第062話 【Side_ティコ・オースティン・ブラッド】
二つの不正行為能力、『時間停止』と『時間遡行』
この世界にとって二人目とされている岐からの客人――プレイヤー、真岐匡臣がその身に宿す世界の理をすら覆し得る力。
これらはまさにこの世界にとっての不正行為能力であり、真岐匡臣にのみ行使可能な神の御業によらぬ奇跡である。
そして真岐匡臣は不正行為を正しく不正行為として行使し、この世界のこの時点では絶対に不可能なはずだった状況を成立させるにまで至っている。
神の奇跡のひとつ――罰、あるいは呪い。
『黒化』
その模倣あるいは再現を、自身がこの世界に顕れて一月にも満たないこの時期に、完全に己の力とすることに成功しているのがその一つ。
彼の望むただ一つの目的のためだけに、世界の在り方を根底から覆して平然としているのだ。
真岐匡臣の不正行為能力の使い方は当然、自身の戦闘能力の一部としてや、やらかしてしまったことを無かったことにするという、いわばわかりやすい使い方だけではない。
『時間停止』による一方的な敵性存在の排除やあらゆる場所への侵入、知識の収奪と習得。
停止中でも他者に干渉可能という破格の能力のため、これ一つだけでも個としての戦力で真岐匡臣に伍することが可能な者はほとんど存在しえない。
それこそ同じ能力を持ってでもいなければ、自分がなにをされたかを理解する前に敗北を喫するしかないし、どれだけ厳重に隠しておいたもの――たとえば禁書の類であってもいずれ暴かれすべては奪われる。
そして真岐匡臣の現在の身体能力――脳の処理能力を含めたそれは人としての最高峰を極めており、記憶とその同調連鎖能力は突出している。
もっともそちらの方は宿っている真岐匡臣の魂の「自分は文系脳かつ凡人」という意識に縛られており、まだその本来の力を発揮できてはいないのだが。
真岐匡臣本人的には「異常に記憶力が良くなったな」程度の認識である。
すでに主観的には人の寿命を遥かに超えた時を生きていながら、その制限を解除しないのは、あるいは無意識による安全確保なのかもしれない。
賢者ほど狂いやすいという、要らん偏った知識に基づいた。
もっともそれはあながち的外れな見解ではなかったのかもしれない。
事実として今、真岐匡臣はそれだけの時を重ねたにもかかわらず、この世界にはじめて顕れた時とそう変わらぬ精神性を維持したままに存在できているからだ。
だがその制限を解除すれば、力――神の奇跡の模倣に止まらず、叡智や精神性ですらいずれ神の領域まで辿り着くことすら可能とするかもしれない不正行為能力。
それが『時間停止』に続く彼の二つ目の不正行為能力、『時間遡行』
真岐匡臣は彼の身に宿っている『戦闘能力』や向こう側の存在としての要らん知識や経験だけではどうにもできないと判断した時、自身の『時間遡行』のこういう使い方に思い至った。
その結果が現在に繋がっているのだ。
「やあ、久しぶりだね、ティコ」
「は? アンタ誰だよ?」
ここはこの時代の世界で最大勢力を誇る『聖教会』、その聖都に存在する『奇跡局』
要は魔法や武技、能力といった、『聖教会』的には「神から与えられた力」とされている奇跡そのものを研究するための組織。
その本部地下の秘密の空間である。
真岐匡臣が突然その場に現れ、一方的に親し気に声をかけている相手である青年――ティコ・オースティン・ブラッド。
この時点ではまだ27歳という若さである。
若き天才、神の寵愛を受けし者として『奇跡局』の局長を任されている自他ともに認める奇跡――魔力に基づいたありとあらゆるを研究する、この時代、この世界における第一人者だ。
この後、真岐匡臣本人をして「己の真の頭脳」とまで言わしめるに至る研究室『世界の淵』の室長となり、名付け親となる存在でもある。
「あはは、そりゃそうだ。ここまで戻るのは本当に久しぶりだから、いつもの調子で挨拶してしまったな。俺は君の仲間だよ。君はいつも最終的には『我が主』と呼んでくれるようになるが、今回はそうしてくれなくても俺は一向にかまわない」
「何言ってんだアンタ、頭いかれてんのか?」
真岐匡臣は今回、『黒化』を完全模倣、制御可能な『人造神遺物』が完成したためにこの時間軸まで戻ってきている。
当然この時間軸ではまだ真岐匡臣とティコは出逢ってさえいないので、真岐匡臣の挨拶が通じるはずもない。
