現実的な彼女
お金で左右される愛って、本当に偽物ですか?
令和2年 10月19日 加筆しました。
潮の香りもどこか落ち着いたように感じる夏の終わり。にぎやかで人のすぐ傍にやって来る海鳥たちにも目もくれず、船着き場で青年2人が話し込んでいました。
「そうか。とうとう好きだと告白するのか」
洗い古された、でも清潔なシャツを着た青年が、つとめて明るく言いました。
「あぁ、一か月後のジュリーの誕生日に指輪を贈るつもりだ。だから、毎年二人で誕生日プレゼントを贈っていたが、今年はトム、自分一人で考えてくれ」
とても上等なスーツを着た青年が、言いました。
「指輪ということは、ジュリーが承諾したら結婚するのか、ジム」
緊張した面持ちで、トムが尋ねました。
「もちろん、そのつもりさ。身体が弱いジュリーのことを考えて、子供も一人生んでくれればそれでいいとまで両親を説得した。まぁ、いい顔はしないが」
ジムは、大きな船会社の跡取り息子。多くの女性が妻になりたくて言いよってきましたが、子供の頃から一緒にいるジュリーが好きで、ただの一人にも良い返事はしませんでした。
それを知っているトムは、ぎゅっと唇をかみました。
トムとジムとジュリーは、幼なじみで、17歳になった今もとても仲良しでした。
ジュリーは、漁師の娘で、今はお母さんとともにお針子をしています。
「そうか。そこまで決心しているのか。ジュリーはきっと喜ぶだろう」
「トム、お前は何もしないのか。お前の気持ちを知っているからこそ、おれもがんばってきた」
「ジム。僕は貧しい。その日生きていくだけで精いっぱいだ。そんな僕にジュリーは幸せにできない。だからといって、お前を応援できるほどできた人間じゃない。だから、僕は……」
「思いだけはジュリーに伝えてくれ、トム。そうでなければ、俺がすっきりしない」
「分かったよ、ジム。ただし、ジュリーが負担にならない伝え方しかしないけれどな」
二人は、そういってがっちり握手をすると、それぞれの仕事に戻りました。
トムは、学問が好きな子供でした。
実際とても賢く、貧しくて学校にはいけないものの、奉公に出された果物屋ではお勘定の計算が早くて正確でとても重宝されました。
今でも安い賃金で果物屋で売り子をしています。
トムには、両親がいません。
二人とも遠くの町で、新しい家族を持っています。
貧しさによって、トムの家族はばらばらになりました。
父は働き者でしたが、ぜんそく持ちで、稼ぎも知れていました。
母が刺繍をして、家計の足しにしていましたが、刺繍糸が値上がりしたため、本当に一日一食のパンを買うことが精一杯でした。
だから、トムは貧しさから必死で這い上がろうと懸命に働きました。
しかし、ある日トムの父親が、「許してください」という置き手紙を置いて、働いていた金物屋の3年分の売り上げを持って逃げたのです。
残されたトムと母親は必死で頭を下げ、「必ずお金はお返ししますから」と家だけは売り払わないですむよう、懇願しました。
土地は、借地でした。
「あんたら家族もその金の一部をもらっているんじゃないか?」
母親はそんな風に、町の人に冷たい言葉を投げ続けられました。
母親はそれが辛くて、「この町を出よう」とトムに言いました。
しかし、トムは「父さんの借金を返しながら、この町に残る」と、首を横に振り続けました。
ジュリーとジムがいない町に行くなんて嫌でしたし、どんなに貧しくともしっぽを巻いて逃げるのは好きではなかったからです。
母親は何か月も説得しましたが、とうとう辛くてトムが13歳の時に町を出ていきました。
金物屋のご主人や町の人は、借金を返す決意をしたトムを責めませんでしたが、逃げた両親の血を引く子だと応援もしてくれませんでした。
それどころか、「食いぶちを減らすため、母親を追い出した」や「何か魂胆があって、この町に残った」などなどひどい噂を流す者までいて、ちょっとやそっとでは泣かないトムも、涙を流す時があったのです。
そんなトムの背中をポンポンとたたいて、ジュリーは輝く笑顔で笑いました。
「トム。お母さまと一緒に行かなかった理由、私は分かっているわ。借金の責任からお母さまを解放するため。それと、お母さまが新しい旦那さんを見つけるためでしょう。トムが一緒に行くと、お母さまが結婚できにくくなるから。でも、それを言うとお母さまが責められるから、黙っているのよね。本当にトムは、強くて優しいわ。この決断は、トムだからできたことよ。並大抵の人には、できやしないわ」
