第009話 状況分析
馬車の位置に戻るまでもう少し時間がかかるかと思っていたが、2時間程度で楽に帰ってこられてしまった。
往路――大森林エリアを抜け山岳エリアで最も高い山の山頂へ到達するまでは、魔物を倒しながらとはいえ約19時間かかっているのに比べればかなり――いやめちゃくちゃ早い。
もう魔物は存在しなくなっているから一直線に戻ってこられたとはいえ、レベルが48まで上昇したことによる身体能力の向上はやはり相当なものなのだろう。
人間離れした身体能力に沿って思考速度も加速されるので暴走することなく使いこなせてはいるものの、『時間停止』していない状況下ではある程度気を付けねばなるまい。
時速約100㎞以上の速度を2時間継続できる存在など、人のカタチをしていたところでもはや魔物となんら変わらないだろうからな。
事実復路の道行きは常人には到底走破不可能なモノだろうが、今の俺にとっては平地を全力疾走するのとそう変わらない感覚だった。
だが冷静に考えれば、深い峡谷を一跳びとか、相当な高所から壁面を駆けるようにして下り降りるなんて、向こうの常識で考えたら普通にバケモノ扱いである。
俺と同じことを、さして苦もなさそうにこなしていたクロもちょっと恐ろしいが。
まあおかげで『時間停止』の効果が切れるまで、随分と余裕ができてしまった。
まだ3時間近く残っている。
ちょうどいいので気になっていた各種確認を済ませておこう。
出発時と変わらず、リィンと行商人のおっちゃん、馬車は当然だが同じ位置で停止したまま。
いろいろ試した結果、すっころんだ状態の『影狼王』は起こしておく。
念のため発動途中である咆哮の射線をリィンと馬車からずらしておくことも忘れない。
レベル3の時点では攻撃を加えない限りびくともしなかったが、今では中身の詰まっていないおもちゃのように簡単に起こす事ができた。
『影狼王』の巨躯をあっさり持ち上げられるだけの膂力というのは我ながらエグい。
この世界の高位冒険者たちはみんなこんななのだろうか。
冒険者ギルドはゴリラの巣窟かな?
今の時点で『時間停止』発動から俺にとっては20時間以上が経過しているが、疲労感という点では正直なところまるでない。
だがこれはレベル上昇に伴う各種能力向上によるものなのか、『時間停止』の効果中は体力が低下しないのかの区別はつかない。
一方で空腹感と喉の渇きはけっこうある。
なぜか眠気はないが。
考えて動けているのだから当然とはいえ俺の生体活動は通常通り行われており、それに伴う各種必要栄養素の補給は必要ということだろう。
汗はほとんどかかなかったが、別の排水行為はできた。
俺の身体から離れた途端、『時間停止』に摑まるのは笑える光景だったが。
眠気については『時間停止』解除後に一気に襲い掛かってくるのであれば結構危険だが、24時間程度ならば今のこの若く鍛え上げられた身体であれば余裕で耐えられるだろう。
今回の『時間停止』解除後の状況確認次第だが、眠気が解除後一気に来るスタイルなのであれば連続使用は控える必要が出てくるな。
さすがに3徹以上ともなれば、『時間停止』解除後即熟睡などという無防備期間を生み出すことになるのは避けられまい。
それに睡眠中の自衛手段も模索しなければならない。
寝込みを襲われるというのはどんな強者であっても一番警戒するべきことだろうしな。
そのあたりについては『従魔』であるクロにも期待したいところである。
いや、にゃあん? じゃなくてな。
とりあえず空腹と渇きを癒すために行商人のおっちゃんの食料を無断で分けてもらったが、問題なく食べられるし水を飲むこともできた。
これならよほどのことが無い限り、『時間停止』の効果中に餓死するような事態にはなるまい。
行商人のおっちゃんへの食糧無断拝借の対価の支払いには、狩った魔物を数体譲渡することで済ませる予定である。
しかしなるほど、これで大体のところは把握できたかな?
