96:消えぬ灯火
少年の名はクリス。正史でいう15年前にアイラ王国の西部の村で生まれ、農家の息子として育ったという。
西部、それもかなり端の方だったらしく、ガーブルグ帝国の脅威からか村は栄えていなかった。食べる分の食料を自分たちで賄い、余りを領主に売ることで金を得る簡素な暮らしが主だった。
村が一つの家のように、協力して日々生きる。人口の少ない村だからこその感覚だろう。これがもし王都などの人口密集地ならばそうはいかない。
もちろん近所の家同士でのそういう役割分担的なものは存在するかもしれないが、集落丸々というのはなかなか出来るものではない。貧民街なんてその真逆だった。
まあ普通の暮らしが破綻している貧民街と比べても仕方がないのだが。あそこにまともに生きる手段は存在しない。殺すか盗むか奪うか。まあ、薬物の取引ぐらいか、一見まともに見えるのは。
クリスはやはり子供らしく、王都で活躍する魔術師として生きることを志した。アイラの子供、特に男の子は一度は魔術師を夢みるものだ。
とはいえ魔術は知識がその強さに大きく影響する。金のない庶民は国から認められるほどの稀有な才能がない限り、学校に入ることができずに挫折する。
魔術は人によって得手不得手が全く違うために学校側も生徒をそう多くは取ることができない。先生一人当たりの生徒の数は基本的に学校の質の高さに反比例する。
貧しい農村出身のクリスは、魔術学校にすら入ることができなかった。だが、彼の才能と熱意を信じた父母は少ない稼ぎの全てを注いで彼に魔術の指南書を買い与えた。
魔術の勉強を続け、10歳になるころ彼は自身の魔力特性に気が付く。『回帰』。巻き戻すことに特化した魔力特性だ。
魔術というものには向きがある。発射する方向みたいな簡単なものから、温度の向きや色の向き、そして時間の向きなど。彼はその、特に時間に関しての負方向への力が強かった。
だが、基本的に魔術では負方向の動きはあまり好まれない。温度を下げるくらいならばまだいいが、時間やベクトルを負に動かすのは理に反する行為であり、行使に大きな代償、要は莫大な魔力を必要とする。
負の魔術を使う魔術師で大成した者は少なく、それについて書かれた本も多くはない。彼は独学で回帰の魔術を勉強し、ついに自力で銃弾を止める程度には魔術を扱えるようになった。
だがある日、クリスの村をある一団が襲った。青のマントを纏った攻撃的な魔術師の集団。その腕は戦闘専門である軍や遊撃隊の上位層にも勝るとも劣らない。
彼らの名は『蒼銀団』。王都に核があるとされる反王政府秘密結社だ。国内外の様々なところから優秀な魔術師を集め、突発的に各地で混乱を巻き起こしている。
どのように集めてくるのか、数は多くないものの国で一線級に戦えるほどの実力者ばかりで手を出しにくい。
とはいえさすがにその大まかな構造は割れており、規模は300人ほどで強さ順に三つの位階で区切られているとか。
俺も交戦はしてないが、一度だけ遭遇したことがある。数は数十人だったが、全戦力を投じれば一国と戦争するくらいは可能なんじゃないかと思わせる強さだった。あんなのが王都の近くにいると思うとぞっとする。
『蒼銀団』の目的はクリスだった。回帰の魔力特性の使い道をどこかで思いついてしまったのだろう。もしくは珍しい特性だったために目をつけられたか。
村人たちはもちろん懸命に戦ったが、農村の民など使えても中等魔術が関の山。各地で戦闘を繰り返しているようなプロに勝てるわけがない。
両親に逃がされたクリスは、なんとか『蒼銀団』の手からは逃れることができた。だが、住む場所と頼れる人を失った彼に残ったものはもはやないに等しかった。
そして、絶望したクリスはその数年後に気付いてしまう。自身に秘められた、世界と接続し干渉する力に。
世界との接続は完全に才能だ。できる人間はできるし、できない人間はどう足掻いてもできない。
教皇ランドリックなどが接続者のいい例だ。彼は世界に接続し、俺の存在を人間から悪魔へと書き換えた。もっとも彼はその信心のせいで効果範囲が信者のみに留まっていたが。
少し考えてみれば、クリスが世界に接続しているのも合点がいく。ハーツの世界を停止する魔術を俺が阻止しているというのなら、世界を逆行させる魔術も俺が止めているはずだ。
クリスの魔術は魔力を以て事象に働きかけるのではなく、魔力を以て世界そのものを書き換えているのだ。昼が夜になるのを止められないように、世界が逆行するのも止めることはできない。
クリスの目的は5年前の襲撃の日に戻り、単身『蒼銀団』の許へと向かうこと。それによって村の人々を守ること。
しかしやはり時間を戻すにはその遠さに比例して魔力が必要なようで、それこそリリィから丸々魔力を引きずり出すくらいしないと5年前までは飛べないらしい。
そんなことをすればリリィは無事ではいられない。特務分室まで直接依頼に来たクリスを俺が帰したから、まずは俺を殺そうと狙っているらしい。
俺を殺すために俺と戦った回数はゆうに30年分を超えているらしい。それだけ戦えば身体は成長していなくとも強くなるはずだ。
「まあ、こんなこと話してもあんたはあの女の子を渡してくれはしないだろうがな」
「ああ、お前は絶対に俺が殺す」
話し終わったころには、クリスは初めて会った時の鋭い戦士の顔に戻っていた。スイッチの切り替えというか、こうして気を張れるのは戦闘モードの時だけなのだろう。
だが、今回は戦闘すら許さない。クリスが近くに立てかけておいた剣を取りに行く前に、銃を突きつける。
「7時にあの路地で」
クリスにそう告げ、引き金を引く。抵抗することなく弾丸を受け入れ、クリスは倒れる。
また、世界が漂白されていく。
次回、96:無欠の廻転 お楽しみに!




