8話『はじける身体』
陽が完全に沈んだ頃、私たちは午前中に予約していた宿屋に着いた。
小さな宿屋で中の装飾はサッパリとしている。
受付のすぐ隣に階段があり、その階段を登った先に部屋があるというよくある宿屋である。
「予約していたオリキスです」
マイラ・オリキス……。
マイラのフルネームだ。
「あ、オリキス様ですね」
受付係は耳が長いエルフ族の女性。
魔族より小さく人間より華奢な身体をしている。
「オリキス様は……205号室ですね。これが鍵になりますっ」
受付のエルフが鍵を差し出す。
「205号室は階段を上って進んだ通路の先、最奥の部屋です。ごゆっくりとお寛ぎくださいねっ」
マイラは鍵を受け取り、一礼をしてから階段を上る。
階段を上った先の2階には広めな横幅の廊下があった。
部屋に続く扉は全て左手の壁に並んでおり、手前から201,202、203……と、部屋番号の書かれたプレートが貼り付けられている。
私たちの部屋はこの一番奥だと、先ほどの受付は言っていた。
「壁に掛けられてるランプが雰囲気あって綺麗だね」
私の身体をポンポンと小さく叩く。
私は咄嗟に小さく身震いし反応を返した。
「だよね」
そう言ってマイラは廊下の奥へと進んでいく。
今日1日、身震いでコミュニケーションをしたおかげなのか、昨日よりもコミュニケーションが取れるようになった。
とはいえ、私の身震いに対してマイラが上手く意図を汲み取ってくれているだけだと思う。
ガチャッ――。
扉の鍵を開け、ドアノブを時計回りに回すマイラ。
ゆっくりと扉が開かれると、細い通路の先に少し広めの空間が見えた。
奥には大きな窓ガラスがあり、町から海への景色を一望できるような造りになっているようだ。
ベッドは1人用としては少し大き目で、ベッド横の小さな棚の上にはぼんやりと光る小型のランプが置かれている。
これで宿泊費は銀貨3枚。
朝食や夕食はないものの、この夜景を眺めることができるのなら破格の安さかもしれない。
「うわ~! すごい綺麗!」
マイラが思わず窓へと近づく。
町の外灯や家の灯り、灯台から差し込む光で海が照らされ月明かりを海が反射する。
浜辺に押し寄せる小さな波は、奥に行くにつれ暗くなる海とは対照的に青白い。
マイラが感動するのもよく分かる。
これは絶景だ。
「あなたはどう?」
私は大きく震えた。
「ふふ、あなたも分かるのね。こういう所ってロマンチックで良いよね」
景色に惹かれるというよりロマンチックという言葉に惹かれる。
まあ私も魔物の端くれだ、たぶん。
ときめく心はないが、こういう所に一度でいいから住んでみたいとは思う。
「それじゃあ私はお風呂に入ってくるから、あなたはここで待っててね」
私と手提げバッグを近くのテーブルに乗せ、バッグから美容薬と細い通路にあるお風呂場へ入って行った。
しばらくして、魔式洗体機の水の音が鳴り、マイラの鼻歌が聞こえ始めた。
そういえば私は身体を洗わなくても大丈夫なのか?
自分で自分の汚れ具合を確認できない以上は仕方ないのだが、一先ずあの生物学者の家の臭いがこびり付いてなければいい。
まあ、マイラは気にしていなかったようだし、恐らく大丈夫だろうけど。
……ああ、そうだ。
今のうちに何かしらできないか試してみよう。
跳ねるなり手を生やすなり何でもいい。
行動ボキャブラリーを1つでも多く増やすのだ。
どこに力を入れていいかは分からないが、とりあえず全身に力を入れてみる。
しかし、身体はプルプルと震えるもののそれ以上何かが起こるわけではない。
例えば……そう、触手のような細い糸でも生やせないだろうか。
神経を身体の右上あたりに集中させ、そこに力が入るように上手く調整する。
かなり繊細な事ではあるが、もし触手の1本や2本が生やすことができれば指を体で再現できる可能性があるということだ。
……身体が時折ピリピリして今にもはじけ飛びそうになるが、それを我慢して続けてみる。
もう少し……もう少しで何かが外れそうなんだ。
その外れそうなものを離さないようにして、少しずつ尖らせていくのをイメージして――。
(はぁっ!)