要は俺が干渉した対象は、『時間停止』の効果から一部開放されるということなのだろう。
だから俺は『時間停止』に囚われた魔物を倒すことも可能だし、食料や水を摂取することもできる。
H.PやM.Pの回復も図れるし、武技や魔法、スキルの再使用可能までの時間も経過する。
だがあくまでも『時間停止』から一部開放されているだけで、俺にとって都合の悪い部分はその影響下に囚われたままになるのだ。
魔物であればその本能や意思は止まったままだし、俺が手に取るまで食料や水が腐敗することもない。
不正行為能力として行使するのだから当然だとも言えるが、正直思っていた以上に俺にとって都合がいい。
魔物も含めた生物に対するその「都合のよさ」の適用具合をもう少し突っ込んで調べたいところだが、それは街についてからでもいいだろう。
あとはまだあまり理解できていない異層保持空間の確認をしておく。
最初に倒した魔物である『影狼』から始まり、倒した順にずらりと魔物の名前が並んでいる。
視界の中心に異層保持空間を司る表示枠を固定し、いろいろ試してみる。
任意の魔物を自在に出し入れ可能だし、かなり便利なシロモノであることは間違いない。
そもそも収納容量だけで考えても破格の能力だろう。
基礎能力ですがなにか? みたいにしれっと身につけている地図能力とこの異層保持空間だけでも、充分歴史に残る軍師になれそうだ。
とびぬけた情報把握能力と兵站の革新。
敵にしてみたら不正行為だとしか言いようがない能力である。
撃破時に自動的に格納する機能もその自動発動を切ることができたので、オフにしておけば撃破時に即魔物が消えうせる不自然さもなくなるはずだ。
オンにするのは今のような『時間停止』を発動中に限定しておこう。
そう考えただけで自動的に紐づけしてくれたので、ちょっと便利すぎて笑った。
『解体』というコマンドがあったので最初の『影狼』に試してみたら、『魔石(小)』と『狼牙』という格闘武器と、『影狼:亡骸』の三つに分解された。
なるほど、ちょっとわかりにくいが倒した直後の魔物は『宝箱』込みみたいな扱いらしい。
この便利機能で分解することによって、ドロップ武器やアイテム、獲物の亡骸という状態に分けられるというわけだ。
そのまま残り12体の『影狼』すべてを『分解』してみる。
その結果、12体すべてが『魔石(小)』と『影狼:亡骸』にはなるが、『狼牙』という武器はそのうちの2体からしか出なかった。
武器――というか装備品系は低確率ランダム入手、『魔石』と宝箱を兼ねる『亡骸』は固定入手ということらしい。
運のいいことに一体からのみ『真・狼牙』という上位武器を入手することができた。
いわゆる希少ドロップ品というやつだ。
初期装備である『拳鍔』→通常ドロップ品である『狼牙』→希少ドロップ品である『真・狼牙』の順に攻撃力は上がるし、『真・狼牙』に至ってはSTRのみならずDEXとAGIも微増する。
なによりも『真・狼牙』の色とデザインがやたらカッコいい。
あー、あかん。
これはすべての希少ドロップ装備を集め切るという欲望に縛られる未来しか見えない。
低レベル装備品であっても、見た目に魅かれてどうしても欲しくなるのだ。
ゲームであれば性能こそトップレベルだが見た目が気に入らない最先端装備に対して、その見た目を反映させるためだけに手段を選ばず入手せんと低レベル狩場に居座るド迷惑なトップエンドプレイヤーになりかねないやつ。
毎夜宿屋などでその日狩ったすべての魔物の分解を「出ない、まだ出ない」と言いつつ出るまで行うようになるんだ、俺は知ってる。
いや一斉分解も可能だから、そんなことをする必要はないのだが。
なんというかこう、一つずつ開けたくなる人は俺以外にも結構いるんじゃなかろうか。
そうした方が出やすい気がするという、根拠なきオカルトに支配されるのだ。
『時間停止』の効果が切れるまでの残り時間、19時間かけて乱獲した異層保持空間に溢れかえっている宝箱を『分解』し続けてもいいのだが、とりあえずそれは後回しにしておく。
今夜にでもガチャを回す感覚でやればいい。
多分途中で飽きて一斉に『分解』することになるのはまず間違いないだろうが。
最後に一番気になっていたN.P.C――リィンと行商人のおっちゃんの確認を改めてやっておく。
まずは行商人のおっちゃん。
『ディマス・ラッカード:人』
……名前と種族しかわからん。
いやそれがわかるだけでも超能力みたいなものですけれども。
恐ろしいことにH.PバーもM.Pバーも表示されていない。
つまり行商人のおっちゃん――ディマスさんにはH.PもM.Pもないのだ。
魔力量を示すM.Pが商人であるディマスさんにないことはなんとなく受け入れやすいが、ゲーマーとしては生命力と同義であるH.Pがないというのは違和感が半端ない。
し、死んでる!? という感覚に近い。
だが自身が持つH.Pの挙動――喰らったダメージ相当分が割れ砕ける積層結界とでもいうべきものを体感した後では、戦闘職でない者にH.Pが存在しないのは当然か、とも思える。
