第六話 皇子の気持ちと魔女の真実と口付けと
皇子レノックスはベッドの上で毒の痛みに唸りながら、ヘーゼルのことを想っていた。
――今頃、彼女はどうしているだろう、と。
想いを伝えたあの日以来、ヘーゼルが王城の庭園に現れなくなった。
最初こそ嫌われて避けられたのだろうかと思って眠れぬ夜を過ごしたが、そうではなかったようだ。
赤毛のメイドに扮した彼女の姿すら、見かけなくなったとメイドたちが言うのである。
そしてレノックスはとうとうヘーゼルの住処だったオンボロ小屋を暴き、突撃した。しかしそこはもぬけの殻で、作りかけの魔法薬と思われるものの腐敗臭が漂っているだけだった。
「……彼女はずっとこんな部屋にいたのか。ここの王族は、どういうつもりなんだ」
かつて災いをもたらしたとされる魔女。
言い伝えにある魔女と彼女の容姿が似ているのは確かだし、魔法薬――本来ならとんでもなく希少な薬草を百個は集めなければできないもののはずなのに、それをどうやってこの環境で集めているのか不思議だ――を作ったりするけれど、彼女は虐げられていいような悪人ではない。
ごく普通の少女だというのに。
腹が立って、それより何よりヘーゼルのことが心配になって、レノックスは国王に面会を求め、彼女のことを問いただすことに決めた。
しかし――。
「迂闊、だった……」
食事は身内に用意させたものだけを食べていた上、さらに従者に毒味させていたが、いつの間にか遅効性の毒が仕組まれていてレノックスは倒れた。
意識はあるが、まともに体を動かせない。表向き『病気』ということにされ、レノックスは祖国へ送られてしまった。
ヘーゼルが今どこにいるのかも、突き止められないままに。
ベッドの上で過ごさざるを得ないレノックスは、自分が毒を飲まされた一件により祖国が王国と敵対して起こるであろう戦争を危惧していたりもしたが、やはり常にヘーゼルの身を案じてしまっていた。
そして願う。また彼女の顔を見たいと。
彼女との出会いは、滞在先の王城を見て回っている時にふらりと立ち寄った庭園。
庭園を管理する庭師以外には高貴なる身の人物しか踏み込めないはずのその場所で、メイド服を着てコソコソと薬草を摘んでいた彼女に興味を持った。そこから言葉を交わし、毎日会うようになって……いつの間にか強く惹かれていた。
従者に調べさせ、彼女の正体を知ってもなお、気持ちは変わらず。
否、本当の彼女の姿が見たいと、さらに強く想い始めた。
そしてあの日、ようやく想いを口にし、彼女の姿を目にすることができたのである。
邪悪の象徴である黒髪は、決して艶やかとは言えないけれど美しかった。
榛色の瞳は忌むべきものと言われているが、それに真っ直ぐ見つめられたレノックスは呼吸を忘れそうになった。
もう一度でもいい。またあれを見たい。
間近で見て、触れて、抱きしめて。キスをして、撫でて……。
いいや、やはりもう一度程度では足りないだろう。それほどにレノックスは彼女の虜になっているのだから。
「この身を蝕む毒さえなければ……」
立ち上がろうとする。だが体が痺れ、力がまるで入らない。
そのことを心底悔しく思い、何度目になるかわからないため息を吐こうとした、その時のことだった。
「――ここに、いた!」
そんな風に叫びながら、黒髪を乱した少女が走り込んでくる。
レノックスの部屋のドア――黄金に輝いていた豪華過ぎるほど豪華なそれは、突き破られて一瞬にして崩れた。しかしそのことを気にする様子もなく、少女はレノックスの元へやって来て、潤んだ榛色の瞳で彼を見つめた。
「大丈夫!? ごめんね、こんな現れ方して。びっくりさせたと思うけど、とにかくあなたの無事を確認したくて」
早口でそんなことを言う少女は、どこからどう見てもヘーゼルだった。
どうしてこんなところに彼女がいるのかわからず、ひょっとして毒の効果のせいで幻覚を見ているのかとレノックスは思った。しかしその声は、確かなもののように思えて。
心の底から安心して、全身から力が抜けていった。
そして彼は静かに目を閉じた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「大丈夫よ、すぐに目を覚ますわ。その前にさっさと治療してしまいましょう」
魔女の言葉に、ヘーゼルは頷いた。
ここはレノックスの祖国である帝国の城である。
途中から走り疲れて、魔女の不可思議な魔法で風のような速さで帝国へやって来たのだった。
その間、ヘーゼルは様々な話を魔女から聞かされた。
今では忌み嫌われる魔女たちがかつて聖女と呼ばれていたこと。そしてヘーゼルも、そんな魔女の一人であるということも。
「榛色の瞳は神の寵愛の証。髪色は濃ければ濃いほど魔力が多いの。
私は魔女の中でも最強だったわ。うっかりその時代の国王が企んだ世界征服のために起こした災害やら戦争やらを全部私のせいにされて『伝説の魔女』なんて呼ばれる羽目になったけれど、かつては皆に慕われる聖女様だったのよ?
