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82:極北凍土戦線3

 ここまで辿り着くにもそれなりに時間がかかったが、その何倍もの時間をかけてゆっくりと地面へ向かってレールの上を滑り下りる。


 コツをつかんでしまえばそこまで大変でもなかったが、その異様なまでの高さにさすがに恐怖せざるを得ない。


「あ、海が見えますね。いつかボクも皆さんの大陸に行ってみたいものです」


 シャーロットがはるか遠くを指さす。かなりの高さでここから水平線が見えていた。『冬』は真っ白だから、海は夜でもはっきりとわかる。


 シャーロットも少しずつ魔力が戻ってきているのか、少しずつ口を開くようになってきた。レールの太さも増しているし、地上に着く頃には完全にもとに戻っているだろう。


 俺達の生きる大陸を夢見てくれているというのは、少し嬉しい気もする。しかし。


「あっちは北だ。大陸はないぞ」


「え……?」


 シャーロットは恥ずかしそうに顔を赤くして硬直する。このちょっと幻想的な光景の中、それっぽいことを言おうとしたのだろうが、そういうのは似合わないのが彼女の運命なのだろう。


 少しは嬉しかったが、それがその人の気質に合うかはまた話が違う。シャーロットはその明るさと能天気さで俺達を照らしてくれればいい。この輝きは、俺達からしてみると少し羨ましい。


 シャーロットの明るさは、偏にその純真なクレメンタインへの忠誠から来ている。たった一つの事柄でもいい、疑うことを知らず純度100%の信頼によってもたらされる小さくも鮮烈な地上の太陽だ。


 特務はといえばカイルやキャスはまだしも、他はかなり陰湿だったり控えめな性格の者が多い。特にアーツの底の知れなさなんかは世界随一だろう。


 しばらく滑って地面に到着する。シャーロットを下ろしてやると、城より高く伸びた氷を見上げる。第二作戦、格好つけてそれらしい名前も付けたのに失敗してしまった。


 作戦が成功すればここは雪も花弁も残らない焦土と化す予定だったから、迎えをよこしてもらうことなどできなかった。作戦の失敗が分かった今おそらく全戦力がこちらに向かってくれているはずだが、それでもこの状況を数時間耐え続けなければいけない。


「状況は果てしなく悪いが、生き残るぞ」


 とりあえずいまのところグラシールに動きはない。さすがに大規模な魔法行使で魔力を消費したか。いくら神代の存在とはいえ、魔力の概念は存在する。その大部分を消費すればしばらく戦闘行動はおろか、まともに動くことも難しくなる。


 【奉神の御剣】と衝突し合ったリリィなんかがいい例だ。あれは厳密に言えば別物だが、魔力の影響で身体に熱を持ち正常な行動が難しくなっていた。


魔力は純粋なエネルギー体。身体に充溢しすぎれば耐えられずに自滅し、不足しすぎればまともに動くことができない。


 ここからは予想に過ぎないが、魔力が大気に今より満ちていたとされる神代の存在であるグラシールは、魔力の枯渇に弱いはずだ。恐らく魔力濃度の減少した現在の大気は、彼にとって毒に近いはずだ。


 だが、腐っても神に最も近かった存在だ。少々弱くなったくらいではその脅威は消え去らない。


 グラシールは王城正面の大扉を凍らせ、それを塵となるまで砕いて外へ出てきた。異様な低温を作り出すことでこんな技を実現させたのだろうか。


 一歩ずつ、グラシールがこちらへ歩み寄ってくる。廊下で相対した時と同じく周囲の温度を下げているようで、結界の効果で生きている花を凍らせながらこちらへ近寄ってくる。


 結界の余波のような力とはいえ、『春』はただ気候を一定に保つだけでなく、春の概念によってその存在を保護されている。つまりグラシールの発する冷気は概念守護にすら物理的に干渉できるのだ。


「氷で遅れは取りません、くらえー!」


 シャーロットがいくつも氷塊を生成し、グラシールに投げつける。狙いも何もない勢いだけの投擲だったが、何しろ氷塊が狙いを付けなくていいほどに大きい。少しは時間を稼げるだろうか。


