2話『これって、魔物?』
それから、女性は机に飛び散ったゼリー状の何かを手で寄せ集め始めた。
「これ……美容とかに使えないかしら」
ポーションには種類がある。
治癒、滋養強壮、体質改善、自己強化、魔力回復――本当に様々だ。
そう、ポーションとは言わば百薬の長のようなもの。
もちろん美容用のポーションも存在する。
しかし、冒険に必要な品として美容用のポーションが売られるとは考えにくい。
つまりこのゼリー状の何かは美容用ではないということだ。
まあこれが仮にポーションであればの話だけど。
「……結構大人しいのね」
これ見よがしに私をちらちらと見ながら、ゼリー状の液体を拾い集めている。
大人しいも何もすることがない。
目的が何かしらある訳でもなければ、そもそも何故私がこんな場所にいるのかすら私自身分かっていないのだ。
女性は机に散らばった液体を集め終え、壺を部屋の隅に置いた。
それからシンクで手を洗うと、少し椅子を移動させて私の目の前へとやってきた。
「さて、問題は――」
茶色い目をした女性が私を見つめる。
「あなたは……何者?」
肘を机に乗せ、両手を合わせて鼻の前に置く。
「はあっ。口がない子に言っても仕方ないかあ。そもそも言葉通じてるのかも怪しいし……。何かしらコミュニケーションが取れればいいのだけれど」
天井を見上げて大きなため息を吐く女性。
別に言葉は通じている。
しかし意思疎通は難しいだろう。
せめて「はい」、「いいえ」の選択肢が書かれた紙でもあればコミュニケーションは取れるかもしれない。
しかしそれを伝える手段を私は持っていない。
今はこの女性の発想に賭けるしかないか。
「それにしても、商人さんから買った中身がポーションじゃなかったなんて……。騙された……? けれど、町の人からは信頼されているし、城にも呼ばれる立派な商人さんだから、まさかそんなことは……。それとも、ポーションからできた魔物とか? ポーションのお化け? うーん」
女性が頬杖をついて唸る。
「そういえば、隣のセラちゃんが帰省するとか聞いたような……。魔物学者のあの子なら知っているかもしれないし、訊いてみるのもアリかなあ?」
口をポカンと開けながら斜め上を見ている。
「……よし。掃除も終わってるし、行こう!」
バンッ!
「おばさんこんにちはっ!!!」
女性が立ち上がった瞬間、突然扉が開いた。
玄関から現れたのは丸い黒縁メガネを掛けた若い女性。
薄紫色の髪をした綺麗な女性だ。
赤いシャツに青い短パン、そこに白衣という何とも形容しがたい奇抜な服装だ。
「あら、セラちゃん。久しぶりね。あとおばさんっていうのやめて」
セラと呼ばれる女性は手荷物をぶら下げてズカズカと部屋に入ってきた。
「これお土産です! そういやユウアくんと先程会ったんですけど、冒険者になるって本当ですか!?」
「ん、ありがとう。ええ、本当よ」
「昔から言ってましたもんね、『僕はお父さんみたいな冒険者になるんだ!』って。まさか12歳になった次の日に旅に出るなんて……なんという行動力! すごい!」
セラは気さくに笑っているが、女性は浮かない顔をしている。
彼女が魔物学者のセラ、という人物に違いないだろう。
帰省、お土産、という単語からそう推察できる。
「……あー、でも寂しくなっちゃいますね」
「うん……。でも、あの子が覚悟を決めたのだから、私も覚悟を決めなくちゃと思って」
「おば――マイラさん……」
空気を読んだのか、セラが小さなため息と共に目を瞑った。
どうやら私を見つけたこの茶色髪の女性、マイラと呼ばれているらしい。
では、カアサンは別名?
「……えーと」
少しの沈黙の後、セラが話づらそうに頭を掻いた。
「じゃあ、私は失礼しますね!」
そう言って、私には目もくれずにマイラに背を向けるセラ。
「あ、ちょっと待って」
マイラが声を掛けるとセラの足が止まった。
「なんです?」
セラが振り返る。
「その……この子について何か知らないかな」
そう言って私のことを指さすマイラ。
「この子?」
「この、水色のぷよぷよした丸い子の事」
「え、それ生き物なんですか?」
セラが急接近し、私の身体を舐めるように見る。
左から見たり上から見たり、時には身体をツンツンしてみたり。
少し擽ったい。
「うーん、分からないですね……。足もなければ手もないし首もないし、なにこの黒い豆粒みたいなの。目? こんな生き物見たことないですね」
「そう……」
「持ち帰っていいのなら、解剖でも何でもして解明しますけど」
えっ。
「え? ちょ、ちょっとそれはグロテスクだから遠慮しておこうかしら……」
私は全力で身震いした。
「ほら、この子も嫌がってるみたいだし……」
「そうですか……。新種の生物なら珍しいから、隅々まで調べて調査結果を提――」
「いや、大丈夫。大丈夫よ、セラちゃん」
「まあ、魔物かどうかも分かりませんしね。……そうだ、『フェディロニー』に知り合いの生物学者がいるので、そこまで連れて行って訊いてみるのはどうです? 私よりも何倍も知見があると思いますし」
「フェディロニー?」
マイラが首を傾げる。
フェディロニーとは、どこかの町や村のことだろうか?
何か聞き覚えがあるような気がするが、どうも思い浮かばない。
それに、魔物学者のセラという響きにも聞き覚えがあるような……。
……思い出せない。
そのことを考えようとすると頭が痛くなる。
「この大陸の南にある港町です。まあ、知らないのも無理はないですね。最近正式に認定された町ですから。まあ交易は盛んですけど」
「地図で言うとどの辺なの?」
「うーん大体ですねえ――」
セラが壁に掛けてある地図を指で触りながら、「ここですね」と言った。
「ここから真っ直ぐ南なのね」
「ええ。一応道はあると思うんですけど、盗賊による被害報告があったので、護衛の冒険者さんを雇って行くことをお勧めします。……あっ、商人さんに連れて行ってもらうのもアリですね。商人さんなら護衛の1人や2人は連れているでしょうし」
「そうしてみる」
セラが何度も頷く。
「じゃ、私はこれで失礼しますね! その子の正体が分かったら是非教えてくださいね~! では!」
セラはそう言い残し足早に家を出て行った。
結局私の正体は分からず終いだった。
しかし分かったことがある。
私はぷにぷにしている水色の丸い物体らしい。
人間のように手がある訳でもなく足がある訳でもなく、或いは首がある訳でもない丸い物体。
反応的に私についているらしい黒い点が目であることは間違いなさそうだ。
「ユウはもう行っちゃったし……。もう今日中に行っちゃおうかな。パパも当分帰ってこないらしいし、家、空けても大丈夫だよね……?」
地図をぼーっと眺めながら、そう静かに囁くマイラ。
そうと決まればすぐに決行。
なんという行動力だ。
「そうと決まれば準備しないと! 商人さんは確か今日中に出て行くらしいし、せっかくだから馬車に乗って楽したいし!」
そう言ってマイラは隣の部屋に駆け込んでいった。
次話もよろしくお願いいたします!