第002話 オープニング
どうやら夢ではなかったようである。
もしくは夢が続いているのか。
キャラクター・クリエイトをすべて完了し、『以上で確定してよろしいですか』との確認に『是』と返した結果、一度意識も含めてすべてがブラックアウトした。
そのまま自分の部屋で目が覚めるということもなく、深い森の街道を進む馬車に揺られている状況で意識が覚醒している。
なぜこんな状況なのかなどまったくわからないが、御者が寡黙であり乗客? はどうやら俺一人らしい。
ちょうどいいのでいろいろ確認してみることにする。
さっきまでとは違い、実体を伴っているのは間違いない。
鏡はないがまず間違いなくさっき行ったキャラクター・クリエイトどおりに仕上がっていると思われる。
なぜならば体のどこにも痛む箇所がないからだ!
素晴らしい!!!
そうだよな、若い頃はそれが当たり前だった。
怪我でもしてなければ痛い場所など無くて当然。
気のせいか意識もずっとクリアに感じるし、これなら集中力もかなり持ちそうな気がする。
もうこれだけで、どうかこの状況が夢であってくれるなと祈ってしまいそうになる。
この身体でなら各種資料作成ももっと効率的に……って、これが夢でなければその必要はなくなっているわけか。
つまり明日の早朝会議で多くの人に迷惑をかけ、俺の評価は地に落ちるわけだがそこは思考停止するしかない。
やればできることならうだうだ言わずにやるべきだと思うが、悩んでもどうしようもないことに時間を割くことは無駄でしかない。
申し訳ない同僚のみんな、上司の方々。
誰かがフォローしてくれることを期待します。
そう念じながら心で手を合わせて祈りを捧げる。
せいぜい今はそれぐらいのことしかできないしな。
膝を立てて座っている姿勢の足元には、従魔である黒猫――クロが丸まって眠っている。
うむ、可愛い。
だが我が身を以て受ける現実感は相当なものだが、同時にゲームっぽさもなかなか半端ない。
視界に映るH.PとM.Pの数値、ならびにおそらくはこの世界における現在時刻。
表示は9:03AM。
時間についてはどうやら元の世界と同じと考えてもよさそうか。
いや13:00AMとかになられる可能性もなくはないのか。
意識を向ければ視界の邪魔にならないようにステータスや周辺の地図も表示される。
もっとも地図は進んだ部分だけが解放されていく仕組みらしく、馬車が進むのに合わせてその周囲だけが地図らしく更新されていっている。
ちなみに拡大縮小も可能。
自動地図作成機能搭載済み俺。
これ、迷宮とかだとすごく便利だろうな。
ステータスを表示してみればキャラクター・メイキングの際にみたとおり、レベルもしっかり1である。
こういう視界に必要に応じて表示枠を映すという拡張現実のような要素だけであれば、それこそいまだ実現できていないフル・ダイブ型の仮想現実ゲームと言われた方がしっくりきそうだ。
だがそれ以外の現実感――視覚だけではなく触覚や嗅覚、聴覚に訴えてくるなんというか生感が、これが仮想現実ゲームであるという想像を全力で否定してくる。
深い森の存在感、間違いなく人の手が入っている街道を進む馬車から感じる振動。
むせかえるような木々の香りと、土の匂い。
車輪が道を進むカタコトという音、遠く聞こえる鳥たちの囀りやさわさわとした木々の間を風が通る音。
どれもみなゲームとしては現実的すぎるし、夢というにははっきりしすぎている。
気がする。
まあ目覚めるまでの夢というのは実はこういうものなのかもしれないが、今まで一度も明晰夢を見た記憶が無い俺にはそのあたりがよくわからない。
大体夢って、目が覚めた直後であればまだしもすぐに忘れて曖昧になるんだよな。
よしんば現実だとしてもゲーム風味が強いこの状況、あえてあてはめるのであればオープニング・シーンといったところか。
主人公が名もなき冒険者として、はじまりの街へと到着するまでの操作不可能場面。
ここで創造された主人公の容貌や世界の風景をプレイヤーに見せ、ナレーションで物語の導入が語られていたりするあの感じだ。
その間プレイヤーは操作不可能になるのが定番だが、現状問題なく操作できている。
自身が自由に動けることを『操作』と言ってしまうのもどうかという話ではあるが。
意識を向ければ浮かび上がる特殊能力、『時間停止』と『時間遡行』もしっかり使用可能らしい。
ここで使えばどうなるのだろうという誘惑になんとか抗う。
『時間遡行』が可能なのだ、どうしても実験したくなれば後でやってみればいい。
とりあえずおそらくははじまりの街に到着して、F〇シリーズなどであればクリ〇タルのテーマが流れだすあたりまでは流れに身を任せることにしよう。
もちろん洒落にならない危機が迫ればその限りではないが。
ゲームであればうまく省略されて数分のオープニング中に到着するのであろうが、現実化? している現状ではそうもいかないらしい。
寡黙な御者が進める馬車に揺られたまま、結構な時間が経過してゆく。
