第004話 チュートリアル
やはりかなりの兵でもあるのだろう、俺の様子が一瞬で変わったことにリィンは瞬時に気付いている。
おそらくは俺が敵性存在を捉えたのであろうということも。
「おっちゃん、馬車いったん止めて!」
だから俺が突然大声で商人のおっちゃんにそう告げることに、リィンは驚いたりしない。
ずっと大事そうに抱っこしていたクロを優しく馬車の荷台に降ろし、中腰で周囲の気配を探りに入っている。
二足と四足の差があるのに、リィンの足元で似たような警戒態勢を取っているように見えるクロが可愛らしい。
だがリィンの様子はついさっきまでの見た目相応のあどけない美少女などという可愛らしい代物ではなく、そんな見た目でありながらもリィンが歴戦の兵であることをうかがわせるには充分なものだ。
――ピリついている美少女っていうのはそれだけで絵になるものらしい。
「なんだ、どうした!?」
行商人のおっちゃんが御者台から大声で確認してくる。
「魔物が複数出現しました。すでにこの馬車は半包囲されています」
「なんだって!?」
だがこの世界では忌むべき存在っぽいエルフを簡単に自分の馬車へ乗せることを苦も無くよしとし、どうやら普通ではない俺の反応を面白がっている変わり者とはいえ、あくまでもおっちゃんは普通の行商人であって戦闘職持ちではない。
突然そんなことを言われて、慌てるなという方が無理だろう。
慌てながらもきっちり馬車は止めてくれたのはありがたいが。
おっちゃんの取り乱した様子からして、街道沿いで魔物と接敵することはどうやら希少事態であるようだ。
「マサオミ、失礼だがそれは本当なのか? 私にはまだなにも感じられないのだが」
疑問形でありながら、それでもなおまだとつけているあたりにリィンが自分の能力を過信していないということが伺える。
俺の勘違いであった場合、ああよかった、ごめんで済む。
だがそうではなかった場合、早期警戒できていることにデメリットなどないのだから、自分の感覚だけを絶対として「そんなはずはない」という判断を下すことに合理性などない。
実戦慣れしている者はそんな判断を絶対にしないのだ。
あくまでもゲームの経験に基づいた戦士の心得()というやつではあるが。
というかリィン、それなりの距離があっても魔物の気配を察知できるってことなのだろうな、今の言い方から察するに。
すごいな。
だが自分の索敵感覚にはまだなにも引っかからなかったらしいリィンが、俺の断言に対してもっともな確認を取っているというわけだ。
俺のただならぬ様子にまず間違いないだろうとは思っていても、積み上げた実績がある己の感覚になにも引っかかっていないことを不思議に思うのもまた当然と言えるだろう。
街道沿いで魔物に接敵することが、珍しい事態だというのであればなおのことだ。
ちなみに俺だって当然、皮膚感覚ではなにも感じることなどできてはいない。
俺が魔物の接近を察知できたのはクソ便利な索敵能力付き地図に赤い光点が複数表示されたというだけにすぎないのだが、そんなことをうまく説明できる自信など無い。
今もその赤い光点――13体のおそらく魔物どもは、この馬車への距離をかなりの速度を以って詰めてきている。
佇まいと言い、さっきの物言いと言い、リィンが戦闘能力皆無ということはまずありえないだろう。
だからと言って戦えるという保証があるわけでもないし、これから接敵する魔物よりも強いという保証などもっとない。
まずは安全第一、俺がひとあたりしてみるべきだろう。
リィンがめちゃくちゃ強かった場合、失礼かつかなり恥ずかしい事態にはなるが。
俺のレベルが1に過ぎないことがバレているというわけでもなかろうし、ここは俺も歴戦の兵っぽく振舞おう。
その方が話のとおりがはやいし、どちらにせよ俺とリィンで魔物を撃退するしか生き残る道などないのだし。
ゲームならではのお約束通り、この魔物どもがチュートリアル難度であることを祈るばかりである。
「間違いない。まだ距離があるからリィンの察知可能範囲に入ってきていないだけだろう。もう少し距離が詰まればいやでもわかると思う。数は13。前方半円を包囲状況で展開している。右側の数体が近い、というか速い」
「え、えぇ?!」
俺の具体的すぎる状況把握に、リィンが素直に驚いている。
まあ確かにある程度の気配が読めたところで、ここまで正確、詳細に敵の状況を把握することなど普通は不可能だ。
俺以外には不可視の索敵システムで正確に掌握している状況を告げられても、驚くしかないというのは理解できる。
だが今はそんなことを説明している余裕などない。
半包囲されている状況は確かなのだが、それは言い換えれば敵が戦力を分散させているということでもある。
迎撃側――つまりは俺に一定以上の速度と1対1で敵を瞬殺できるだけの戦闘力があれば、各個撃破できる状況だと看做すこともできるのだ。
彼我の戦力差がどれだけあるかは依然として不明だが、13体の魔物に囲まれた状況で俺とリィンでおっちゃんを護りながら戦うよりは、各個撃破に打って出る方が間違いなくやりやすい。
「俺が迎撃に打って出る。リィンには馬車の直衛を任せていいか?」
「だ、大丈夫?」
「なんとかやってみる!」
距離が詰まったことでリィンも魔物に包囲されている現状を気配で察知できたらしい。
俺の提案に答える声は真剣そのものだ。
口調が素になっているのが可愛い。
確かに俺の移動速度と戦闘能力が足りなければ、この場で互いに背中を護り合って戦う方がいくらかマシになる可能性もある。
だがそうなればジリ貧な気がするし、実戦慣れなどしているはずもない俺が行商人のおっちゃんを護りながら戦うのは正直なところ難易度が高い。
とはいえもっとも速い右の魔物に接敵して瞬殺できないようであれば、即引き返すのが無難なことも確かか。
考えていても事態が好転するわけでもないし、この状況での時間は貴重だ。
少々――いや正直かなりビビってはいるものの、最も接近している右の魔物に対処するべく馬車を飛び出す。
――え?