まだなにも知らないティコのこの反応は至極当然のものなのだ。
だが半ば以上、真岐匡臣がわざと楽しんでそうしていることもまた間違いないだろう。
彼は今、かなり嬉しいのだ。
「いやそうはいっても賢い君のことだ、この場に俺が現れている時点でただ者ではないことくらいは理解できているのだろう?」
「…………」
真岐匡臣の言うとおり、ここはティコの秘密の空間だ。
それも天才ともてはやされるティコが己の全能力――職持ちとして習得した魔法や能力すらもつぎ込んで、完全秘匿空間としているはずの場所である。
ティコ的には誰にもバレないという、絶対の自信を持っていた。
そこへティコに感知されることもなく忽然と顕れ得る存在が、ただ者であるはずもない。
しかもこの空間の存在を知られることは、ティコにとって致命傷だ。
どれだけ生臭くとも『聖教会』はあくまでも宗教団体であり、その禁忌に触れることは絶対に許されない。
それが発覚してしまえば、いかに天才ともてはやされているティコとて闇から闇へと葬られることは想像に難くない。
それこそ、そうすることも仕方なかったとされる醜聞を周到に用意され、ティコがこれまでに残したあらゆる成果は「禁忌指定」されることになるだろう。
もっとも信者たちには今ティコが隠れてやっていることが発覚するだけで、「背教者」として納得させることも難しくないはずだ。
だが上層部としてはティコがそんなことをやっていたと発表するわけにもいかないジレンマを抱えている。
ティコが信じてもいない『聖教会』の敬虔な信者であること演じ、その中枢にまで潜り込んだ目的はたったのひとつ。
神の奇跡として思考停止している現象の全てを解明し、大聖堂の奥深くに「神の御業」によって封印されている『聖女』の目を覚まさせることなのだから。
その封印の継続を、『聖教会』が望んでいるなどと信者たちに知られるわけにはいかないのだ。
「だがいかに君が賢くても、人の寿命に縛られている限り君の望みは絶対に叶わない。今の時点からゼロベースでスタートしたら、君の寿命が尽きる頃に辿り着けている場所は、望みの裾にも縋れてはいない位置にすぎない」
「わかってるよ、そんなこたあ! だけどな!!」
いきなり心の奥底を見透かされているようなことを言われて、ティコが激高する。
優れているからこそわかるのだ。
今自分が手をかけた世界の広さと深さ、その最奥へ辿り着くまでに必要なのは才能だけではなく膨大な試行錯誤と、それを可能とする金と資材、なによりも果てしないの時間――人の生涯を10回や20回かけたところで到底及ばないほどの――だということが。
「それが諦める理由にはならねえ、だろ?」
「――っ!?」
だがティコの激高を好ましいもののように見ている目の前の男が恐ろしい。
しかも自分が口にしなかった言葉を、一言一句違えずに当てて見せている。
――こんなのはまるで……
「だがやはり君一人では無理だ。俺がどれだけ状況を整えようが、無限に等しい『魔石』とありとあらゆる魔物、『籠護女』や『外壁』という時代錯誤遺物の悉くを研究対象として君に与えようが、研究を進めるための資金として毎年大国の国家予算を超える金を準備しようが、君はなにも具体的な形を成すことができずに絶望して死んだ」
「――っ!」
「死ぬ」ではなく「死んだ」
すでにこれからのティコの生涯を一度すべて見てきたような物言いだが、そこに詐術めいた匂いは感じられない。
どこか痛ましそうにも見える真岐匡臣の様子は、共にその人生を送った盟友のようですらある。
まさかそれが真実だとは、いかな天才とはいえ今の時点で気づくことができるはずもないのだが。
「だが全くの無駄だったわけじゃない。一歩と呼ぶにも烏滸がましい僅かなものであっても、間違いなく君は先には進んでいた。そして君はそれをすべて文献として残していた」
ティコ自身もそれはそうするだろうと思う。
次代に託す、というような殊勝なキャラクターではない自覚はあるが、それでも己が一生をかけてのたうち回った、成果とも呼べない成果であってもなんらかの形には必ず残すだろうというのは間違いなくそう思える。
「俺はそれを「はじまりの君」へ届けることができる。それを繰り返すことも。それはやがて一生から10年、やがて1年という若い頃の短期集中の繰り返しが最も効率がいいという結論に君自身がたどり着き、それを実現可能まで繰り返すという方法へと行きついた」