『かなわないな』
決して、うんと頷かなかったトムですが、ジュリーは何でもお見通しでした。
そして、ジムもこう言いました。
「トム。俺がうちの会社で人事を決められる立場になったら、必ずいい給料で働けるようにするからな」
トムは、ジムの言葉をうれしいと思いましたが、複雑な気もちでもありました。
ジュリーはジムにやんわり言いました。
「ジム。友達関係は平等だけれど、会社の雇い主と雇い人は平等でないわ」
と、トムとジムを交互に見て、また輝く笑顔を見せました。
そのジュリーの一言で、ジムはトムに自分の会社に入ってもらうことを諦めたのです。
ジムが、ジュリーと出会ったのは、6歳の時でした。
そのころ、既にジムは、近づいている大人や子供が、みんな自分ではない何かを見ていることに気づいていました。
「大きな船会社の」という看板を通して、自分を見ている。
だから、ジムは学校で友達をただの一人も作りませんでした。
ジムは、よく図書館に行って、時間を潰していました。
そこにジュリーがいたのです。
ジュリーは、一生懸命本をノートに写していました。
さぞかし大変だろうと思いました。
ジュリーの手はえんぴつの芯で真っ黒になって、中指にはたこができています。
『勉強にしては、へんだな。何をしているんだろう?』
ジムは、思わず声をかけました。
「なぜ、本をノートに写しているの?」
ジュリーは、にっこり笑って言いました。
「学校へ来られない友達の誕生日プレゼントにするためよ」
「そうなんだ。なら、本を買えばいいのに」
言ってしまって、後悔しました。
この本は、庶民にはとても高い方の部類になる本です。
ジュリーは、屈託なく笑って言いました。
「あなたのお家では、このような本も買ってもらえるの?」
いつもだったら、そのような質問に反発心をおぼえるジムですが、ジュリーが思ったことを素直に言葉にしただけなのが分かったので、気負いなく答えられました。
「うん。学校の図書館にある本なら僕の家にもある。本ならば、ほしいものはぜんぶ買ってもらえるよ」
「すごい!もし、そんなことにトムがなったら、1か月は寝ないわね。いえ、一生眠るのを忘れちゃいそう」
ジュリーは、本当におかしそうにくすくす笑いました。
ジムは、おどろきました。
ジュリーが、自分のお金持ちぶりに興味を示さなかったからです。
そして、自然とこう言っていました。
「俺の本を、君とその子に貸してあげてもいいよ」
「ほんとうに?ああ、トムがよろこぶわ」
ジュリーの幸せそうな顔に、ジムはぽうっと心があたたかくなったのです。
何度か本の貸し借りをして、トムとジムが初めて会う日がやって来ました。
ジムは、トムの家がかなり貧しいと大人たちが噂をしているのを知っていました。
でも、いつも返してくる本は染み一つつけられておらず、ジムはトムが礼儀知らずでないことをすでに感じていました。
ジュリーの姿を見つけて、ジムよりもかなり小柄でやせ細った男の子がたったったっとこちらに走ってきます。
「ジュリー、おはよう。やあ、初めまして、きみがジムだね。いつも本を貸してくれてありがとう。これお礼だよ。ジュリーの分もあるよ」
そう言って、トムが差し出したのは、木彫りのクマでした。
「わぁ、かわいい。ありがとう、トム」
「はじめまして、トム。これ、君が作ったの?」
「そうだよ」
ジムはもっとすごい彫刻を持っていましたが、それは自分が作ったものではないという事がちゃんと分かる子でした。
さらに、ジムはトムの木彫りの靴に目が行きました。
平たくけずった木の底と足をひもでぐるぐるまいてあります。
ジムとジュリーは革靴でした。
「ねぇ、トム。その靴は、もしかして」
「これも、僕が作ったんだ。さすがに固くて痛いから、ジュリーとトムには作ってあげられないけれど」
そう言ってトムは、あははと笑いました。
貧しさなどに負けていない笑顔でした。
「トムは、ぼくと同い年なのに……すごいな」
ジムは、いっぺんでトムを気に入ったのです。
一方、トムもジムも好きになったのでした。
「僕の靴を笑わなかったのは、ジュリーとジムだけだ」
ジュリーが言います。
「ねぇ、私たち3人すっと友達でいましょう」
「うん!」
「うん!」
