79:決意
結局条約に関する交渉は数日間続いた。思考が制限されているところにいくら正しいことを言っても意味がない、王の許可が下りるギリギリの線をゆっくりと探っていたらしい。
途中で会議に参加する役目を投げ出したシャーロットは、中庭でリリィとハイネと共に遊んでいた。あれで俺達の数倍生きているというのが恐ろしい。
クレメンタインがしっかりしているから、シャーロットがあれくらいでむしろバランスが取れているのだろうか。
中庭は結界の中心部、花の種類も量も増え、少女たちの遊んでいる様子も合わせると本当に理想郷のように感じる。リリィはどちらかと言えば遊ばれているが、本人は別に何とも思っていないようだ。
窓から手もとの書類に目を戻し、完成した条約を読む。確かにかなり内容が王の要求に近いものになっている。が、絶対に守らなければいけない点はしっかりと守られており、交渉班の力量を感じさせる。
読んであれこれ言うことはできるが、これを一から考えるとなると気が遠くなりそうだ。
「しかしこりゃ、随分とニクスロット王国に有利なものになっちまったな」
「大丈夫大丈夫、とりあえず条約は結ぶことが大切さ」
何気なく言ったアーツの様子が妙に不気味だ。こいつ、絶対になにか悪いことを考えている。それも子供の悪戯のような生半可なものではなく、特大のやつだ。
「しかし、皆様本当にこれでよろしいのですか? レイ様の仰る通り、明らかにアイラ王国が不利です」
「そうだ、クレメンタイン様。あたしは少しあんたと話がしたい。来てくれないか?」
俺達のことを心配するクレメンタインを、キャスが連れていく。まさか二人きりになったのをいいことに無茶をさせようなんて魂胆ではないだろうが、何かを頼みに行ったのは確かだ。
「アーツさん、キャスさんは何をしようとしてるんすか?」
「王女様の、為政者としての覚悟を問うているのさ。彼女が俺達と戦うに足る人物なのかね」
やっぱりロクなことを考えていない。俺もカイルもこういう事態に対して微妙に慣れてしまっているのが怖い。考えまでもが似ないように気を付けねば。
「クレメンタイン様、ただいま戻りましたよー!」
そこに、中庭で遊んでいた面々が帰ってくる。扉が開いて入ってきた風に乗って、花の香りが流れてくる。俺はまだ慣れない香りだが、心地良いのは確かだ。
一番最後に部屋に入ってきたリリィの髪は綺麗に整えられ、結って花で飾ってあった。おまけに花冠がたくさん乗っかっている。シャーロットとハイネで作ったのだろう。花でいっぱいで、リリィが花の精のようだった。
「レイ、お姉は?」
「クレメンタインと話があるんだとか。まあすぐ戻ってくるだろ」
ちらりと時計を見て、リリィの口元に机の上のフルーツケーキを運ぶ。そろそろ間食が欲しくなる時間のはずだ。いつであろうと食べ物を与えれば元気に食べるが。
リリィはフルーツケーキを受け取ると、ちょうどリスが木の実を食べるように食べ進めていく。一口は大した大きさではないし、食べるペースも早いわけではないのにいつの間にかケーキがなくなっている。
きっとなにか、リリィの食事には時間軸を歪ませる力でもあるのだろう。リリィの時間とこちらの時間は流れる速さが違うのだ。
「みんなお待たせ、クレメンタイン様は完全に合意してくれたよ」
キャスがにっこり笑いながら部屋へ戻ってくる。後からついてきたクレメンタインは、何かをあきらめたような目をしていた。俺が依頼のためにやむなく善人を殺したときのような、何かを切り捨てる人間の目だ。
「王女様、ほんとにいいんだね?」
「ええ、これが最善だと判断しましたから」
アーツはクレメンタインに優しく確認を取ったあと、俺達に向き直る。