力を更に加えた瞬間、自分の体から何かが飛んでいくのが見えた。
机の上には水色のゼリー状の液体が少しだけ飛び散っている。
それと共に微かに見えたのは、自身の体から生えていると思われる、長細い棘のようなもの。
そう……ついに触手のようなモノを生やすことができたのだ。
しかし、次第に生えた棘は短くなっていき、私の身体へと戻って行くのが見えた。
それでも尚、私から棘が生えた事実に変わりはない。
この感覚に慣れてもっと気楽に出せるように特訓すれば、指を作ることもましてや手を再現することもできるかもしれない。
一筋ではあるが希望が見えてきた。
よし、やるぞ!
――その後、私はマイラの魔式洗体機の音が消えるまでその動作を繰り返した。
身体の一部は飛び散ってしまうものの、それを我慢して続けることにより、何とか力をあまり入れずとも身体の色々な箇所から棘を出すことができるようになった。
今はまだ1本の棘しか生やすことはできないが、いずれ5本――いや、10本は生やせるようにしよう。
もう、マイラが風呂を上がる頃だと思うからここら辺にしておくとして……さて、この飛び散った液体はどうしようか。
「ふん、ふん」
鼻歌を謳いながら宿屋の白い寝巻に着替えたマイラが姿を現す。
身体から微かに湯気が出ている。
「ふん、あれ……え!? どうしたの!?」
これ見よがしに私を一度見、そして異変に気付いたのか二度見するマイラ。
すぐに駆け寄ってきて私を抱きかかえる。
「一体何が起こったらこうなるの……!? もしかして寂しかったの? 怒ってる? ごめんね、1人にしちゃって……」
強く抱きしめられマイラの胸が私の身体を押し潰す。
別に寂しかったとか怒ってるとかじゃないのだけれど……。
「あ、でもあなたってお風呂に入ってもいいのかな……溶けちゃいそう」
本当に溶けそうって自分でも思う。
「明日、ケルコニーさんに検査結果と一緒に聞こうね。もし大丈夫そうなら、これからは一緒にお風呂に入ろうね」
マイラが柔らかな頬を上から私の身体に擦り合わせる。
余計な心配を掛けさせてしまった。
私はただ純粋に修行をしていただけなのに。
「とりあえずこの飛び散ってるゼリーは……くっつくかな?」
私を机に置き、飛び散ったゼリーを拾い集め始めるマイラ。
そしてその拾い集めたゼリーを私にくっつけると、浸透していくように自然と中に入っていった。
「すごい」
私から飛び散った液体は私に接着させることで身体が自動的に取り込んでくれるらしい。
つまり飛び散らせ放題。
いや修行し放題という訳だ。
「髪も乾かしたしお洗濯も終わったし……あとは寝るだけかな」
私を抱えたまま少しの間夜景を眺める。
それからすぐにカーテンを閉め、マイラはベッドに座った。
「一緒に寝てあげるから、今度は怒らないでね」
私を枕の横にそっと置き、マイラがベッドに横たわる。
私の方を見つつ、私の身体に右手を置いて目を閉じるマイラ。
ケルコニーの言っていた通り、確かに32歳とは言えないくらい若いかもしれない。
風呂に入った後だからかもしれないが、肌の張りも艶もあるしかなり健康的な身体をしている。
30歳を超えると疲れやすくなると言うが、今日1日を通して本人にそんな様子はなかった。
「すう、すう……」
すぐにマイラの寝息が聞こえてきた。
私もそろそろ寝よう。
修行をし過ぎたせいかどうも疲れてしまった。
それじゃあ、おやすみ……。
主人公の修行はまだまだ終わりません。
次話もよろしくお願いいたします!