「ジムは、大人になっても私たちと同じ世界にいて。トムも、大人になっても私たちから黙って離れていかないで。何があってもよ」
美人ではないけれど、人の気持ちがとてもよくわかる、そして決して現実から目を背けない女の子、それがジュリーでした。
いろいろ考えながら、ふーつとトムは息を吐きました。
お客さんの話に適当に相槌を打ち、トムはジュリーの誕生日を思いました。
「ジムはとてもいい奴だ。それに大会社の跡取り息子。現実的なジュリーは、それを素直に魅力的で幸せなことだと認識するだろう。ぼくは貧しい。それは、とても苦労することになることもジュリーはちゃんと知っている」
トムは、またふーつと息を吐きました。
「貧しさがどんな辛いものかは僕もよく知っている。それを分かっている僕が、ジュリーに思いを伝えるなんておこがましい。しかし、だからといって、ジムと結ばれるのをみすみす何もせず見過ごすのも、男として悔しい」
トムは、ジュリーの笑顔を思いうかべました。
すると、ふっと肩の力が抜けました。
「ジュリーが喜ぶもので、僕にもなんとか手に入るものを贈ろう。それが一番だ」
トムはそう結論付けて、やっと心が楽になりました。
ジュリーの誕生日が近い朝、トムは山に出かけました。
この町は港町ですが、町の裏側は山になっているのでした。
そこで、トムはある果物を手に入れようと目当ての木を探していました。
トムが働いているのは果物屋ですが、砂糖が手に入らないので、果物はとても貴重で、とうていトムに手が出せるものではありませんでした。
それに、果物なら何でもよい、という訳にはいかなかったのです。
自分でとりに行こう、トムはジュリーに贈るものを決めると、そう誓いました。
町の人は、豊富に魚が取れるので山に興味を持たず、勾配もきついためか、あまり山に入りません。
体力に自信があるトムでさえ、30分歩いただけで息も切れ切れでした。
「あっ、あった!!」
トムは、その木に登って、丁寧に蔓から実を取りました。
それは、アケビの実でした。
ジュリーの誕生日の前夜、トムはジュリーの部屋の窓辺にアケビのジャムの入ったビンを置きました。
そう、トムはジュリーの誕生日にアケビのジャムを贈ったのです。
果物屋でおかみさんがジャムを作っているのを小さい頃から見ていて、トムも見よう見まねでジャムを作れました。
何といっても、ジュリーは甘いものが大好きでした。
「こんなに甘くておいしいものがあるなんて、生きていてよかった!」
そう言って、ジムの家に遊びに行った時、生まれてはじめて食べたキャンディをジュリーにしては珍しくおかわりしたのをみて、トムとジムは笑いあいました。
「しつけが行き届いたジュリーがおかわりしたキャンディ。キャンディとして本望だったろうな。なにせジュリーがおかわりしたんだから!」と、今でもジムはジュリーをからかうほどです。
でも、それはジムの家が特別裕福でたまたまキャンディが手に入ったから。
なかなかこの町で甘いものを手に入れることはできません。
トムは素直に、あの我を忘れるほど喜んだジュリーに甘いものを食べさせてあげたかったのです。
アケビのジャムには、ハチミツも入っています。
それも、トムが何度も山に入って、ハチに襲われながらほんの少し手に入れたものです。
レモン果汁は、少しだけ、果物屋のおかみさんにわけてもらえました。
トムは、「誕生日、おめでとう。アケビのジャムです。食べてください。トムより」という手紙をジャムの瓶に下に置いて、そっとジュリーの家を離れました。
次の日、トムはいつも通り店に出ていました。
今頃、ジムはジュリーの家に行って、ジュリーに指輪を贈っているでしょう。
トムは寂しさをこらえて、果物を包んでいました。
「トム!」
この世で一番大好きな声が聞こえました。
その声は、明るく弾んでいます。
『あぁ、うまくいったのだな……』
トムは少し間をおいて、つとめて笑顔でいようと振り返りました。
「トム、プレゼントを本当にありがとう!とっても嬉しかったわ。もちろん、あなたの気持ちも!」
「ええ??」
「植物図鑑で調べたの。アケビの花の花言葉は『唯一の恋』。違う?」
輝く笑顔のジュリーに、トムは嬉しくなりましたが、気になっていたジムのことを聞きました。
「ジムから指輪は受け取らなかったの?」
