目覚めを待って
ウィルとアリスが王国に一度戻ってから五日ほど過ぎた週末、二人と一緒にジャン、イメルダ、エラリーの三人も公国にやってきた。
「クラリスさん!」
「アリス様?」
ポールのいる部屋に到着したアリスはすぐにクラリスの元に駆け寄った。
アンソニーはウィル達が到着してすぐにディミトリに呼ばれたため、部屋にはポールとクラリスしかいなかった。
「クラリス嬢……」
やつれた様子のクラリスにエラリーも驚きを隠せない。元々細かった体が更に痩せて、今にも消えてなくなりそうな儚さだった。
「皆さま……来てくださったんですね!」
それでも、久しぶりの友人との再会に、クラリスは嬉しそうに微笑んだ。
「ポールの具合はどう?」
ジャンがポールのすぐ側に来る。
「それが、ずっと眠っているような状態で……お医者様も今は何もできないと……」
アリスの前世の知識のおかげで、点滴に類似した医療機器が存在しており、何とか水分と栄養の補給はできていたが、二週間も寝たきりのポールの体は肉が落ちて、頬はこけ始めていた。
「脈拍は遅目だが安定している……異常な発汗もなし。熱も平熱だ。これは本当に眠っているのと変わらないね」
ジャンがポールの体に触れて確認する。
「そうなんです。お医者様も同じことをおっしゃっていました」
クラリスが泣きそうな顔で言う。その顔を見たエラリーが、慌てて持ってきた包みをクラリスに差し出した。
「クラリス嬢!道中で美味しそうないちごが売られていたので買ってきたんだ。新鮮なうちに食べてくれ」
「エラリー様……ありがとうございます。ほんと、美味しそうですね」
「クラリスさん、こちらはカモミールティーです。食欲がない時はこのお茶にホットミルクを入れて飲むのがおすすめですわ」
アリスも包みを手渡す。
「アリス様、ありがとうございます。以前お屋敷でいただいたお茶ですね。とても美味しかったので、嬉しいです」
クラリスが小さく微笑んだ。
「クラリス様、これはクラリス様がお休みの間の授業のノートです。それから、これは我が家のお庭で育てているラベンダーで作ったポプリです。ラベンダーの香りにはリラックス効果がありますから」
「イメルダ様……こんなにたくさんのノート、大変だったのでは……」
「ジャン様とエラリー様と手分けしたので、問題ありませんわ」
イメルダの控えめな優しい笑顔にクラリスは先ほどとは違う理由で泣きたくなった。
「ポプリもとてもいい香り……ありがとうございます……!」
柔らかなラベンダーの香りと友人達の優しさのおかげで、クラリスは久しぶりに暖かな気持ちに包まれていた。
「やあ、みんなお揃いのようだね」
ディミトリの声がして、ウィル、アンソニーの三人と一緒に、ポールの祖父のオランジュリー商会長と、母のナタリーが入ってきた。
全員一様に疲れた顔をしている。中でも、クラリスと一緒にずっとポールに付き添っているアンソニーは、かなり疲労の色が濃く見てとれた。
「クラリス嬢に話があるんだが……まあ、みんな一緒に聞いてもらった方がいいかな。この部屋では全員座れないな。別の部屋に移動しよう」
「……でも、そうするとポールお兄ちゃんの側に誰もいなくなってしまいます」
ディミトリの言葉に、クラリスが眉をひそめて抗議する。
「大丈夫だよ。ちゃんと医師達がいるからね」
ディミトリがクラリスを安心させるように微笑んだ。
「はい。ちょうど診察とお着替えの時間ですから」
「失礼いたしました。そうですね。もうそんな時間でしたね」
年配の医師の言葉に、クラリスはホッと息を吐いた。
「では、みんな行こうか」
ディミトリの声で、医師達だけを残して全員部屋から出た。
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「……ポールお兄ちゃんをオランジュリー家に帰すんですか?!」
「ああ。先ほどウィルや会長とも相談したんだが、もしこのまま……このままポールが目覚めなかった場合、ずっと公宮に滞在させるわけにはいかないと思ってね」
「そんな!ポールお兄ちゃんは必ず元気になります!」
らしくない大声をあげるクラリスを皆が痛ましそうに見つめる。
「クラリスちゃん。公世子殿下もポールが必ず目を覚ますのはわかっていらっしゃるわ。ただ、それがいつになるかわからないから、公宮にいるよりも家にいる方が家族にとってもいいだろうという話になったのよ。もちろん、クラリスちゃんも一緒に来てくれたら嬉しいわ」
ナタリーがクラリスの手を取り、優しく諭すように説明した。
「でも、公宮を離れたら、今みたいなお医者様の治療は受けられなくなるんじゃ……」
クラリスが今にも泣き出しそうな顔でナタリーを見る。
「それは大丈夫だよ。引き続き公宮の医師の診察を受けられるように手配すると約束するよ」
「それに、今、世界中の名医に問い合わせをしているからな。ポールを治せる医者を必ず見つけてやる」
ディミトリに続いて、商会長が力強く言った。
「こんな、こんな老いぼれの命を救うために……このままでは、わしは死んでも死にきれん!」
会長の悲痛な声に誰も返す言葉がない。
しばしの沈黙の後、アンソニーが辛そうな表情でクラリスに告げた。
「……クラリス嬢。嫌なことを思い出させてしまいますが……貴方達が王宮に滞在していた時、差別意識の強い貴族からの反発がありました。今、ここでも同様のことが起こっているのです」
「……まさか、ポールお兄ちゃんの命を狙う人が?!」
「今はまだ大公家が抑えている。だが、時間の問題だろう。だから、今のうちにポールを安全な場所に移したいんだよ」
ディミトリの真剣な表情にクラリスがきっぱりと頷いた。
「わかりました。それで、いつ移ることになるんですか?」
「今うちの離れを整えている所だ。数日後にはポールを連れて帰れるようになるだろう」
会長の答えに、クラリスは更に問いを投げかける。
「それまでにポールお兄ちゃんが目を覚ました場合はどうなるんですか?」
「医師達と相談の上、時期を見計らって、ということになるだろうね。もちろん一日でも早く目覚めてくれることに越した事はないし、いつポールが目覚めても大丈夫なように体勢を整えるから、安心して任せて欲しい」
ディミトリの言葉に、全員が頷いた。
ただ一人、ジャンを除いて。