このことを後世に伝えたくて、例の本の中に自分の意識を閉じ込めて身を滅ぼしたというわけ。そして私を呼び出す資格を持った者――つまりあなたを待っていたの。実は今の私の姿、あなた以外には誰も見えていないのよ?」
「ふーん、そうなんだ。あんまりわかんないけど、じゃああたしにもその魔法?ってのが使えてるっていうこと?」
「そうよ。さっきあなたがやたらと強く見えたのも、少しの薬草と腐ったスープなんかで貴重な魔法薬が作れていたのもあなたの魔法のおかげ。魔法は神への純粋な願いで力を増すのよ。だから恋に燃え、願いの力が強くなった今のあなたは最強でしょうね」
「そっか。それで。……つまり今のあたしなら、レノックスを助けられる?」
「そうね。その子の命が、まだあるのなら」
そしてレノックスは無事だった。
かなり体を毒に蝕まれているらしく、動けないではいたけれど。
ヘーゼルはすぐに解毒を始めた。
魔女の力は浄化作用が強いらしく、ほんの少し魔力と呼ばれるものを流し込むだけでいいらしい。しかしその方法が、かなり小っ恥ずかしいものではある。
「き、キスしなきゃいけないの……?」
それも寝ている彼の唇に直接。
「こういうのって王子様の役回りだって、あたし知ってるよ。女の子がやってもいいのかな?」
「そもそもこうして助けに来ている時点で王子様のようなものでしょう。キスしてあげなさい」
躊躇いながらも、最後には覚悟を決めて彼女はレノックスに口付けた。
体の治療だと割り切るように努めたので、そこまでドキドキはしなかった。
おとぎ話のように彼がすぐ目覚める……なんてことはない。だがこれで体の毒は抜けたはずだ。
体の奥底から何か大事なものを持っていかれる感覚がある。
これが魔力なのだなと初めてヘーゼルが実感した瞬間だった。一気に体が重く、だるくなる。
「あたしもなんか疲れたかも。ごめん魔女さん、ちょっと休んでいい?」
「そうするといいわ。その間、私が見張っててあげる」
「ありがと」
疲れに任せ、レノックスのベッドの横に座り込む。
先程までの苦しそうなものと一転、安らかになった彼の寝顔を眺めながら、いつしかヘーゼルは彼の胸へ頭を預けて眠っていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
その後、目を覚ましたらレノックスの顔と鼻先が触れ合うほど近くにいてドギマギしたり、改めてプロポーズされて困惑したりと色々あったけれど、結果から言えばヘーゼルは帝国に引き取られることになった。
――第三皇子レノックスの婚約者として。
元々帝国が王国よりも魔女を禁忌としていなかったため、多少の反感はあったもののヘーゼルは意外とすぐに受け入れられたのだ。
ヘーゼルはまだ、いまいち実感が持てていない。
でもレノックスに婚約指輪をもらったり、髪に、頬に、そして唇へ口付けられる度、自分は愛されているんだと思って、少し嬉しくなった。
「まったく、お熱いことね。私は生前、恋した男に裏切られた過去があるから羨ましいわ」
そんな魔女の呟きには、ヘーゼルは答えられなかったけれど。