魔物はもとより武装した人の攻撃をどこにどう喰らったとしても武装していなければ致命傷になるというのは、考えてみればもっともな話なのかもしれない。
で、本命のリィンである。
『リィン・エフィルディス:エルフ 魔導器遣い』
リィンの方は名前と種族に加えて、おそらくは職も表示してくれている。
だが魔物には必ずあったレベル表示はなく、M.Pバーは表示されているもののやはりH.Pバーはない。
職に関しては上位職として存在するのかもしれないが、今の俺をクリエイトするときの選択可能な中にはなかったものだ。
おそらくはN.P.Cの専用職なのではなかろうかと思われる。
球状結界の中に浮かんでいるのが、その職名の由縁たる『魔導器』といったあたりか。
それらを起動させ使うための魔力――M.Pバーが存在するのはまあ当然として、職持ちであってもH.Pバーが表示されていないというのは正直意外だ。
確かにリィンは『H.P』という俺の言葉に不思議そうにしていたが、それはその言葉を知らないだけで、同じものを指すこの世界の言葉や捉え方が在るモノだと思っていたのだが……
これがエルフという種族の特徴だとは考えにくいし、この世界において『H.P』を持っている――常時纏えているのは魔物以外では俺だけなのかもしれない。
それは生身という観点で見れば攻撃力は過多、防御力は無きに等しいということだ。
防御の脆弱さを盾や鎧といった武具、あるいは防御系の魔法や武技、スキルで補っているということであれば、人の身でありながらH.Pを纏えている俺はどんな職であるかに関わらず、圧倒的な盾役の能力に恵まれているということになる。
しかし本当に俺の予想通りだとすれば、この世界の冒険者稼業というものは相当に厳しい。
魔物の爪や牙、特殊攻撃を通さない盾や鎧を造ることはできるのかもしれないが、衝撃や熱などまで防ぐには都度使用する魔法等に頼るしかないだろう。
魔力を持ち、武技や魔法、各種のスキルを行使できるにせよ、一撃でも攻撃を喰らえばまともに戦うことができなくなるというのでは、H.Pを常時纏っている魔物に対して随分と分が悪い。
基本的に相当彼我の戦力差がなければ単独戦闘など不可能だろうし、きっちり役割分担ができている複数で挑むのが大前提とならざるを得ない。
なかでも前衛、特に盾役の負担は相当なものだろう。
盾役が魔物の攻撃に対して、それこそ盾などでの防御を合わせることに失敗すれば即沈むのが現実。
当然物理、魔法を問わず攻撃役や支援役、回復役がその攻撃に耐えられるはずもない。
つまり盾役が落ちれば、そのままパーティーは瓦解、壊滅することがほぼ確定するのがこの世界における魔物との戦闘というものなのだ。
いや初期M.M.Oの戦闘とは、まさにそういうものだったという気がしないでもないが。
その上、リィンにもレベルが表示されていない。
俺がこの短期間に1から48まで駆け上がったレベル・アップ――『成長』という概念がないのであれば、この世界の人は生まれ持った職とそのステータスでなんとかなる魔物にしか勝てないことになる。
そしてそれを繰り返しても、より強い魔物に相対できる強さを手に入れることはできないのだ。
格闘スキルなどの数値や、武技、魔法、スキルの熟練度だけが成長要素だとすると、生まれた瞬間に倒せる魔物の上限が定められているようなものだ。
確かにN.P.Cはレベル、ステータス固定っていうのも多いのかもしれないが……いやそういう意味ではこの世界の人=俺にとってはN.P.Cなので、それが普通ということもできるのか。
人がH.Pを纏えていないことも併せて、これは相当にキツい。
街道から数百㎞半径にレベル50付近の魔物が湧出しているこの世界では、実は人はいつ滅ぼされてもおかしくない立ち位置にあるのかもしれない。
とんでもなく高ステータスの『守護者』とでもいうべき存在に守られているのかもしれないが。
ああ、リィンがその一人という可能性もあるのか。
しかしこうなってくると二つの不正行為能力のみならず、こっちの世界用俺に備わっている力は相当破格なものということになるな……
まあ面白おかしく過ごせるのであればそれも望むところだが、「目立ちたくないんだがな」ムーブは諦めるべきかもしれない。
まあそのあたりは『時間停止』が解けてから、リィンとディマスさんに素直に聞く方がはやいだろう。
幸いにして戦闘職持ちとしての常識をリィンから、普通の人としての常識をディマスさんから聞くことができるわけだし。
レベル31のおそらく金色魔物『影狼王』
それを単独で眷属ごと始末してのける存在の強さが、どの程度のものと認識されるのかで判断すればいい。
しかしまだ時間が結構残っているな。
とりあえず街道沿いに進行方向へ突っ走って、街までの道程に存在している魔物でも狩って時間を潰すことにしよう。
道中でからまれるのも面倒だしな。