「ええ。ジムの気持ちはとても感謝しているし嬉かったわ。だけど、船会社の奥さんなんて気苦労が多くて人の目があって窮屈でしょう?ダンスパーティーだって、私には苦痛でしかないわ。私は、ふつうの家庭の奥さんになりたいの。でもね、美人でない上に体が弱い私には、選択肢がほとんどなくて。ジムかトムの二択なのよね」
トムは、現実的なジュリーらしい決断だな、と思いつつ、また気になったことを聞きました。
「じゃあ、僕をどう思う?普通ではないよ。借金があって、とても貧しい」
ジュリーは、じっとトムを見つけました。
「私は、体が弱くて、一人前に稼げない。そんな私がトムと結婚しても苦労するわね。だから、今は結婚しない」
「今は?」
「将来、トムが貧しくなくなったら、結婚する」
「ジュリー。僕が今より生活が上向きになるという保証はないよ?」
「トムがジャム屋を開けば、きっと売れるわ」
「ジャム屋?どうして?」
「まず答えるより質問。どうしてアケビをジャムにしようと思ったの?」
「それは……ジュリーの言うとおり、花言葉の意味が重要だったのと……」
「それと?」
「アケビジャムは白いだろう?一番ダイヤに近い色じゃないか。おいしくて、しかも気持ちを伝えるにはアケビしかなかった」
ジュリーは「それがね、本当に幸せへの切符になりそうなの!」と最高に輝く笑顔を見せました。
「トム。アケビジャムなんて、本当に珍しいわ。山には、たくさんの果物があるけれど、海運業が発達しているこの町の人は果物を遠い町から船で運んでいる。近くの山にこんな宝物があるのにね」
「それは僕も思った。山の勾配があまりにもきつくて、果物を大量にとるのは無理だから、どうしても目が海に向く。それに、ジャム屋といっても、おかみさんがジャムを作るけれど売らないのは、砂糖やハチミツが手に入らないからだ。甘味料をいれないと、ジャムはもたないから」
「そうね。私も今朝あなたのアケビジャムを食卓に出して食べるまでは、ジャム屋を開くことやあなたと結婚できる可能性があるなんて思わなかった」
トムはドキドキしました。
「アケビジャムが結婚の可能性まで変えたのかい?」
「そうなの。わたしのおじさんとおばさんが誕生日のお祝いに昨日から泊まりに来ていたの。二人とも忙しい人で、私も子供の頃から会ったのは、今回で2度目よ。そして、朝ごはんにトムのアケビジャムを食べたら、うまい!しかも珍しい!っていたく感激してね。そこにジムがやってきて、ダイヤの指輪をくれようとしたの。でも、私には大きな船会社の奥さんはとても務まらないからと断ったの。ジムは、自分でもどれだけ会社の奥さんが大変か分かっていたのね。よくわかった、と言ってくれたわ。そんな話をしている間にも、おじさんとおばさんはジムそっちのけでアケビジャムの話をしていてね。ジムが帰ったあと言ったの。『ジャム屋を開け。こいつは売れる。ハチミツなら養蜂家のおれたちが出してやる』って」
「おじさんとおばさん、養蜂家なのか!」
一気に現実味が増してきました。
トムもジュリーと結婚できるかもしれないと本気で思い始めました。
「果物屋のだんなさんとおかみさんに承諾を取って、果物屋の一角を借りて、アケビジャムが売りのジャム屋を開きましょう。そうすれば、トム、あなたは一般的な男性の収入になるわ」
「ジュリー。おかみさんはあまりにもひどく痛んだ果物は、砂糖なしのジャムにしている。もし、おかみさんがハチミツを手に入れたら、また違った道が開けるかもしれない。現実的に、ぼくらに積極的に力を貸してくれるかもしれない」
ジュリーは、輝く笑顔でトムに抱きつきました。
「そういうと思った。今、裏でおじさんがアケビのジャムをおかみさんに試食させている。おじさんは、これと思う商品にしか、貴重なハチミツをおろさない。私にも展開が読めないけれど、ひとつ言えることは、トム。あなたのアケビジャムはダイヤモンドになったってこと!」
「ジュリー。山にはアケビの実がたくさんあったよ。もしかしたら、もっとジャムに合う果物もあるかも知れない」
トムはジュリーを抱きしめて、幸せをかみしめました。
「ほんとうにそう。でもね、トム」
ジュリーが輝く笑顔で屈託なく言いました。
「最高の誕生日になったのだけれど、ひとつ残念なのは、あなたのアケビジャムを二口しか食べていないってことよ!私、甘くておいしいものには目がないのに!」
トムは笑いました。
「まだアケビの季節だから、今日にでもまた取ってくるよ」
「絶対に山の奥まで入らないでね、危険だから」
