序章 正しいチートの使い方
冒険者ギルドのカウンターの上に置かれた、古びた首飾りとあの夜の食事代。
それが彼女が残したすべて。
彼女がなにを思って、それを俺宛てに残したのかはわからない。
いや食事代はまだわかる。
いいから奢るよと言った俺に、最後まで申し訳なさそうにしていた様子をよく覚えている。
だけど初めて会った時から彼女がずっと身につけていた首飾りの方は本当にわからない。
冒険者ギルドでの俺の担当受付嬢――ティファ嬢によれば精巧な細工の年代物ではあるものの、特に魔導具だとかそういうわけではないらしい。
あくまでも装飾品としての値打ちはそこそこあるが、国や冒険者ギルドが彼女の最後の願いを無下にしてまでかすめ取るほどのモノではないというわけだ。
彼女が命を落とした戦いの場へ、身につけて行かなかったのだからそれも当然か。
それに受付嬢が残された首飾りの価値を俺に説明できるということは、冒険者ギルドではすでに鑑定済みということだ。
もしもそういう意味での『値打ちモノ』であった場合、俺には渡さずに国だか冒険者ギルドだかが正しく効率的に有効活用してくださっていたということだろう。
取るに足りぬモノだったからこそ、彼女の願いは聞き届けられたのだ。
あるいはこうなることを知っていたから、彼女はこの首飾りを残したのかもしれない。
自分がこの世にいたというたった一つの証が、たかが一緒に食事をした程度の仲でしかない俺の手元にきちんとわたるようにと。
胸糞悪い。
そのことを理解しているティファはどこか申し訳なさそうな表情を浮かべているが、別にティファが悪いわけじゃない。
なによりもティファもこの国の王族にすら有望視されている担当新人冒険者である俺の不快感に対して申し訳なさそうにしているだけで、彼女――エルフに対する扱いそのものは当然だと考えているはずだ。
そしてそれは別にティファだけに限った話ではない。
この世界においてエルフをはじめとした亜人種や獣人種は差別の対象であり、中でもエルフはもっとも蔑まれている種族なのだ。
冒険者ギルドの職員たち、そこに登録している冒険者たち、宿のおやじさんや看板娘、酒場や商店の気のいい兄ちゃんたち。
冒険者として短期間のうちに目覚ましい実績を積み上げた俺を非公式の会食に呼んだ、この国の王族や大貴族たちも。
まだたった一月あまりの短い間だが、それなりに打算や思惑はあるにせよみな俺にとってはいい人たちだった。
もちろんティファだってそうだ。
嘘偽りない善意を以て、未来ある有望な新人冒険者である俺が、エルフなんかと関わることを心配してくれていたのだろう。
常識とは、それに基づいてなされる教育とは、それほどまでに強固なのだ。
百年単位でそれがなされているとなればなおのことだ。
俺がこの世界に来てから受けたほとんどの好意や善意。
それは俺の冒険者としての力ももちろん関係しているのだろうが、大前提として俺が亜人種でも獣人種でもない人――彼らの同胞だったからだ。
そうじゃなければ、世界を滅ぼしかねない『巨神』を単身、己が命をなげうってまで封印してのけた彼女は英雄と讃えられていて当然のはずだ。
だが脅威は去ったとあっさり告知されただけで、さもそれが当たり前かのように流されようとしている。
それを悪徳だと非難するつもりも権利も俺にはない。
エルフをはじめとした亜人種や獣人種には、この世界で差別されるに足るもっともな理由や原因があるのかもしれない。
いや間違いなくある――あったのだろう。
今ならば理解できる。
だからこそ彼女は、俺の前であんなにも申し訳なさそうにしていたのだ。
それにまだこの世界に来て一月あまりでしかない俺には、なにが正しいかなんてわからない。
いや、何十年も生きていた元の世界でも、わかるどころか真面目に考えたことすらなかったっていうのが正直なところだ。
