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743:後半戦

 遠くで何かが擦れるような音がする。光のないゆっくりとした時間の中、心地よい音と温かい空気だけがこの空間を満たしている。


 俺は何をしていたんだっけ。勉強合宿の引率に来て、途中でおやつを食べることになって、それからパンを何個も食べさせられたっけ。そのあとの記憶がない。覚えているのはだんだんと頭がぼんやりして、あくびをひとつ。あくび……?


「うお、僕天才かもしれない!」


 カリカリと、心地よい音が吹き飛んだ。この声はロプトのもの。ということは今俺は彼らといるはず。じゃあなぜ何も見えないのだろう。


 そのときやっと、自分が目を閉じているのに気付いた。そうか、お腹がいっぱいになって眠くなって、そのまま本当に寝てしまったのだ。起こしてくれればよかったのに。とりあえず起きるか。


 ゆっくりと目を開けると、優しい光が、それでも刺激いっぱいに飛び込んでくる。閃光系の魔術の開発が一向に留まらないわけだ。別に特別対策しているわけではないが、アレは俺にも相当効く。意外な天敵のひとつだ。


 魔術戦は基本的に互いが互いに魔術を防ぐ術を持っていることが前提になる。だからこそ、単純な威力は低くとも氷や石礫のような物質生成系の魔術や閃光のような感覚器に直接影響する魔術は意表を突ける。普段から俺と一般的な魔術師は違うものだと思っているから盲点だった。


 期末考査が終わったあたりでオルフォーズに教えておくか。味方と自分を巻き込まないように使うのは難しいが、彼と、あとはロプトだな。あの二人ならば重要な局面で適切に使ってくれるだろう。


 俺が寝ている間にも勉強会は再開されていたようで、その進度も悪くないようだった。エリザベスが教える側に回ってくれたおかげでオルフォーズの負担もそこそこ軽減されているらしい。


「あ、先生、起きたんですね。まだ完璧じゃないですけど、結構できるようになったんですよ」


 ルーチェルがにっこりと笑ってテスト用紙を見せてくる。どうやらティモニの手作りらしい。それにしても彼女がここまではっきり笑ったのを見るのは初めてかもしれない。普段の朧月のような儚い笑顔ばかり見てきたから、少し驚いた。


「俺にはさっぱりだけど、丸が多いな。期末考査も期待してるぞ」


 勉強ができるようになったことよりも、テスト用紙についた丸が多いことよりも、ルーチェルの笑顔とそこからふわりと匂えるその信頼が嬉しかった。やっと、彼らの教師になれた感じがした。


 眠気覚ましのために俺が身体を軽く動かしている間にも、勉強は進んでいく。止まないペンの音は、模擬戦のために進んでいく彼らの行進曲だ。そんな彼らのために俺ができる何よりのことが、引率としてここにいることとは。こんなに簡単でいいのだろうか。


ペンの音、時計の音、そしてときどき響くロプトの呻き声と歓声。一見退屈な時間も、彼らが楽しそうにしているというそれだけですぐに過ぎていった。そして、時計が夕刻を知らせて穏やかに鳴る。


「よし、そろそろ飯にしよう。飯は任せろって言ってたが、本当に大丈夫か?」


 申請書を受け取ったときに質問したことだ。申請書には夕飯時の食堂利用申請がなかった。その代わりに用意されていたのは簡易厨房利用申請書。何かを作るつもりだということはわかったが、オルフォーズに聞いてもロプトが任せろとしか言わない、ということしかわからなかった。


 解放されたとばかりにペンを投げ飛ばし、うまい具合鞄に収めたロプトが立ち上がる。顔に書いてある、というのはこういうことを言うのだろう。待っていた、任せておけという言葉が溢れんばかりの表情だ。


「申請書を書いているオル君を見て直感したんだよね、僕は。あ、このままじゃクソつまんない合宿になる! ってね」


 オルフォーズは不満そうだったが、言いたいことはちょっとわかる。合宿の目的自体は少しの不足もなく果たすことができるだろうが、面白味は薄れていただろう。


「世の中にはセオリーってものがあるよね。これをしたらこれをすべき、みたいな。ルーちゃん君、合宿ですべきことといえば?」


「えっと……研究室活動……?」


「ちっがーう! マジメだね君たち……」


 ロプトが頭を抱える。ルーチェルたちがどうにもぼんやりしている部分はあるとはいえ、このよくわからない問いの正答を求めるというのもなかなか可哀想だろう。


「料理だよ、みんなで料理!!」

次回、744:スクランブル・キッチン お楽しみに!

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