第七話 魔女と呼ばれた王女は皇子妃になる
「うぁぁー! これってなんとかならないの、魔女さん? 周辺三カ国語がすぐにわかるようになる魔法とか」
「無理ね。十数年の遅れを取り戻すのは大変だと思うけれど、頑張るしかないわ」
「わかってるよ。ただちょっと愚痴りたくなっただけ」
ヘーゼルは、詰め込み過ぎな教育に喘いでいた。
レノックスの婚約者になり、妃になるということはつまり、当然ながら社交のために帝国語やその他の国の言葉をはじめとし、色々な知識が必要なのである。
レノックスは王国語を使えたので問題なく話せたが、そうではない帝国人とはようやく日常会話ができるようになったくらい。道のりはまだまだ遠い。
それでもヘーゼルはへこたれなかった。
何より、これさえやり遂げられればレノックスとの結婚が待っているのである。勉強ごときで先延ばしにしたくはなかった。
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ヘーゼルが勉強に励んだり、暇さえあれば魔法薬を大量に作って自分でも知らず知らずのうちに帝国の人々に感謝されて信頼を勝ち取っていた頃、王国では大変なことになっていたらしい。
逃げ出した魔女を早急に捕らえなければ、今まで自分たちが彼女へしてきたことの全てが明らかになってしまう。
そう考え、焦った国王はヘーゼル探しのために兵力を割いてしまった。
そしてちょうど時期の悪いことに、その直後に帝国との戦争が勃発。
陰で長年準備しており、勝ち目があるはずだったそれは、一気に王国にとって不利な戦いとなってしまった。
さらに、同時に国内でもクーデターが起きた。
クーデターを企んだのは、王太子を害したとして謹慎処分にさせられていた公爵令嬢に賛同した貴族たち。公爵令嬢はかなり多くの人に慕われており、そんな彼女にナイフを握らせるほど冷遇していた王族が許せなくなった者が多数いたのだ。
彼らは帝国と手を組み、結果、王族の大半は滅びた。
彼らは魔女ヘーゼルへの恨み言と共に、命を落としたという。
もちろん彼女は手を下してなどいない。いや、事実彼らへ死を追いやったのは、魔女の仕業でもあったのだが。
「……ちょこっと復讐してきたわ。私、何代も前の王族に嵌められて魔女にされたの。どうせならその時の国王にしてやりたかったけれど、その子孫に仇討ちできたから良しとしましょう」
そんな風に言って笑うのは、魔女の亡霊。
魔女は陰ながら公爵家を支えたり、帝国と公爵家が親しくなるよう細工をしたりして王族を陥れたようだ。そういうところはさすが魔女だけあるとヘーゼルは思う。
ともかく、王国は公爵家が王となり、帝国の属国となることが決まった。
内戦と言っても王族だけを狙ったものだったから大して血は流れなかったらしく、そのことにホッとしている自分がいることにヘーゼルは気づいた。自分を亡き者にしようとまでした元家族に情はないが、同僚同然に過ごしていたメイドたちには少しだけ思い入れがあったのだ。
それで一件落着……かと思いきやそうでもなかった。
うっかり魔女が取り逃した王族の生き残りの王太子――否、元王太子の兄が帝城に乗り込んでくるという事件が起きたのである。
ヘーゼルが帝城で暮らし始めて半年ほど経った頃のことだった。
「驚いたか? 久しぶりだな、ヘーゼル。
魔女め、よくも俺を貶めてくれたな。お前のような女が皇妃になるだと? 幸せになっていいものか!」
ヘーゼルの部屋へ突然やって来た彼は、好き勝手に喚き散らす。
どうやって帝城の中に侵入してきたかはわからないが、それほどまでにヘーゼルに恨みがあるに違いない。
このままではきっと思い切り殴られるだろう。思わず身構えそうになったヘーゼルだったが、足に力を入れて立ち上がり、叫んだ。
「いつもいつも思ってたけどなんで勝手に人の部屋に乗り込んで来るんだよ、バーカ! 今回ばっかりはもう我慢ならない。あたしがやられっぱなしだと思ったら大間違いなんだから!!!」
力を込め過ぎたせいか、彼――兄であり元王太子は遠くへ吹っ飛んだ。
すぐにふらっと外に出ていた魔女と、レノックスが駆けつけてきた。
「ヘーゼル、大丈夫かい?」
「もちろん。あたし、もう無言で耐えるだけは辞めたから」
王太子は悔しそうにしながら、仲良さげに寄り添うヘーゼルとレノックスを睨みつけていた。
後で彼は投獄され、魔女に散々悪戯されたとか、されていないとか。
正直言ってヘーゼルはもはやあまり興味のないことである。
そんなこんなで、日々が過ぎて行って。
三年後、ヘーゼルはレノックスと盛大な結婚式を挙げることになった。
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「すごい、これがあたしなんて信じられない……」
鏡を覗き込むヘーゼルは、そこに映る少女のあまりの美しさに感嘆を漏らしていた。
漆黒の髪は編み込まれていて艶やかだ。衣装は穏やかな緑のドレスで、最高級品。肌は信じられないほど白く、メイドに扮して働いていた頃とはまるで別人だった。
これが真の彼女の姿。
この三年間でこれでもかと全身を磨き上げられ、鬱陶しいくらいに手入れされた甲斐があった。
「綺麗でいらっしゃいますよ、ヘーゼル様。まるで天から舞い降りたかのようです」
侍女に褒めそやされ、ヘーゼルはさらに上機嫌になる。
しかしその一方で、嗜めるように魔女が言う。
「『あたし』じゃなくて『わたくし』でしょ。これからあなたは皇妃になるのに、自覚が足りないんじゃないかしら?」
この三年間で魔女は母同然にヘーゼルを見守ってくれていたので、老婆心があるのだろう。
ヘーゼルは「わかったわかった」と言いながら部屋を飛び出した。
どれだけ教育を受けても、なかなか口調の上品さは身に付かなかったヘーゼル。だがそれがいいとレノックスが言ってくれるので、彼女は気にしていない。
花嫁ドレスの裾を両手で静かに持ち上げて、バージンロードへ踏み込む。
この先に待っているであろう彼は、自分を見て何を言ってくれるだろうと考えるだけで胸が弾んだ。
こっそり隣をついて来ている魔女の亡霊がニヤニヤしながら言う。
「さあ、いよいよお待ちかねの時間ね」
「そうだね。行こう」
虐げられ、魔女と呼ばれていた王女ヘーゼルは、これからは皇子妃として彼を支えながら生きていく。
その決意を新たにして、彼の元へと歩いて行った。
これにて完結です。お読みいただきありがとうございました。
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