欠伸をしたクロを抱き上げてみたら、従魔らしく俺にはひどくなついているとみえる。
「にあ」と一つ鳴いたきり俺にされるがままになっているし、美しい金色の眼をのぞき込むと、抱き上げられてびろーんとなったまま機嫌よさそうに喉を鳴らしてじっと見つめ返してくる。
人語を話す様子もないし、当然人化もしないだろう。
少なくとも今のところは、ただの可愛らしいペット枠といったところか。
装備画面を呼び出して『格闘士』の初期装備である『鍔拳』をつけ外ししてみると、拳に瞬間装備→解除を繰り返すので面白い。
装備画面には装備記憶が10セットくらいあるので、これなら将来的に蒸着――エクストリーム着替えも可能だろう。
魔法がある世界で何をいまさらという話ではあるが、やはり我が目で見ると加工動画のようで笑える。
あとゲームではお約束といえる不可視のアイテムボックス――異層保持空間は当然のようにデフォルトで搭載されている模様。
このまま突然目が覚めたりせずにこの状況が続くとしても、かなり快適に異世界生活を送れそうな機能はすべて搭載済みらしい、この異世界用俺には。
一通り試してみたいことを終えるとさすがに暇になってきた。
風景も大自然味はあるとはいえ、言ってもただの大森林だしな。
最初から一言も話さないままの御者に話しかけてみようかな? などと考えていると、突然視界の中央に拡大された地図が表示された。
まだ黒く地図化していない表示範囲の最上部――馬車の進行方向に青い光点が明滅している。
この青い光点が俺のよく知るゲームのとおり友好的N.P.Cに類する対象を表示しているのであれば、そこへ馬車がたどり着いたら何らかのイベントが発生する可能性があるということだ。
というかこの地図機能、めちゃくちゃ便利だな。
最初見た時も迷宮なんかでも便利そうだとは思ったが、青い光点で非敵性存在、赤い光点で敵性存在をマップ範囲内に表示してくれるのであれば、それだけで冒険者たちの攻略パーティーでは重宝されそうだ。
じりじりと黒い部分を地図化しながら青い光点が地図の中心点、つまりは馬車に近づいてくる――もちろん実際は馬車の方が進んでいるのだが――のを固唾をのんで見守る。
地図のデフォルト表示範囲は意外と広かったようで想像よりずいぶん時間はかかったが、光点とほぼ重なったタイミングで予想通り馬車が停止した。
前の方で御者台から下りたおっちゃんと誰かが会話している小さな声と気配が届いてくるが、なにを言っているのかまではわからない。
あ、そういやこの世界に来てから一言も話してないけど、言葉は通じるのだろうか。
通じなければいきなり危機的状況に置かれることになるのだが。
「お客さん、その……同乗者が増えてもかまいませんかね?」
だがその杞憂は一瞬で払拭された。
御者台に戻ったおっちゃんが、間違いなく俺に向かって話しかけてきた内容をきちんと理解できる。
というか実際はどうなのかは知らんが、俺にとっては日本語にしか聞こえない。
助かる。
「……俺はかまいませんよ」
「お客さん」と呼びかけられたとおり、なにがしかの対価を払ってこの馬車に乗せてもらっているのが今の俺の状況である事は間違いなさそうだ。
とはいえ商品用の荷車に乗せてもらっているようなもので、一応の幌とスペースこそ充分にあるが、本来人をのせるためのものではない。
一応客ではある俺に確認を取ってくれるのはありがたいが、拒否できる類のものでもないだろうし、そのつもりもない。
そのはずだが、御者のおっちゃん――おそらくは行商人が妙に面白がっているような気配なのが気にかかる。
「エルフの嬢ちゃん、先客の同意も得られたから乗ってくれてかまわんよ」
「……人が悪いな、商人殿。しかし甘えさせてもらおう」
やたらとでかい声でそう告げる行商人と、馬車に近づいているのか相手の声も今回は聞こえた。
そんなことよりもエルフだと?
しかも聞こえた声からして間違いなく女性だ。
やっと――というほどこっちに来てから時間が経過しているわけではないが、いかにもな世界要素がご登場というわけだ。
これはさすがに期待せざるを得ない。
なぜか御者台から興味深げに俺のいる荷台をのぞき込んでいる行商人のおっちゃんも気になるが、今はそれどころではない。
果たしてコネストーガ幌馬車っぽい後部から身軽に乗り込んできたのは、まさにエルフとしか言えないような少女だった。
「同乗の許可をいただき感謝する。迷宮都市ヴァグラムまで我慢してもらえればありがたい」
「……あ、はい」
いや違う、美少女だ。
しかもとんでもないという域の。
アホみたいな返答をするしかできない、渾身のキャラクリエイトによって見た目だけは整っているであろう俺のリアクションを見て、そのエルフの美少女が怪訝気な表情を浮かべている。
「私の名はリィン・エフィルディスという」
「俺は……真岐匡臣だ」
人は本気で見惚れると、しばらくはアホみたいなリアクションしかできなくなるものなのだな。
結構長く生きて来たけど、今日初めて知ったわ。