30話『後悔しない方法』
馬車で移動し始めて1時間ほど経っただろうか。陽はまだ東寄りにある。森もまだ見えてこないし、何か話すこともない。
暇――というより、気まずい。
私とマイラだけであれば何かしら話題があったかもしれないが、ユウア少年がいる。状況だけ見るとそれなりにおかしい。
ユウアは目の前の人物が自分の母親だとは気づいていない。……それもそのはず。マイラは今全くの別人の姿になってしまっているのだ。もちろんマイラがそのまま小さなエルフになったので多少顔立ちはそのままであるが、ユウアは気づかないだろう。
マイラはマイラで、実の息子が目の前にいるのに緊張しているのか、それとも気づいてほしいのか……。さっきから外を見て小さくため息をついている。
確かにそこまで日数は経っていないから遠くまで行けなかったのはわかるが、まさか昨日一昨日に出会った冒険者の弟子になっているとは思わない。それよりも、ユウアは友達と一緒に旅に出たはず……。私の記憶違いか?
……というかこの状況、私が何か話題を振るしかないのか?
「……ユウアだったか」
「え、あ、はい?」
ユウアの返事は少しぎこちなかった。突然話しかけられたことに驚いたのだろう。少しだけ目が泳いでいる。
そして、何故かマイラもびくっとして私の方に顔を向けた。
「自己紹介がまだだった。私はリースという。調合師をしている」
「へ、へぇ……リースさんですか……調合なんてすごいですね。短い間ですが、よろしくお願いします」
ユウアが小さくお辞儀する。
……そして再び沈黙が訪れる。これだけでは話の輪が広がらないか。なんかこう、なんで私はこんなに小さいのかとか、調合師ってどんなもの調合するのかとか、そういう疑問はわかないのだろうか……。
「君は確かクラウスの弟子だと言っていたが、それまでは何をしていたんだ?」
「ええと……友達と一緒に冒険者登録をして、それからこの街で依頼をこなしていました」
「その友達とは今は一緒じゃないのか?」
「あ、はい! 実はある程度名声がついてきたら、個人的な依頼が増えてきまして。それで、当分別々に行動しようってなったんです」
「個人的な依頼?」
「俺は基本的に魔物討伐ですが、友達は採取や探索に優れていたので、お互いに得意な分野の依頼が来ていました」
「なるほどな。それで一旦お互いに別々行動しようとなったのか」
「はい。友達は戦闘に慣れていないので、少し心配ですけどね」
心配性なところは少し似てるな。
「クラウスに弟子入りしようとしたのは何故だ?」
「……実は、魔物討伐の依頼があったときに、そのあたりでは見ない危険な魔物がいたんです。その時に助けてくれたのが、クラウスさんたちでした。その中でもクラウスさんは剣術に優れていて、すごくかっこいいなって思って……。俺もそうなりたかったんです」
「……何故そうなりたかったんだ?」
「……実は、父さんが凄腕の冒険者で、父さんみたいな冒険者になりたかったんです。だから、今名をあげているクラウスさんに付いて、色々と学ぼうと思って……」
そりゃあ、あの火竜を討伐した部隊に選抜された冒険者の息子だ。
もしかしたら、色々な人から期待をかけられているのかもしれない。例えば、魔物討伐依頼を受けたら、父親のような強さを求められるとか、父親のような強さがなかったら、少し呆れられるとか……。推測に過ぎないが、そういう経験があったからこそ、自分よりも強い冒険者に憧れるのかもしれないな。
自分の父親が優秀な冒険者というのは、誇りに思うと同時にプレッシャーもかかるものなんだな。
…………まあ私も似たようなものか。
「あと、冒険者として名をあげて、旅に出ることを許してくれた母さんに何かしら恩返しでもできればなって思ってます」
それまで話し方がふわふわしていたユウアだったが、急にかしこまったように私の顔を真剣な眼差しで見始めた。
マイラはというと、なぜか急に顔が赤くなっていた。
「俺、冒険者になって感じたんです。『普通に生きること』っていうのがどれだけ難しいのか。普通に依頼をこなしてお金をもらって、普通にごはんを食べて、普通に自分の体調を管理して……そんな、今まで普通だったことなのに、旅に出てから短い間でその普通がすごく難しく感じて……。だから、それまでその普通を支えてくれた母さんや父さんにお礼がしたいんです」
「……親孝行か。良いことだな」
「……はい!」
ユウアは笑顔で元気よく返事をした。
「……そっか」
マイラは小さな声でそう言った。そして、すぐに窓へ顔を向けて再び外を見始めた。
マイラにも何か思うことがあるのかもしれない。
私はまだ子どもとしての立場しか知らないが、息子から目の前でこんなことを言われたら――嬉しいのかもしれないな。
「私もかつて、間接的だが似たようなことをした」
「……え?」
「私の住んでいた国――いや、私の故郷でとある病が流行ってな。それは全く新種の病で、当時は特効薬がなかったんだ。当然、私の家族もその病に苦しんでいた」
「……あ、もしかして薬を……?」
「ああ。私がその特効薬を調合して作った。そして、予防薬も作ってその流行り病を終わらせた」
「す、すごいですね」
「……当時はあまり名の売れた調合師ではなかったんだが、そういう情報が取引をしていた商人から流れ込んできてな。本当に偶然だった。病が流行ってから死人も大勢出ていたし、誰も薬を作ろうとしなかったから……もし私が当時、その情報を知らないままいたらと思うと少し怖かった」
「…………」
ユウアは静かにうつむいた。
「少年、これだけは覚えておいてほしい。もし自分の家族や身近な誰かが危機に陥っていることを知ったり感じたりしたら、すぐに助けの手を差し伸べるんだ。それが偶然であれ必然であれ、それは後から『よかった』と思えることになる。きっと――いや、絶対に」
「……!」
ユウアが強く頷いた。
「それは、君のお母さんへの親孝行にもなるはずだ」
「……はい!」
なんだか重苦しい使命のようなものを与えてしまった気もする。だが、後悔しないうちに伝えておかないといけない事もあるだろう。もしかしたら、そういう場面がすぐに来ないとも限らないのだ。
私だって、もしもあの時特効薬の調合をしなかったら、今頃後悔していたかもしれない。だからこそ、今のうちに伝えられることは伝えないといけない。もしマイラの身に何かあったら、その時にユウアが後悔しないようにするために。
「――そろそろ着きますよぉ!」
馭者が声を上げてそう言った。
次話もよろしくお願いいたします!




