き』の温度
「先ほどのクラリスさん……何だか、意地になっているだけのように見えましたわ……」
カフェからの帰り道、王宮の馬車に揺られながら、アリスがボソッと呟いた。
「ああ。冷静な判断ができているようには見えなかったな」
アリスの隣に座ったウィルも頷いた。
「……それだけクラリス嬢が受けた傷が深いということでしょう。あの医師達の愚かな行動のせいで……くっ、やはりこの手で引導を渡しておくべきでした……!」
二人の向かいに座ったアンソニーの声には隠しきれない怒りが滲む。
「あの……アンソニー様は、クラリスさんのことはもういいんですの?」
アリスが躊躇いがちに聞いた。
「私は…………何よりも、クラリス嬢が笑っていてくれることを望みます」
少し言いよどんだ後、アンソニーはきっぱりと言った。
「トニー……」
「ポールの側にいるのがクラリス嬢にとっての幸せであるのならば、私はそれを叶えたい」
アンソニーはどこか寂しそうに微笑みながら、車窓を流れる景色に視線を向けた。
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「ジャン様、イメルダ様、送っていただき、ありがとうございました」
「助かったぜ。ありがとな」
ドットールー侯爵家の馬車で食堂まで送ってもらったクラリスとポールが頭を下げた。
「帰り道だし、お礼を言われるようなことじゃないよ」
「クラリス様、ポール様、また明日学園でお会いしましょうね」
イメルダとジャンがにっこり笑って、馬車の中から手を振る。
「はい!また明日!」
クラリスとポールも手を振り返し、馬車が去るのを見送った。だが、少し行ったところで馬車が停車し、車窓からジャンが顔を出した。
「忘れてた!ポールにって先生から伝言を預かってたんだった!」
「伝言?何だ?……クラリス、お前は先に店に入ってろ」
ポールが首を傾げながらクラリスに言い、馬車が停まっている所へ走る。クラリスは素直に店の扉を開けて入っていった。
「ジャン、どうした?伝言って?」
「伝言は嘘だよ。ポールが僕に何か頼みたいことがあるんじゃないかと思って」
ジャンが悪びれもせずにサラッと言う。
「全く……天使みたいな顔で簡単に人を騙すんだからな。……だが、そうだな、頼みたいことはあるな」
「クラリス嬢には知られたくないことでしょ?」
「ああ」
「なら、今日の夜、ポールの家に行くよ。食堂の仕事が終わる頃にね」
「世話をかけてすまないな」
「気にしないで。じゃあ、また後でね!」
ジャンとイメルダを乗せた馬車が遠ざかっていくのを、ポールはいつまでも見送っていた。
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「クラリス、本当にいいのか」
「もう、ポールお兄ちゃんたら。何度も言ってるじゃない。私も一緒に公国に行くって。もう編入届けも提出したし、今更王国の学園には戻れないわ」
学園の卒業式も終わり、ポールはすぐに公国に向かうことに決めた。
翌朝には公国からディミトリが迎えに来るという日の晩、ポールはクラリスの部屋にいた。クラリスは公国へ持って行く荷物の最終確認をしている。
「えーっと。服は全部入れたし、教科書も文房具も入れたし……後は……」
元々持ち物が少ないので、荷造りにそう時間はかからない。
「この本……」
クラリスはアンソニーからもらったルーマニ語の本を手にした。愛おしそうに表紙を優しく撫でる。
「大事なものだから、一番上に入れて、と……」
「それは?」
本を丁寧に鞄の中に入れる様子を見て、ポールが聞いた。
「アンソニー様からいただいたご本よ。とても気に入っているの」
クラリスがニコニコ笑いながら答える。
「……そうか」
「これでよし!さ、下に降りましょ!」
準備を終えたクラリスが立ち上がり、元気よく振り向いた。と、振り向いたすぐそこにポールが立っていて、危うくぶつかりそうになる。
「わ!びっくりしたあ。ポールお兄ちゃん、どうしたの?」
「……クラリス」
ポールは、驚いて距離を取ろうとするクラリスの腕を掴み、抱き寄せた。
「?!ポ、ポールお兄ちゃん?どうしたの?急に?」
頭の中がクエスチョンマークでいっぱいのクラリスが顔を上げてポールを見る。
「クラリス。わかっているのか?俺の『好き』は、こういうことだぞ」
ポールが辛そうに顔を歪めた。
そのままクラリスの顎に手をかけて上向かせると、ゆっくりと顔を寄せる。
「!!!」
ポールの唇がクラリスの唇に触れる直前、クラリスは思い切り顔を横に背けた。
クラリスを抱きしめていたポールの腕の力がゆっくりと抜けていく。
「あ……私……」
「な?わかっただろ?お前が俺を慕ってくれている気持ちは、俺と同じじゃないんだ。お前にとって俺は『ポールお兄ちゃん』なんだよ」
ポールは寂しそうに笑った。
「俺はクラリスと結婚したいと思っているよ。結婚して子供を作って、幸せな家庭を築きたいと。だが、クラリスは?本当に俺でいいのか?」
「私……私……」
「このままお前を公国に一緒に連れて行って俺のものにしてしまいたいと思う。でも、それでクラリスは幸せなのか?」
クラリスは呆然とした様子で、何も言えず、ただポールの顔を見つめる。
「……今ならまだ間に合う。自分の本当の気持ちから目を逸らすんじゃない」
ポールはクラリスの頭を優しくポンポンと叩くと、ドアへと向かう。
「今日は食堂で家族揃って夕食を取るんだろ?俺は先に行って準備してくるから、お前は少し休んでから来るといい」
立ち尽くしたままのクラリスに向けて優しく言うと、ポールは静かに扉を閉めた。