あるいは万人に共通する正しさなんて、初めから存在しないのかもしれない。
そういうものさ、なにをいまさら青臭いことをと嘯いて、当初の予定通りどこかの誰かから一方的に与えられたとんでもない能力を活かした悠々自適の異世界冒険者ライフを満喫するのも一つの答えだろう。
だが今の俺には、それが正しい力の使い方だとは思えない。
思えなくなった。
まさに異世界転生、転移に相応しい、この世界の理に反する不正行為と呼んで間違いのない二つの特殊能力。
『時間停止』と『時間遡行』
それは神か悪魔の如き超常の力だ。
その力を使ってこの世界の差別をなくしてやろうだの、平和な時代を築いてやろうだのと、御大層なことを考えているわけでは決してない。
ただ俺が、もう一度彼女に会いたいと思っているだけだ。
そしてどうして俺に、大事な首飾りを届けるように望んだのかを聞きたいだけだ。
それにエルフだけあって、めちゃくちゃ綺麗な娘だったしな。
だがあまりにもゲームめいたこの世界において、『巨神』の出現と彼女の自己犠牲による『封印』は、いわゆる『固定イベント』と考えてまず間違いないだろう。
スタートからたった一月あまりの時間で「世界を滅ぼす」とまで言われている敵に勝てるはずもないし、ルート選択次第で俺がその場にいられる可能性はあったとしても、おそらく彼女の犠牲は不変だ。
運命――いわば世界にその死を約束されているのが彼女なのだとさえ言える。
それにもう彼女は己の命を対価として、世界を滅ぼすと言われた『巨神』を封印してしまっているのだ。
すべてはもう遅い。
この世界の理に従うしかない人たちにとっては。
だけど俺は、それを覆してみせてやる。
取り返しのつかないはずの過去へと遡行し、本来は絶対に倒せないはずの『巨神』を俺の力で消し飛ばしてやる。
俺にはそれができる。
どうせ現時点では理由もわからず与えられた、降って湧いたような力だ。
だったら不正行為は不正行為らしく使ってやろうじゃないか。
固定イベントで死亡が確定しているN.P.Cを不正行為で無理やり生かすかのように、彼女を俺の力で死の運命から引き剥がしてやる。
なあにこの世界はいかにゲームっぽいとはいえ、あくまでも現実だ。
生きてさえいれば彼女なりに生き方を定めるだろう。
あの夜ぽつりと言っていた「私も冒険者になって、世界のいろんな場所を見て回りたい」というのが本音ならば、それを叶えるのもいい。
それに俺が同行できるならなおよしだ。
世界を救う?
そんな勇者だの英雄だのになりたいわけじゃない。
世界を滅ぼす?
そこまで絶望しちゃいないし、そもそもそんなのは柄じゃない。
難しいことはこの際いい。
要は世界から死を強いられた彼女――エルフの少女、リィン・エフィルディスと一緒にこの世界を楽しむために、俺は俺に与えられたこの『力』――不正行為能力を少なくとも俺にとっては正しくぶん回すというだけの話だ。
正しく不正行為を行うというのも妙な言いまわしではあるのだが。
ただ正しくあっても理不尽を覆せないのであれば、その正しさに意味などない。
少なくとも俺はそう思う。
正しさなんて人それぞれ、万人に共通する正しさなんて存在しない。
うっせえわ、やかましいわと言いたくなるそれがどこの世界のおいても真実なのであれば、せめて己の信じられる正しさにこそ従うべきだろう。
そうするためだけに、俺は俺に与えられたすべての力を行使する。
元の世界でも、こんな明確な目的を持ったことはない。
目標が明確で、そのために必要な力を持っている状況というのはただそれだけでここまで楽しいものなんだな。
……もしも共に冒険するのを彼女に拒否されたら、その時は当初の予定通り悠々自適の冒険者ライフを続行すればいいだけだ。
ちょっとだけ涙目で。