「なにを、いって……」
今のティコにわかるはずもない。
今真岐匡臣が言っているのは、自身には絶対に不可能だと判断したこの世界の理――神の奇跡を模倣するに至るまで分析、研究、開発をすることを、この世界に生きる天才たちに託す、その具体的なやり方をなのだから。
真岐匡臣は『時間遡行』をそういうカタチで使ったのだ。
天才たちが生涯を、一定期間をかけて積み上げた成果物を己の異層保持空間にすべて格納して、はじまりの時間まで『時間遡行』を行使する。
その期間で進んだすべての研究論文と、それに基づいて生み出されたすべての成果物の現物をスタート地点へと持ち帰る。
そしてその続きを、同じ天才たちに0からではなく再スタートさせるのだ。
あるいは自身がゲーマーとして、「強くて再ゲーム」を好んでいた故に思い至ったやり方なのかもしれない。
それがゴールにたどり着くまで、飽きることなく繰り返す。
「だから初めましてだよ、8,429回目のね。とうとう君たちはやり遂げたよ。これがその成果物と、君がこれまでに積み上げたすべての資料だ」
そしてとうとう真岐匡臣は――彼の仲間たちはたどり着いたのだ。
ティコとの出会い、あるいは再会を8,428回成立させる、万を遥かに超える『時間遡行』の繰り返しの果てに、『黒化』の模倣を完全にやってのけるに至った。
そのすべてを、真岐匡臣は今再びはじまりのティコへと提供する。
すべてを受け継ぎ、ここからまた先へと進むために。
「そして君からの伝言だ。「これでやっと人としての生涯を送れるな。細かい改良は任せた。俺たちの最後の一人として、最初の一人とは違って笑って寿命で死んでくれ」だそうだ――君はいつもカッコいいね」
「…………な、なん」
ティコは全力で真岐匡臣の言うことを理解しようとしている。
とはいえできるはずもない
だが今目の前に積み上げられた膨大な文献と、広大な秘密空間――というよりは地下遺跡の類――の天井付近に浮かぶ『人造神遺物』の試作弐号機を一通り見た後であれば、いやでも理解せざるを得ないだろう。
ティコは真岐匡臣の力を借りて、自分を無限に繰り返すことによって自らそれを創り上げるに至ったのだろ言うことを。
そしてそれは、今の己が持っている望みをかなえる途になるのだということも。
「まあすぐに理解するのは無理だろう。俺ももう記憶がおぼろげになっているが、まずは『世界の淵』の研究室立ち上げからやる必要がある。とはいえ今回は俺も知らない展開になる可能性もあるから、お互い慎重に行こう。まずは君のおかげでなんとかなりそうな俺の最初の目的を果たしてくるから、それまでに資料に目を通しておいてくれれば助かる」
それだけ言って、背を向ける。
「なあに君自身が書いた字と文章だ、すぐに理解できるさ」
振り返りながらそう言って、おそらくは逸失魔法のひとつとされている『転移』を行使してティコの前の前から姿を消した。
思えばこの場に唐突に顕れたのも、『転移』を行使してのことだろう。
つまり真岐匡臣がその気であれば、ティコは抵抗の手段など何も持たずに殺されることもあり得たということだ。
それだけは辛うじて理解できたティコである。
「しかしこれは……」
頭上には視たこともないような禍々しい巨大な機械仕掛けの偽神、『黒化』の模倣を可能とする『人造神遺物』
目の前には読破するだけでもひと月はかかりそうな膨大な文献と、今のティコでは禁書で読んだことが在るだけの幻である膨大な数の『魔石』の山が残されている。
なにがなんだか理解などできているはずもない。
だがティコは研究者の宿痾として目の前の膨大な文献、その壱冊目を手に取って目を通し始めた。
これは確かに俺の文字と文章の癖だなと確信しながら。
だがそこに記されている叡智は、今の自分など及びもつかないほどの高みにあるシロモノではあるが
正直ため息が出る。
だが仕方がないかとも思う。
さっきの男が言ったことが本当であれば、これは人の寿命から言えば無限にも等しい、歴史と呼称されるほどの時を己が賭けたその結晶なのだから。
そしてそれは、時間さえかければ己もその高みへと辿りつけるという証でもあるのだ。
――とはいえもう少し詳しく説明してくれてもいいのにな、あの人はホント相変わらず……
我知らず浮かんだ知らない記憶に基づく毒つきを、我ながらおかしなこととしてティコは笑った。