自分でもちょっと引くくらい、ものすごい速度で弾かれるように馬車から飛び出した。
緊張していたので思いっきり力が入っていたのは確かだが、まだレベル1にすぎないステータスでこんな速度が出せるものなのだろうか。
というか苦も無く俺のその速度に追従しているクロもすごい。
『従魔』というからには、常に主人である俺と一緒にいるのが大前提なのではあろうが。
思考も身体が出せる速度に合わせて加速されているのか、能力だけが暴走しているわけでもなく自身の速度を完全に制御できている。
我が身はあっという間に馬車を置き去りにして深い森へ突入しているが、相当な速度にもかかわらずぶつかることなく木々の間をすり抜けて超速で走れている。
いや確かに元の衰えた体と比べて、若くて鍛えられた身体ではある。
だがこの速度は常人の域を遥かに凌駕しているのは間違いない。
なによりもこの速度を完全に制御下に置けていることが凄い。
あっという間に視界に映り続けている表示地図の黒い部分を解放しながら、その最初の目標とした赤い光点――魔物との距離が縮まってゆく。
少なくとも半包囲を仕掛けてきているすべての魔物が馬車に到達するよりも速く、俺が13の対象全てに辿り着くことは余裕で可能だろう。
問題は対象の魔物を倒すことができるのか、できたとして一体につきどれくらい時間がかかるのかとなるだろう。
そこまで考えた時点で、かなりの速度で馬車へ駆けている狼型の魔物の姿を俺の肉眼が捉えた。
向き合って互いに加速しているので相当な相対速度だと思うのだが、意識と思考の方も加速されているのは間違いないようで、やけにゆっくりに感じる。
なんか妙な感覚だ。
己の速度と敵の速度、その双方を客観的に捉えられているにもかかわらず、余裕をもっていろいろ考えることが可能なこの状況というのは。
普通であれば刹那で交差してしまいそうなものなのに。
俺の眼が捉えた魔物は拡張現実のような表示枠によってその名称とレベル、H.P及びM.Pが表示されている。
このあたりはまんまフルダイブ型仮想現実ゲームのノリだな。
『影狼:レベル3』
実体の上部に浮かんでいるH.PとM.Pはバー表示なので詳細な数値はわからない。
レベル1の俺がレベル3の魔物を相手にするのが適正なのかどうかもわからないが、こうなってはもはや殺るしかない。
調べたら「ちょうどいい相手です」とか表示してくれたら助かるのだが、さすがにそこまで便利にはできていないらしい。
いや「とてもとても強い相手です」なんて表示された日には、単独で挑むのは死と同義になるから困るが。
まあ確かに今はレベル1にすぎない我が身ではあるが、レベル3とはいえ初接敵の魔物の一撃でH.Pをすべて消し飛ばされることはまずないだろう。
そうであってくれ。信じたぞ。
無理やりに覚悟完了して正面から殴りかかる。
互いのあまりの速度の故なのか、『影狼』の索敵範囲外から一瞬で互いの攻撃有効範囲に到達する。
俺は『影狼』を認識できているが、『影狼』はまるで俺のことを捉えられていないようだ。
『格闘士』の職特性によって、ただ俺が殴ろうとしただけで練習したことなどないにもかかわらず、見事な右ストレートが『影狼』に叩き込まれる。
さてどれくらいH.Pバーが減ってくれるかなと思っていたら、その一撃ですべて消し飛んだ。
俺の拳が魔物である『影狼』に叩き込まれてから一瞬のタイムラグのようなものが発生し、薄ガラスが割れ砕けるような高い澄んだ音が幾重にも重なって響いたと同時にH.Pバーが消し飛んだように見えた。
その直後俺の拳に装備された拳鍔が『影狼』の身体を貫き、死亡判定された『影狼』が拾得物として俺の異層保持領域に格納されるまで一瞬だ。
傍から見ていたら、俺がぶん殴った魔物が木っ端微塵に消し飛ばされたようにしか見えまい。
視界に複数展開される表示枠でなにがどうなっているかを把握できてはいるが、想定の斜め上と言えば斜め上である。
あまりにも魔物が弱いのか、あまりにも俺が強く設定されているのか。
『影狼』程度の魔物では、レベル1に過ぎない俺の相手にすらなっていない。
まあ確かに序盤のプレイヤーを周囲から見れば、驚異的な強さを誇ってはいると言えば確かにそうなのだろうが。
