36話『聖域と大精霊』
エルフが再び歩き始める。
「次は……『聖域と管理者について』でしたか?」
「……ああ」
「聖域、ですか。私もそう思っていました。……ここの管理者になるまでは」
エルフが両手を後ろに回して手を組んだ。
「……どういうことだ?」
「あなた方は、スライムを〝聖物〟だと思いますか?」
「……え?」
マイラが目をパチパチと動かす。
「……時にマイラさん。あなたは、他の生物を殺す者を聖なる生き物だと思いますか?」
「……」
「他者から『聖域』と呼ばれるこの場所は、正しくは『聖域』という名ではありません」
エルフが空を見上げる。
「ここの正式名称は『第一級危険生物及び神霊保護区域』といいます」
「第一級危険生物及び神霊保護区域……?」
「……外の世界にいてはいけない危険生物や、世界に変化をもたらした神に等しきヒトの魂を保管する場所――それがここの役割です」
「じゃあ聖域という名前は……」
「外の世界の妄想にすぎません」
「……妄想か」
「リース。あなたはここを『聖域』であると信じてここまでやってきたのですね」
「……ああ」
「昔、あなたと同じようなことを思ったのか、ここにやってきた者たちがいました。その者たちは『願いをかなえてくれる精霊がいる』という根拠のない妄想のもと、この地を荒らしていきました」
「もしかして、精霊見聞録に書いてあった『侵攻』か……?」
「精霊見聞録…………?」
「魔導国ジェイムに保管されている国宝の1つだ。諸説はあるが、現世にいた精霊が書いたと言われている」
「……なるほど」
一呼吸おいて、エルフが再び口を開く。
「その侵攻というのが、私が今言ったもので間違いないでしょう。そして、その侵攻によって多くの精霊は息絶え、スライムは外の世界に放たれました。おそらく、その精霊見聞録にも書いてあるのではないでしょうか。スライムの異形化について」
「…………ああ、そうだったな」
「人を惑わし欲望を貪る怪物――それがスライムの正体です。そして、先代はそのような怪物を保護する区域をこのように仰っていました」
エルフが小さなため息を吐く。
「汚濁にまみれる怪物を保護する地――故に、穢れた地である、と」
「穢れた地……か」
「ここは聖域ではありません。危険な怪物を隔離し、神霊の力をもってその力を封じる汚地です。……その神霊も今は区域にいませんが」
「……じゃあ、ここで管理者であるあなたは何をやっているんだ?」
「……私の仕事は『この世界が崩れないようにすること』です」
「この世界……?」
「ええ。この世界の秩序を保ち、決壊することがないようにするのが私――大精霊の役目です」
世界の秩序……? 決壊……? 何の話をしているんだ……?
「スライムという名の怪物を区域で管理すること。世界に変革を与えた神霊を保護すること。それから、管理者権限を守ること……。それが私の仕事です」
「……私には、あなたの言っていることの意味がまるで解らない」
「……それでいいんです。少なくとも、あなたにはまだ関係のないことですから」
マイラとユウアは小さく首を傾げる。
正直、私もそうしたい。
「さて、マイラさん。先ほどの答えを聞いていませんでしたね」
「は、はい?」
「スライムは聖物――聖なる生き物であるか、です」
エルフが立ち止まって振り返る。
ほのかに目を細くして少し笑みを浮かべている。
「……そうですね」
マイラとユウアはエルフに続いて立ち止まる。
森の奥からそよ風が吹きマイラの長い髪を小さく揺らしている。
「……私には、聖物は聖なる生き物であるとは思えません」
「……ほう」
「あなたの話を聞く限り、聖物は他者に影響されて暴走する生き物です」
「そうですね」
「その先代と呼ばれる方は他者の感情を取り込まないようにするためにこの場所に聖物を隔離したのでしょう?」
「ええ」
「聖物が暴走すると、誰かに危害を加えかねないから……きっと、その先代の方はそう思ったのでしょう」
「……ええ」
「確かにそれは間違いないです。現に、聖物であるリースは暴走し、私を襲ったゴブリンを殺していたはずです。おそらく、危険な生き物なんです。でも……リースは私を守るために戦ってくれました。けれどそれは、人間でもあることです」
「…………」
マイラが私をつまんで手のひらに乗せる。
「仲間のため。親友のため。そして、家族のため――」
私の頭を指で撫でながら隣にいるユウアの顔をじっと見つめるマイラ。
撫でられるのは少し恥ずかしい。
「人間は、身近な人間を守るために他者を攻撃します。それはとても普通の生き物的ではありませんか?」
エルフが静かに目をつむる。
「……ええ」
「人間は聖なる生き物ではありません。人間は人間です。聖物も同じように、ただ他者の感情を過剰に吸収してしまうだけで、本質は人間と変わらないのではないでしょうか」
「……ええ」
「だから、私には聖物が聖なる生き物であるとは思えません。でも、聖物が聖物であることに変わりないと思います」
「……それが、あなたの答えですか」
「はい。そして、これまでの話を聞いて思ったことがあります」
「……? 何でしょうか」
マイラがエルフを真剣な顔で見つめる。
「メアさん。あなたは信じているのではないですか?」
「……」
「聖物の本質が人間である以上、『人間のいる世界に溶け込むことができるのではないか』――と」
「…………」
「リースと同じように――人間と同じように――聖物にも、何か『守るもの』を持ってほしい――と」
「……」
「きっと、あなたはそれを信じているのではないかと……そう思いました」
エルフが横を向く。
「……ええ」
小さくため息をつくエルフ。
「それが、私なりのスライム育成論でした」
エルフは静かにそう言った。
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