「諦めるなら今のうちだ。今すぐただのメイドに戻れ」


 氷の奥からくぐもった声が聞こえる。そして、次の瞬間鋭い氷の刃が地を這いながらこちらまで伸びてくる。


「危ないッ!」


 咄嗟にシャーロットを突き飛ばすが、俺は突き飛ばした右腕を刃に貫かれてしまう。焦って刃を折り、腕から引き抜いた。危ない、あまりの冷気に傷口が刃とくっついて離れなくなるところだった。


 実際氷の冷たさは異様だ。俺の血が垂れたところから湯気が立ち上っている。


「こんなの、無理です……!」


 シャーロットが腰を抜かす。途轍もない力をいうものを側から見るのと、相対するのでは話が違う。対面して初めて、現実の厳しさに気付いたのだろう。


 うわあああああ、と泣きながら、シャーロットが逃げ出してしまう。自分を超える者がいないと思っていた氷魔法で負けた挙句、あと少しのところで殺されかけたのだ。


 致し方ないことだとは思うが、とんでもない痛手だ。戦闘慣れしていないことの良くない面がこんなところで表出しようとは。シャーロットの才能ならば戦闘経験の少なさも少しは補えるかと思っていたが、これでは経験も才能も関係ない。


 責めている訳ではないのだ。昔の俺ならシャーロットより前に逃げ出していた。強大な者は怖いのだ。自信をへし折られたのなら、それはなおさらだ。


 氷の山から飛び出してきたグラシールは、俺を無視して逃走したシャーロットを追い始めた。魔法すら使えない人間に用はないということだろうか。


 身体補強フィジカル・シフトを強めにかけて追いかけるが、地面を凍らせて滑るグラシールには全く追いつくことが出来ない。


 シャーロットは完全に冷静さを失っていた。恐怖に心も身体も支配され、ただ花の茂っているだけの平地で転びそうになっている。このままでは追いつかれるのも時間の問題だ。


「耐久戦とか、そんなこと言ってられないな」


 このままではシャーロットが殺されてしまう。出会って間もないとはいえ、俺達と共に戦ってくれたのだ。そんな人間を見殺しにできるほど、俺の心は冷たく在れなかった。殺し屋失格だな。


 身体補強フィジカル・シフトを数段階引き上げ、花を散らしながら必死で二人を追いかける。シャーロットを助けるにしても、出来る限り疲労は減らしたい。早いうち決着を付けなければ俺の体力が持たない。


 だが、まずい。シャーロットは既に追いつかれていた。氷の槍を携えたグラシールに迫られ、何か言いながら後退りしている。


「なぜ、そんなに逃げながら諦めない。負けを認めて俺の言う通り平穏に過ごせばそれだけでいいというのに」


「クレメンタイン様は、この国のためにあなたを倒す必要があると仰いました。だからボクはそれを信じる。それだけです……!」


 震える声だったが、それでもその芯には折れないクレメンタインへの想いがあった。やはり、見捨てなくてよかった。シャーロットは生きているべきだ。


「そうか。じゃあ、死ぬがいい」


 シャーロットを貫かんとした氷を、背中で受ける。きちんと抱えて逃げてやれたらよかったのだが、いかんせんそこまでは時間が足りなかった。


 俺の思惑通り、氷は急所を外して左肩と右腹に突き刺さった。そして、冷たくて痛くて訳が分からないが、ここが最大の好機なのだけは理解できた。


 狙撃銃をグラシールに突きつけ、弾倉が空になるまで撃ち続けた。一発も直撃はしなかったが、氷の防御をも貫くその衝撃波はある程度のダメージを与えてくれた。


「今のうちだ、逃げるぞ」


 シャーロットを抱えて走り出す。俺も傷がかなり大きいので、身を隠せそうな位置まで逃げて一旦隠れる。


「ごめんなさい、ボクが逃げたばっかりにそんな傷を……」


 心から申し訳なさそうにするシャーロットに俺はなんてことないように告げる。


「俺たちは仲間なんだから、助けたぐらいで謝ったりするのはダメ、だろ?」


「はい……!」


 泣きながら笑うシャーロットの顔はなんだかいろいろな感情が混ざってぐちゃぐちゃだったけれど、俺にはそれが何より輝いて見えた。

今回は私が第二章で書きたいエピソードの一つでした。少しでもいいなーなんて思ってくれる方がいたら嬉しいです。

次回、82:極北凍土戦線4 お楽しみに!

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