今の戦闘の感じでH.Pとはなんぞやというのもある程度わかったような気がするが、その辺の考察は後回しでまずは敵の排撃を最優先するべきだろう。
今の位置から反時計回りで残り12体の魔物をすべて狩り尽くす。
俺の機動力と『影狼』を鎧袖一触できるだけの攻撃力があれば、馬車には一体も到達させることなくすべてを始末することは容易い。
お約束通り、チュートリアル難度で一安心というところだ。
しかしゲームであってもその基本的な操作を覚え、プレイヤーキャラの性能を確認するチュートリアルは多くの場合楽しさよりも面倒くささの方が勝りがちなものだが、現実となれば恐怖を上回る高揚を押さえられない。
もちろん魔物との彼我の戦力差が圧倒的である事が大前提とはいえ、愉しいとか面白いじゃなく、血が湧きたつような、大声を上げて走り回りたくなるような、あっちでは終ぞ感じたことのない高揚感を確かに今俺は強烈に感じている。
それも当然かもしれない。
戦って敵の命を奪う行為が仕事内容の人間など、普通の会社勤めではまずありえないことなのだから。
生まれて初めてといってもけして過言ではない高揚感に身を任せ、残りの『影狼』を次々と始末してゆく。
疲れ知らずの身体をぶん回して森を駆け抜け、本来の俺であれば相対しただけで腰を抜かすことしかできなかったであろう魔物を一撃で屠ってゆくというのは、まさに『強者の愉悦』そのものと言える。
「ははっ! あははははははははははははははははは!!!」
口の端に浮かんだ笑いを噛み殺すことができなくなり、抑えきれず呵呵大笑しながら深い森をクロと並走しながら駆け抜け、『影狼』を殴り殺してゆく。
3体目を倒した時点でレベルが2に上昇し、10体目で3に上昇する。
レベルアップのたびに各種ステータスが上昇し、移動速度も一撃の破壊力も増しているという実感がある。
一撃で斃せるため試してはいないが、レベル3になった時点で『連撃』――新たな武技も取得している。
これで武技は最初から使える『ためる』、一度使用すれば再使用まで一時間必要となる超武技『累瞬撃』とあわせて三つ使用可能になったわけだ。
もともととんでもない強さを持った俺が、より強くなっていっている。
13体目、最後の一体を馬車まで十分に余裕を持った位置で撃破完了することができた。
残念ながらレベルが4に上昇することはなかったが。
視界に常駐している索敵地図から赤い光点がすべて消滅したため、馬車を飛び出してから一瞬たりとも停止することなく続けていた高速機動を止め、思考も身体も冷却を図る。
冷静になるとやばい、大笑いしながら魔物を薙ぎ倒しまくるって戦闘狂が過ぎて、誰かにみられたらドン引かれること間違いなしである。
というか慣れない感覚で脳内麻薬が過剰分泌されるのはある程度仕方がないとしても、それも含めて御せるようにならないと先々拙いだろう。
身体能力が人間離れしておりそれを制御する思考も加速されているとしても、戦闘時の俺そのものがあっぱらぱーになっているようでは話にならない。
彼我の戦力差が拮抗している場合、それこそが敗因となるのはまず間違いない。
まあ奥の手である『時間停止』を実証実験した後、上手く使えば安全に敵を排除することもできるだろうが、実戦は実戦で捨てがたい快感であることを知ってしまったからなあ……
まあそれもこれもまずは目的地であるらしい『迷宮都市ヴァグラム』とやらについてからじっくり考えればいいか。
――たぶん心配させているだろうから、早く馬車に戻ろう。
そう考えた瞬間、再び索敵地図が視界の中央に大きく表示され、俺の今いる位置から馬車を挟んで反対側に金色の光点が発生する。
同時に足元のクロが、警戒するような短い鳴き声を放った。
もしかしたら俺の視界に展開される表示枠関連は、クロがすべて処理してくれているのかもしれないな。
まだそれなりの距離があるとはいえ、その金色の光点は『影狼』など比べものにならない速度で馬車への移動を開始している。
それを確認すると同時、ゲーム慣れした俺の要らん知識が警告をがなり立てる。
――雑魚魔物をすべて始末したことによる、ボス級魔物の湧出。
そう認識した瞬間、余計な思考をすべて停止。
俺とクロは全速力で馬車へと向かって駆けだした。