第006話 時間停止
『時間停止』
俺がそうと意識した瞬間、その不正行為能力は即座に発動した。
最初に感じたのは唐突にぷつんと途切れたような無音――静寂。
確かにすべてが停止した状態で、音を発することができる存在がいるはずもない。
この状況下でも自由に動ける俺を除いて。
あと、あたりまえのようにクロも足元から俺を見上げている。
俺とクロがいわゆる一心同体であることはどうやら間違いないようだ。
俺自身と同じように、俺の能力に由来するあらゆるデメリットの影響を受けず、逆にメリットはすべて享受する。
あるいはマスコットキャラではなく、オプション戦闘ユニットとしての能力もかなり高いのかもしれない。
もしもそうならこの世界で少なくとも一人は、俺と同等の能力を持ったクロに護ってもらうことが可能ということになるな。
とにかく、能力発動と同時に俺ごと世界が停止していたら質の悪い冗談というか、『完』というテロップが浮かんできそうだがそういうこともなかった。
まあそうなっていたらいたで俺自身にもそれを認識できる手段などなく、静かに世界は終わっていたのだろうが。
しんと静まり返った世界の中で、確かにすべてが停止している。
なんとなくゲーム的演出というか、俺以外がすべてモノクロになっていたり、ノイズが走ったような状態になるのかと思ったがさにあらず。
まるで動画を一時停止しているかのごとく、ただそのまますべてが止まっているという状況である。
この状況では停止しているのが時間なのか、世界なのかの区別はつかない。
どちらにせよ俺が自由に動ける時点で、相当におかしな状況であることには違いなどないのだが。
そもそも『時間』とはなんぞやという話になりかねない。
まあ俺以外すべてが停止しているのであれば、『時間停止』と看做してもそう大きな認識の乖離はないだろう。
俺はごく普通に動くことが可能だ。
呼吸に困ることも、意識だけはあるけど体は動かないというようなこともない。
視界に映る拡張現実のような各種表示枠も健在、絶賛稼働中。
時間だか世界だかは置くとして、俺に関わるモノ以外の全てが停止していると考えるのが一番しっくりくる感じだ。
ちなみに『時間停止』の効果時間――妙な表現にならざるを得ないが――は24時間らしく、視界にはカウント・ダウンが秒単位で開始されている。
それと同時に再使用可能までの時間のカウント・ダウンも開始されており、そっちはどうやら4時間で完了する。
つまりは俺がその気になれば、『時間停止』を永続することも可能ということらしい。
いや再使用可能になってから試すまではそれも確実とは言えないか。
時間停止中に再使用したら効果時間がプラス24時間されるのか、それとも一度使い切るまで累掛けは不可能なのかもまだ不明だしな。
なおもう一つの不正行為能力である『時間遡行』とは再使用可能時間を共有しているらしく、現状ではこちらも使用不可能になっている。
これも一度試してみるまで、再使用可能までの時間が『時間停止』と同じなのかはわからない。
少なくとも『時間停止』の効果継続中に再使用可能となり、その状況下で『時間遡行』を使用可能なのかどうか、可能だとして遡行後も『時間停止』が継続しているのかそれとも解除されるのか、を試してみることは必須だろう。
その結果次第では、『時間遡行』の使用はかなり慎重を期すことが必要になる。
『時間停止』はその解除までに再使用可能な状態にすることが可能だが、『時間遡行』はそれを使用してから再使用可能までの数時間、俺はこの強大な不正行為能力を双方とも使用できない状態になる可能性が高いからだ。
『切り札』を切れない時間帯が発生するというのはなかなかに恐ろしい。
とにかく時間が停止している状況での時間経過によって『時間停止』を再使用可能になるという、なんのパラドクスなのだという状態に陥っている気がするが、まあそういうものなのだと理解するしかないだろう。
