753:開口
どこかに行ってしまいそうな意識を、ギリギリのところで繫ぎ留める。頭は空っぽ。目は見えているが、その情報は一切脳に届いていない。全ての思考を投げ捨てて、演劇でも見ているような、そんな気分だ。
いくら意識を保っても、身体の端から順に力が抜け、そして立つことすらままならなくなる。血を入れ替えることも考えたが、もはや自傷する力すら残っていない。倒れそうな身体を夫妻に掴まれ、ずるずると引きずられていく。
どこに向かっているのだろうか。石畳をぼんやりと眺めるのがもう限界な頭で、それでも考える。
十中八九この夫婦はユニと通じている。俺以外の、特殊部隊の面々は大丈夫なのだろうか。これから俺はどうなるのだろうか、殺されるか、拘束されるか、少なくとも好意的な対応は受けないはずだ。
ダメだ、考えがまとまらない。そうこうしているうちに椅子に座らされ、縛り付けられる。ただ準備ができていないのか、それとももともとそういうつもりがないのか、俺をすぐに害してやろうということではないらしい。
それから何時間が経っただろうか。良い子でもそうでなくても眠る時間はとっくに過ぎ、夫婦が交代で俺を見張っている間にも、俺は意識を決して途切れさせはしなかった。疲れと薬のせいで実質のところ半分眠っていたような気もするが、それでも最低限、目と耳は生きて俺の頭に情報を届けさせていた。
だが、時間が経ってわかったことがある。この毒はあくまで麻酔のようなもの。全身の感覚を満遍なく奪うものであり、死ぬようなものではない。そしてその効力は、そう長く続くわけではない。
依然快適に動くなんてことはあり得ないが、効きはじめのころの感覚が全くないような状態ではなくなった。少しずつ、末端の感覚が、俺を縛めているものが何か判別できる程度には戻ってきた。
「起きてください、旅人さん」
夫の方に呼びかけられ、ゆっくりと頭を上げる。自分で動かすことができるくらいにはなったか。とはいえいつもの数倍の重さだが。ずっとおかしな姿勢でいたせいか、首が痛い。少し動かすたびにコキコキと音を立てるのが気持ち悪い。
顔を上げると、いつの間に置かれていたのか、俺の目の前には小さな机が。俺を運んだ後にここに移動させてきたのか。机の上には宝石が一つ。どうやら食事の時間というわけではないらしい。もっとも、この状況で何を出されようが食べる気にはならないが。
「では、繋げますね」
そう言うと妻が宝石に魔力を通す。やはりと言うべきか、通話宝石だ。
『やあ、レイさん。ずいぶん僕にご執心のようですね』
想像した通り、ユニの声。何度もそのチャンスはあった。彼が秩序を守る側の人間ではないと、確信する機会はいくらでもあった。それでも初めて会ったときの、凄絶なまでの願いのこもった言葉に嘘はないと思ったから、信じたかった。
それも終わりだ。彼を追う俺をこうして拘束して、遠くのどこかの地から勝ち誇ったように話しかけてくる。もう寸分の迷いも曇りもな
く、彼は各国が団結して追うべき犯罪者だ。
「俺だけじゃねぇ。みーんなお前を狙ってる」
『そのようですね。さすがに、そろそろ身動きが取りにくくなってきました』
話が本当だとすれば、まだガーブルグ帝国の領内にいるということだろうか。散々俺たちを欺き、今も俺をこうして策に嵌めた彼の言葉を完全に信用するわけにはいかないが、一つの情報として気には留めておくべきだろう。
「今なら引き返せる。魔力を全部返して、おとなしく捕まってりゃ死ぬことはない」
『死んでも為したいことが目の前にあるというのに、そんな言葉で引き下がるわけないじゃないですか。ねぇ?』
ユニの問いに、夫婦は首を大きく縦に振る。こいつらはどう集めたか、ユニの目的に賛同する勢力ということで間違いない。今までの研究員との大きな違いは、思考を制限されていないという部分だろう。研究室で感じた、気の触れそうな魔力の気配を一切感じない。
一度解除してしまえば効力のなくなる精神魔術と違い、心の底から心酔されている方が厄介だ。なにしろ解呪も説得も効かないのだから。ともすれば、ここから脱出するためには意識か、最悪命を奪わなければいけないかもしれない。
やらなければいけない、とすればやる。それでも、ファルス皇国で俺が作った惨状を思い出すと、今でも、今だからこそ身が震える。
「なんだよ、その、お前らが為したいことって」
ふと、顔も見えないのに、通話宝石の向こうのユニの顔が少し綻んだように思えた。
「我々は振り返る者。失った過去に奇跡を求める、この時代の破壊者です」
次回、754:振り返る者 お楽しみに!