「分かっている」
甘え上手で、でも現実主義なジュリーらしくて、トムは笑いが止まりませんでした。
そして、ジムを思いちくっと胸が痛みましたが、杞憂でした。
果物屋の前で、町で一番気立てが良いと評判の娘が、ジムに告白したからです。
「ジム、ずっとあなたが好きでした。あなたにふさわしくなろうと、お料理、お裁縫、礼儀作法、ダンス、外国語まで様々なことを学んできました。ジュリーだけでなく、私も見てくれませんか?ジュリーが好きなあなたごと好きなんです」
娘は涙ぐんでいました。
「ジム、あなたがどれほどすごいか、私はずっと見てきました。大会社を将来率いていく身でありながら、ちゃんと貧しさも知っている。貧しさを馬鹿にもせず、過度に同情もしない。いつも自然体で、会社の力を自分の力と勘違いをしない。そんなあなたをずっと追いかけてきました」
ジュリーは、娘のその言葉を聞いて、トムにささやきました。
「トム。言い忘れていたわ。ジムも来ていたの。彼女は、きっとジムのハートを射止めるわ」
ジムは、娘の言葉に目を見張った後、トムとジュリーを見て、告白した娘に自分を重ね、受け止めようと決意したようでした。
「ありがとう。ゆっくりと君の話を聞きたい。きちんと二人で話をしよう」
そう娘に言うと、ジムの家の馬車に乗せました。
そして、トムに向かって、こう言いました。
「トム。どうも人生は自分たちの意志だけでは操れないようだ。おめでとう。心からの言葉だから気にするな」
トムは、ジムに、「ありがとう」と握手をしながら、涙を流しました。
そうしてみんなハッピーエンドでお話は終わるのですが……ジュリーが現実的な女の子だということを忘れてはいけません。
ジャム屋を無事に開いたトムですが、軌道にのせて、借金を全て返すまでに10年間かかったそうです。
10年の間、嫉妬から誹謗中傷されたり、トムの商売を知って、山の新鮮な果物に目をつけて、「この町の果物」という売り文句で商売を始めたりする者もいました。
トムは、それでも自分とジュリーを結び付けた「アケビのジャム」にこだわりつづけ、ジュリーや養蜂家のおじさん夫婦、そして果物屋のおかみさん達と改良し、いまでは「アケビジャム」と言えばこの町の名物、そして「トムのジャム屋」と言えば、毎朝のパンにつけるジャムの店という認識が広がっています。
そして、その他のジャムも「トムのジャム屋」にかなう店は出てきていません。
ジュリーは、言葉通りトムが借金を返すまでは、結婚しませんでした。あまり稼げない自分がトムの足かせにならないためです。
トムは、店を持ってから10年後にやっとジュリーと結婚できましたが、それまで昼夜問わず、仕事に打ち込みました。
ジュリーは、28歳。
17歳が平均的な初婚の年齢のこの町では、行き遅れの部類に入ります。
町一番の気立ての良い娘と、あれからすぐに結婚し、5人の子供がいるジムをたたえて、ジュリーに色々言う人もいたようですが、それでも、ジュリーはお金という現実から目をそらしませんでした。
でも、愛もしっかり貫きとおしたのです。
それは、だいぶ経ってから、ジムがトムに聞かせました。
ジュリーにプロポーズした時、「私はトムが好きなの。でも、彼の借金を返してあげられるほど、私は丈夫な体も能力も持ち合わせていない。けれど、彼と結婚できないのなら、一生独身を通すつもりでいる」とジュリーは言ったという事でした。
トムとジュリーの結婚のいきさつは、親が結婚する娘に必ず一度は聞かせる訓話となりました。
アケビジャムを包むジュリーに「今日も娘に話してやったよ。借金を背負った男は苦労する。どうしても結婚したいなら、借金を返す目処が立ってからにしろ、とね」と年頃の娘を持つ親御さんが話しかけると、ジュリーは「一番大切なものは愛ですよ」と答えるのですが、「あはは、またまた」と笑われ、冗談だと思われてしまっているようです。
それでも、トムはジュリーがどんなに素敵な女性かよくわかっているので、その親御さんの前でジュリーの肩を引き寄せて言うのです。
「結婚は、現実です。お金も必要です。でも、ジュリーの僕への愛と僕のジュリーへの愛がなければ、店も存在しませんでした」と。
おわり
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
何か感じたことがございましたら、感想などいただけますと嬉しいです。