先刻ぶっ放した『累瞬撃』の再使用可能までのカウント・ダウンも使用直後から止まることなく続いている。
つまり『時間停止』中にあと23回は発動することが出来そうだ。
とはいえダメージが通らない状態で何回叩き込んでも無意味ではあるのだが。
しかし『時間停止』の効果期間が24時間って、やっぱり俺が意識を失う前にやけくそで叫んでいた内容に沿っているとしか思えない。
『時間遡行』のほうもたぶん24時間単位なんだろうなあ……
会議資料を完成させるために覚醒した不正行為能力というのはどうにも締まらないが、その事実を知るのは俺だけなのでまあよかろう。
それにとりあえず24時間もあれば、一通りの実験をするには充分な時間と言える。
というかまず間違いなく暇になる。
今のところ強制解除する手段はないみたいだし、4時間後に累掛け可能になったとしても一通りの実験が完了するまでは控えておくべきだなこれは。
時間停止状況下での時間経過という、いわば矛盾状況でしか検証できない内容も多い。
例えばこの状況下でも空腹になるのか、また食べ物や飲み物を確保できたとして摂取可能なのかどうか。
そこら辺を曖昧にすると己の不正行為能力の発動中に餓死するなどという、間抜けとしか言いようのないことにもなりかねない。
まあまずは俺が『時間が停止している世界』に対して、どれだけ干渉可能なのかから試していくことにしよう。
まず手始めになんとかしなければならないのは、言うまでもなく『時間停止』発動を余儀なくされた原因であるボス級魔物、『影狼王』の中長距離攻撃である。
というか『影狼王』そのものをなんとかしなければ、『時間停止』を解除することもできない。
すでに大咆哮と共に射出開始されている『影狼王』の攻撃だが、それも冗談のように中空で停止している。
慌てることもないのでクロと共にとことこ近づいて行っておっかなびっくり触れてみるが、硬質な感触は感じられるがなんらかのダメージを受けることはなかった。
とはいえぶん殴ったり蹴ったりしてみても、停止した攻撃ともいうべきものを破壊することもまた叶わなかったのだが。
ふむ。
仕方がないので『影狼王』本体にどれだけ干渉可能なのかの実験に移行する。
こちらも通常攻撃、武技である『連撃』ともにH.Pバーを減らすことは不可能である。
最大まで『ためる』を累積した上での奥義『累瞬撃』ですら通らなかった以上、まあ順当な結果というべきだろう。
だが動かすこと程度であれば、なんとか可能だった。
巨躯ゆえの相当な重量のため、今の俺のステータス値では押しても引いてもびくともしないが、『連撃』を当てればその方向へ『累瞬撃』ほどではないが押されるようにして僅かだがズレる。
打点を選択すれば方向を変えることも、転ばせることも可能だった。
正直に言おう、安易に転ばせた結果、再び立たせる手段がなくてちょっと慌てている。
極論、『時間停止』を延長しつつ、どこか遠くまで移動させてしまえば逃げ切ることくらいは可能になりそうだ。
まあそんな気の遠くなることをするのは、いよいよもって打つ手がなくなった最終段階の話になるが。
今のところは他にまだまだ試すべきことが多い。
面白いのは咢からちょっと出ている中長距離攻撃だが、本体と共に移動している。
空中に止まるのではなく、あくまでも『影狼王』の一部のように、今は一緒に地に転がっている状態だ。
つまり射線をずらすこと程度であれば、すでにできているともいえるわけだ。
『時間停止』を解除した後、大技発動中に突然すっ転んでいる状態ともなれば自滅してくれる可能性もあるが、そんな不確実なものにかけるわけにもいかない。
とにかく『時間停止』の効果中であっても、他者に干渉可能なことはこれではっきりした。
停止しているリィンと馬車を動かして逃がすという手もあるが、それも『影狼王』を移動させるのよりはマシな程度で、えらく労力がかかるのは変わらない。
が、一応は試しておく。
さすがに馬車ごととなると今の俺のステータスではほとんど動かせない。
