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86:極北凍土戦線7

 確実に決まった。これで生きていられる者はいない。あまりの勢いに、氷の足場まで崩れて地面へと落ちていく。


 地面に飛び降り、転がって衝撃を殺す。グラシールのいる方向を振り向いてみるが、崩れた氷が積み重なってどうなっているかは分からない。


 だが、心臓を貫かれ大量の氷に押しつぶされてさすがに生存し続けるのは難しいだろう。魔法で命を守っているとはいえ、致命傷だ。


 だが、消えていないのだ。彼の気配が。死んだ直後、解放していた魔力が空気に溶けず残っていることはよくあることだが、どうにもそれが俺の知っているものより濃密な気がする。


 ただ古代の人間の濃い魔力が影響しているのならば、おかしな話でもない。魔力は個々のものだから、例えば魔力を込めた宝石などからその人の気配を感じることもある。


 だから、大丈夫だ。きっとこれは彼の魔力の残滓。氷の底で目覚めぬ眠りについたに違いない。


「油断しちゃあダメだよ、君だってこれくらいじゃ死なないでしょ?」


 いつの間にかこちらに来ていたアーツが言う。嫌なところを突かれてしまった。確かに、俺の身体補強フィジカル・シフトを修復に振り切れば、あの状況から生還することが出来るだろう。何ならこれを好機にと奇襲くらい仕掛けていただろう。


「お前はどう思う?」


「十中八九生きているだろうね。彼の魔法は強力だ、【永遠の氷華】を作ったのも彼だしね」


 現在誰一人入ることが出来ず、そして環境変革能力を領域外にまで伝達させるほどの結界を作る男が、自身に施した不死の魔法をそう不完全なものにするとは思えない。


「随分とやってくれたな。さすがに死ぬと思ったぞ」


 氷をかき分けて這い出てきたグラシールは、その傷、血すらも凍り付いて深紅のルビーのように輝いていた。


「俺の魔法は命を完全に凍結するもの。一度凍らせたこれを融解させることは、もはや俺にすらできない。これでもかなり弱くなっていてね、かつての俺には届かないのだよ」


 ファルス皇国、教皇庁の頂上で天を貫く光の大槍を見た。あれが、神代に存在した天災すら上回る力だというのなら、目の前のグラシールの内包する絶対性もそれと同等以上のものだ。


 現代魔術理論から見た神代は、絶対性の衝突だったと言われている。各々、自分の為しうる絶対を持ち寄りそれをぶつけ合う戦い。今となってはその論もあながち間違いではないのだと思う。


 だが、その中でもグラシールの絶対性はかなり強固なものだろう。命を凍結する、固定化するということは、どんなに死が近づいても絶対に死なない、確実に0になることだけは避けられるというものなのだから。


 彼の強さは、彼がここに立っているという事実がそれを裏付けている。俺達の攻撃を耐えきったことではない。神代に生まれながら、こうして生きているということが驚異的だ。


 ただ命を固定しているだけでは精神や肉体が摩耗して廃人状態になるだけだ。身体はある程度保護できるとして、精神を強化する魔法なんて俺は知らない。これでも相当摩耗しているのだろうが、こうして戦っていられる強さは残っている。


「お前たちは、俺を殺し何を望む」


 グラシールが小さく問う。だがその眼光は鋭く、俺達が何を為そうとしているのか真剣に聞きたいと物語っていた。


 俺はアーツやキャスのように政治のことや国を動かすような大事を考えることはできないが、この国に来て思っていたことが一つあった。


「この国の人間は、確かに幸せだ。『春』で安定して食糧を確保できるし、貧富の差もなく、争いも今みたいな状況でない限り起こらない。だけど、それだけなんだ」


 そう。この国での生活は確かに快適だった。寒いのは少し困ったが、食べ物もおいしく住環境も整っていて、人柄も温厚な人が多い。でも。


「最低限用意された幸せしかここにはない。人が自ら道を切り拓き、手に入れる幸せがない」


 そう。辛くてもいい、苦しくてもいい。自分の求めた場所にたどりつけなかったとしても、人が必死に足掻いて逢着した何かは、たとえその光がか細くとも燦然と輝いていると思うのだ。


 ただ与えられた幸せを享受し、血みどろの道だとしても足掻けることすら知らず、ただただ波のない水面のような人生を過ごすなんて、俺はそんなの悲しいと思う。


「傲慢だな。ニクスロット王国の民は皆幸せなんだ、それをお前の物差しと、自己中心的な良心で破壊するな。人を救う快感に酔っていると、いずれ誰かの大切なものを奪うことになるぞ」


 グラシールの言うことはもっともだ。だが、彼は少し勘違いをしている。俺はまだ誰も救えちゃいない。救いたいと願った少女一人ですらまだ救えてないのだ。俺の動機は誰かを救うなんて高尚なものではないのだ。


「俺が戦うのは、そんな理由じゃねえよ。ただ単にお前が気に入らない、それだけだ」


 なんだか子供の喧嘩みたいだが、結局のところこれなのだ。気にくわない奴がのさばっているからそれを討つ。単純だが強固な理屈だ。何かおかしかったのか、脇ではアーツが腹を抱えて笑っている。グラシールすら、顔に少し笑みが浮かんでいる。


「そうだったか、悪かったな。もし敵という立場でなければきっと仲良くなってただろうな、君と俺は」


 俺も薄々感じていた。彼と俺は全然違う人間だが、それでいてどこか通じ合うところがあるのではないかと。だが、たとえ仲良しだろうと肉親だろうと敵は敵だ。相手が敵という事実はそいつを憎むに値しない。彼と俺も、信じるものが同じ方を向いていれば背中を預けて戦う仲間だったかもしれない。


 だから、気が合うとか仲良くなれるとかそんなことは考えなくていいのだ。そういうのは戦いが終わってお互い生きていたら考えればいい。


 お互いかなり無理をして消耗しているが、それでもまだ手も足も動く。勝てない訳がない。これが最後の局面、絶対に勝つ。

次回、86:極北凍土戦線8 お楽しみに!

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