「俺達は国王を殺す。そしてクレメンタイン王女を無冠の女王へと担ぎ上げる」
あまりに突拍子もない作戦に、誰一人口も効けずただアーツのことを見つめることしかできなかった。特大の悪巧みなんてスケールじゃない、国をひっくり返す大事件だ。
「でもでも、王様殺すなんて大罪も大罪、みーんな死刑ですよ!?」
ひえっ、とシャーロットが怖気づく。そりゃどの国でも王を殺せば死罪は免れないだろう。俺だって特務からのスカウトを受けていなければ親衛隊の総攻撃によって殺されていただろう。
というか、俺も一度一国の王を殺しているのだった。依頼の一つとしてカウントしてしまっていたが王殺しなのだ、俺は既に。
「大丈夫大丈夫、王を殺した人間が王になるんだから。誰も新しい王様を殺せやしないよ」
アーツのノリは完全にバレなきゃ悪くないとかなんとか言ってちょっとした悪戯をする子供の様子そのままだ。塩と砂糖を入れ替えるのと、国王を殺すのではさすがに程度が違い過ぎると思うのだが。
だがこの雰囲気で全員が救われているのも確かだ。仮に勝率が1%しかなかったとして、その事実に絶望しながら戦地に赴いて勝てる気がしない。
人の心というものはそう丈夫には造られていない。ショックや絶望で簡単に折れ、そのまま立ち上がれない者もいる。打ちのめされれば身体は無事でも心が血を吐く。
だから、そのままの心だと脆すぎるから、人は常に虚勢を張って生きている。どんな痛みも、自分の強さを信じ抜くことで痛くないと錯覚する。心だけは、どんな状況になっても負けないことだけはできる。
例えば、死に損ないと言われてもおかしくない、積年の無理が降り積もった身体のある殺し屋が、その命を懸け、限界の訪れるその時まで両の腕を振るい続けたように。
もちろん過度な自信は破滅を招くが、揺るがぬ芯を持ち続けることは自分を守ることに繋がる。大概、心が折れてしまうのは自分の存在証明を他人に任せてしまった者だけだ。たった一握りでも他人に侵せない自分があれば、絶望にも負けず戦うことが出来る。
「みんなも協力してくれるかい?」
アーツがいつもの笑みで問うてくる。普段の、どうでもいいような雑用を任せるのと変わらないそのちょっと憎らしい顔で。
「お姉がやるなら」
「僕もできる範囲でお手伝いするっす」
「私も、ちょっとなら無理しますよ!」
「クレメンタイン様のためですからね、ボクの力を貸してあげましょう」
なんでみんながこんな風に覚悟を決めているかって、それは『奴』の参戦を本能的に、そして理性的に予見してしまったからだ。あれと対峙するには、それ相応の勇気が要る。みんな恐怖を押し殺して、見ないふりをしていつものように立っているのだ。
彼らはそれでも戦場に立つ。未来とは常に過去の上にしかたたないものだから。この国の止まった時を動かすには、俺達が先へと進むには、大きな過去を乗り越える必要がある。
「もちろん俺もやる。言うまでもない」
絶望の淵で、高笑いしながらそこを闊歩する者がいる。怯えながら、ゆっくりと歩く者がいる。前だけを見て、急いで走り抜ける者がいる。
この戦いは、正真正銘生きるか死ぬかの戦いだ。死が一枚の扉で区切られているとしたら、ドアノブに手をかけているような状態。もちろん万全の準備で臨むが、俺ですら自分がどうなるか分からない。
明日自分が生きているかわからない。だからこそ俺たちはいつもと変わらず生き、そして戦場へと赴く。矜持じゃない、ただの虚構だけれど、これが命を懸ける者の勇気の出し方なのだから。
そろそろ第二章もクライマックスです!
覚悟を決める特務たちの前に立ちはだかる壁を彼らはいかに乗り越えていくのか。
次回、79:極北凍土戦線1 お楽しみに!




