第二話 とある青年との出会い
それは、そんな淡々とした日常の中で起こった突然の出来事だった。
ヘーゼルはその日も赤毛のメイドのヘイズの姿で、メイドたちと掃除をしたりおしゃべりをしたりしながら王城の中を歩き回っていた。
そしておしゃべりの切れ間、ちょうど他のどのメイドからも自分への注意が逸れたと思った瞬間、そっとその場を抜け出して庭園へ向かう。魔法薬の元となる薬草を取りに行くためだ。
「あたしが抜けてもやっぱり気づかない。みんな鈍感なのか、それともあたしになんて興味がないのか。うん、後者だねきっと。世の中世知辛いや」
そんなことをぶつぶつ呟きながら向かった先、そこは王城の庭園。
咲き乱れる花々の中、うっかり騎士に見つかってはいけないと身をかがめたヘーゼルは薬草のある一角を目指して歩く。
地面に落ちた花びらもいくつか拝借させてもらった。場合によっては調合の役に立つこともあるだろうから。
そしてようやく、目的地に辿り着いた彼女は薬草を集め始めた。
花と違って勝手に自生したらしい薬草は、いくらか摘んでも誰もわからない。もしかして庭師は気づいていて見逃してくれているだけかも知れないけれど、城の庭師に会ったことさえないヘーゼルには知る由もないことだ。
ヘーゼルは薬草のスッとする匂いが好きだった。摘んだ薬草たちを掌いっぱいに貯めて、ぎゅっと鼻を押し当てる。そうして楽しんでいた時のこと。
背後からガサゴソっと音がした。
今まで庭園で人と鉢合わせすることなんてほとんどなかったので、ヘーゼルは飛び上がりそうになる。
いくら花の中に身を潜めているとはいえ、近くに寄られてしまえば気づかれるだろう。
城内であることを考えると動物ということもまずない。だから一刻も早く隠れなければならなかったが、もうその時には手遅れだった。
振り返り、音のした方を見ると、そこに立っていたのは一人の青年だった。
王族が着ているような――と言っても兄のものしか知らないのだけれど――きちっとした服を着た、金髪碧眼の美男子。
ヘーゼルは思わず呆気に取られ、あろうことか彼をまじまじと見つめてしまった。
「……やあ。君はこの城のメイドかい?」
特別な式典の時だけ顔を合わす、もうかれこれ一年くらいは顔を合わせていない弟王子を思い浮かべたが、彼は金髪碧眼でもなかったしこんなに優しい口調もしていなかった。もちろん兄王子とも態度が全く違う。
ということは、何かの用事で城へやって来た名も知らぬ貴族なのかも知れない。逃げなければ、ということと、話しかけられた以上は答えなくては、と考え、結局ヘーゼルは後者を選んだ。
「はい、そうです」
「そうか。可愛らしいお嬢さんだな」
「ありがとう……ございます?」
可愛らしい、なんて今まで一度も言われたことがなかった。
でもきっとこの青年だってあたしの本当の姿を見れば前言を覆すに違いない――とヘーゼルは思う。だから驚いただけで、それ以上のことは別に何も思わない。
「ここで何をしていたのかな?」
「花を、眺めていて」
「……そうか。ここの花は綺麗だね」
何だろう、この馴れ馴れしい感じは。
戸惑いながらも答えを返すヘーゼル。彼女は後ろ手に隠した薬草をすり潰さんばかりに握りしめていた。
「実は私は今日からしばらくこの城で滞在することになっているんだ。またここで会えるかな」
「会えたらいいですね。……あっ、あたし、まだ用事が残ってたんです。失礼していいですか?」
「じゃあ、また」
別に用事はなかったけれど、今すぐにこの場を離れたくて、口実を作ったヘーゼルは一目散に逃げ出した。
あの青年が誰であろうとあまり話すべきではない。そう思ったからだ。
そう思ったのに――翌日、青年とヘーゼルは同じ庭園でまた出会っていた。
青年は、それから毎日のように庭園でヘーゼルを待っていた。
そう、待っていたのだ。
「君ともっと話をしたいと思ってね。この城じゃ、私に気軽に話しかけてくるような人はいないんだ。付き合ってくれないかい」
「……わかりました」
「そういえばまだ名乗っていなかったね。私はレノックス。隣国から来た」
何の知識も持たないヘーゼルにとって、隣国がどこなのかわからない。
わからないままに頷いた。
「あたしはヘイズ。メイドのヘイズです」
お仕着せの裾を摘み、それっぽくお辞儀をする。
彼女なりの精一杯だったが、おそらく失笑されるだろうと思った。しかし、青年――レノックスは優しい目をして。
「可愛いね」
――なんだこの人。
喉元まで出かかった言葉を、グッと飲み込む。
レノックスはヘーゼルの知らないタイプの人間だった。
「昨日はここで花を見ているって言ってたけど、君、薬草を摘んでるんじゃないのかい」
「……。気づいてたんですか」
「薬草を何に使うんだい?」
「魔法薬の調合です。あ、あたしが魔法薬を作ってるのは秘密なので、内緒にしててくださいね」
ヘーゼルは知らない。魔法薬というのが実はとても貴重なものだということを。
「すごいじゃないか、どこで作っているんだい」
ヘーゼルは答えなかった。答えるとまずいと思ったから答えられなかった。
代わりに、話題を変える。
「レノックスさんは、この城に何しに来たんですか」
「外交だね」
「ガイコウ……」
「国同士の均衡を保つために必要なことさ。でも、ダメだね。この国は腐ってる」
「スープみたいに?」
「スープは腐っていないのが普通だと思うけど」
「ああ、そうだった。それで、何が腐ってるって言うんです?」
「この国は貧し過ぎる。上流階級の人々、特に王族ばかりが贅沢をして、平民たちは毎日食料を奪い合っている。
我が国の領土を狙って戦争を起こすか、先に内乱が起きるか。どちらにせよ、今回の長期滞在のうちに同盟をどうするか決めるべきだろうな。
……すまない、少し話し過ぎたね。気にしなくていいよ」
ヘーゼルには、戦争も内乱も同盟も、さっぱりだ。
だがこの貴族のような青年は悪い人ではなさそうだと、なんとなく思った。