侯爵家の威信をかけて
「ねえ、クラリス嬢。毎日、今くらいの時間に診察があるの?」
ポールのいる部屋に戻りながら、ジャンがクラリスを質問攻めにしていた。
「はい。今だけじゃなくて、一日に五回ほど診察に来てくださいます」
「そうなんだ。毎回、あんなにゾロゾロとやってくるの?」
「うーん、ニ、三名ぐらいの時もありますし、今日のように五、六名でいらっしゃることもありますし。特に決まってはいないようですね」
「顔ぶれはいつも一緒なの?」
「だいたい同じです。一番お年をめされた方と一番若い助手のような方は、ほぼ毎回いらっしゃいます」
「診察の時はクラリス嬢も一緒に部屋にいるの?」
「そうですね、今みたいに身体を清めて着替えをさせてくださる時以外はだいたい私もいます」
「その時に点滴を交換したりもするのかな?」
「私は交換する所を見たことがないので、恐らくそうなのではないかと」
ジャンの質問にクラリスは素直に答えていく。
「そっかあ、わかったよ。ありがとう。あ、アンソニー、ちょっといい?」
ジャンは今度はアンソニーに声をかけると、周りには聞こえないぐらいの声で何やらひそひそ話し出した。
「じゃ、頼んだよ」
ジャンがにこにこ笑いながらアンソニーの肩を叩く。アンソニーは少し怪訝そうな顔をしながらも頷いた。
そうこうしているうちに、ポールのいる部屋に到着し、一行と入れ違いで医師達が部屋から出て行く。
「ありがとうございました」
ポールの母がお礼を言い、クラリスも一緒に頭を下げる。医師達も軽く一礼してそれに応え、去って行く。
その後ろ姿をジャンが鋭い目で見つめていた。
「さてと。僕はちょっとやることがあるから先に帰るよ。メル、ごめんね、明日はアリス達と一緒に帰ってもらえるかな。アリス、ウィル、メルのことを頼んだよ。万が一メルに何かあったら……わかってるよね?」
部屋に入るなりそう言い放つと、ジャンはポールの側に行き、ポールの服の袖をまくると手早く血液を採取した。
色々とおかしな言動に、一同がポカンとしているのを気にも留めず、ジャンは涼しい顔でディミトリに声をかける。
「あ、ディミトリ、公国で一番足が速い馬を貸してくれる?今すぐ出発したいんだけど」
「……よくわからないが、それなら私の馬を貸そうか。ついてきてくれるかな」
「うん。ありがとう。あ、その前に。みんな、ちょっと離れてて……よいしょっと」
ガシャン!
ジャンが点滴液の入っている瓶をわざと倒した。
「「ジャン様?!」」
「「「「ジャン?!」」」」
全員が驚きの声を上げるのを無視して、ジャンは割れた瓶からこぼれた液体を素早く採取すると、にこやかにディミトリに言った。
「うっかり点滴の瓶を割っちゃった。すぐに替えの瓶を持ってきてもらわないと」
「うっかりって……はあ、わかった。誰かいるか!すぐに医師達を呼べ!緊急事態だ!」
最初は呆気に取られていたディミトリも、ジャンに何か考えがあってのことと察して、すぐにドアの向こうに控えている侍従に向かって命じた。
しばらくすると、ドタバタと足音が聞こえ、ドアが乱暴に開けられた。
「どうされました?!」
一番年嵩の医師がゼイゼイ言いながら問う。
「すまない。大勢で押しかけたせいで、誤って瓶を倒してしまった」
ジャンの意図を汲んで、ウィルが医師に説明する。
「え……!」
後から入ってきた一番若い医師がウィルの説明に驚きの声をあげた。
「すぐに片付けて新しい物を用意してくれ」
ディミトリが為政者の威厳を覗かせる。
「わ、わかりました!おい、君、すぐに新しい物を!」
最年長の医師が横にいた医師に指示を出す。
「は、はい!」
「あ!僕が行きます!」
指示を受けた医師が動くより早く、最年少の医師が素早く扉の向こうに消えた。
「アンソニー?」
「了解です。ミミ、いるか?」
その様子を観察していたジャンがアンソニーに目配せした。それを受けて、アンソニーはミミを呼ぶ。
医師達は割れた瓶とこぼれた液体を片付けるのに大わらわで、そのやり取りに気づく者はいなかった。
「あ、そういえば、ディミトリが馬を見せてくれるんだよね!早速行こうよ」
「ああ、そうだったね。じゃあ行こうか」
ジャンがいかにも思い出したという様子で声をあげ、ディミトリと二人で部屋を出て行く時も、部屋にいる医師達の様子は変わらなかった。
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「オランジュリー商会長を狙った男は、どこで薬物を入手したのか吐いた?」
足早に厩舎に向かいながら、ジャンが小声でディミトリに聞いた。
「酒場で見知らぬ男から買ったそうだ。だいぶ厳しく取り調べさせたが、それ以上のことは本当に知らないようだね」
「そう。じゃあさ、ディミトリにお願いがあるんだ」
「馬以外にも必要なものが?」
「物じゃないよ。ダムシー子爵の関係者をもう一度洗い直して欲しい」
「……今回の件に絡んでいるということかい?」
「あの違法薬物の開発には複数の医師、あるいは医学的知識を持つ人間が関わっていたはずだ。そんな人間が公宮に潜り込んでいたら?」
「……医師達を疑っているのか」
「それであれば、ポールの謎の昏睡状態の説明がつく」
「王国にわざわざ帰るのは、うちの研究所も信用できないからかい?」
厩舎に着き、ディミトリの愛馬の手綱を受け取りながら、ジャンはディミトリを真っ直ぐに見て言った。
「そうだよ。ディミトリのことは信頼しているけどね。今は敵の姿が見えていないからね、油断はできない」
「……」
「今回の解毒剤を作ったのは僕とアリスだ。効果も副作用もしっかり確認したんだ。あの薬で今のポールのような状態になる可能性は限りなく低い。であれば、誰かが新たに薬を盛っているとしか考えられない」
「それができるのは、公宮の医師達というわけか」
「そういうことだよ。……ねえ、ディミトリ。大事な大事なメルを置いて行くぐらい、僕は自分でも思っていた以上に、友人達を傷つけられたことにだいぶ腹が立っているようだよ……ドットールー侯爵家を敵に回したことを後悔させてやるよ」
「ジャン……」
いつもの軽い口調の中に強い怒りを滲ませたジャンに、ディミトリは何も言えず、黙ってその背を見送った。