だが行商人のおっちゃんだけであれば、楽に持ち上げて走って移動することも可能だった。
うん、最終手段はおっちゃんとリィンを担いで時間の許す限り距離を取るという方法で行けるか。
だが問題はリィンだ。
おそらくは自身が展開したであろう、半透明の球状結界の中に浮いている状態で静止している。
結界に触れてみると『影狼王』の攻撃と同じく硬質な感触が伝わってくるが、こちらは防御手段として座標固定でもされているのか、軽く力を入れてもまるで動く様子がない。
攻撃を当てれば壊せるのかもしれないが、その結果がリィンにどう反映されるか不明なので、迂闊なことをするわけにもいかない。
球状結界の中で浮いている巨大で武骨ななんらかの魔導武装のこともあるし、これではリィン本人をおっちゃんのように担いで逃げることは不可能だ。
とはいえ触れることが可能だったとしても、おっちゃんのように気楽に担ぐのも憚られるのだが。
おっちゃんに触れた感覚ではこちらの干渉がなければ基本的に動かないだけで、体温も感じるし触った感じも生身の人間と何ら変わりがなかった。
鼓動こそ感じられないが、意識を失っている人に触れている感覚が最も近いか。
こっちが干渉しない部分も俺が触れたことによって全身が自然に重力に従う感じになるので、意識がないだけで一定の刺激に対しては身体が反応を示す可能性が高い。
改めて球状結界の中に浮かぶ、リィンの華奢な肢体を確認する。
うん、どう考えても煽情的に過ぎる格好だとしか言えない。
肌よりも色が黒いだけで、輪郭でいえば全裸となんら変わらない。
あえてそんな恰好でいる理由は当然あるとは思うのだが、もしも羞恥心が欠落しているだけであれば、事が済んだ後で長外套を羽織るなり、ボディ・スーツの上に動きやすい服を着るなり、なんらかの提案はしてみようと思う。
せっかく美人で可愛いというとびきりの容姿をしているのに、この格好ではアンバランスというか似合わない。
俺の要らん知識にある「いかにもダーク・エルフ」らしい肢体であれば似合うと言うこともできるかもしれないが、それはそれで痴女のようになってしまうだろうし。
少なくとも俺が落ち着いて話ができて、街で要らん注目を集めない服装を提案することは決定事項とする所存である。
ちょっともったいないと思わなくもないが。
さて。
とにかくこれで簡単な逃走は難しくなった。
『影狼王』の巨躯を逃走可能なくらい遠くまで引きずるなり、殴り飛ばし続けるのも気が進まない。
となれば最初に考えていたとおりの実験に入るしかない。
『時間停止』の効果時間はまだ23時間以上残っているので、俺のやろうとしていることを試すには充分だ。
万が一時間が足りないようであれば、『時間停止』の効果が切れると同時に再発動すればいいだけだしな。
ちなみに今から俺がしようとしている実験が成功するのであれば、この世界における俺の『最強無敵』がほぼほぼ確定する。
レベル31の『影狼王』に対して、レベル3でしかない今の俺の攻撃が通らないのはいわば当然の事でしかない。
ゲームであれば一度ボス系と接敵して戦闘に入ってしまったら一時停止をしたところでその戦闘から離脱することなどできず、『GAME OVER』は不可避な状況だと言えるだろう。
ボス戦闘からは逃げられないのはまあお約束だ。
不正行為による『時間停止』ができたところで、今の俺と同じように攻撃が通らなければどのみち詰んでいる。
セーブポイントからのやり直しは不可避というやつである。
この世界にそんなものがあるのかどうかは知らないが。
だがM.OやM.M.Oのようにシームレスに戦闘に入る類のゲームであれば、接敵したボス系に勝てないと判明した後、やりようによっては逃げることも可能だ。
そして『時間停止』が可能なのであれば、それは断じて単なる逃走ではない。
勝てない敵を放置して、勝てる敵を狩りに行けばいいのだ。
そして己のレベルを上げて、物理で殴ればそれで済む。