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72:西部決戦・霑

今回はカイル視点です

 一切の隙なく立つ女と対峙する。自分より強い人なんて周りにいくらでもいるから、普段はそこまで意識していなかったが、こうして争うとなると自分の無力さを否応なしに知ることになる。


 【毒の女】と呼ばれるこの女との戦いには、一瞬の気の緩みすら許されない。恐ろしいのは触れれば即死してもおかしくないという毒布だけではない。


 迂闊に近づけばその身体能力の差で死に、気を抜けば毒布に触れられて死に、挙動を少しでも間違えれば次の瞬間死ぬ。


 格上との戦いとは常にこうだ。自分の持てる全てを最大限に利用し、ただただ一本しかない生存の道を探り続ける。敵の隙という光明をひたすらに探しながら。


 『空間把握』だなんて限定的過ぎる魔力特性を与えられて生まれたものだから、戦闘向きの魔術なんてからっきしだった。


 それで自分の生まれを恨んだりはしないが、父親がわからないのはなんだかもどかしい。娼館で働いていた母と、客との間にできた子が僕だ。母からは全く魔力特性が遺伝しなかったから、この力のルーツは絶対に父にある。いつか、娼館に預けっぱなしのきょうだいたちが大きくなったら探しに行くのだ。


 そのためにも、ここで負けるわけにはいかない。レイさんがいつも言っている。持っているものしかそこにはないのだから、持てるものすべてを使って勝つのだと。


 そして僕にはこの部屋全てを掌握する力がある。ならばそれを使って勝つだけ。ここに至るまで、最大限の支援をしてもらっているのだ。アーツさんも勝てると言ってくれた。負けるはずがない。


 僕が一歩も動かないのを見かねてか、両腕に巻かれた布をジグザグに伸ばしてくる。本来目で追えば途中で追いきれなくなるほどの速さと複雑さだが、これを空間で感じ取る僕にとっては見切るのも容易い。


 視覚を遮断し、自身の感覚と魔術だけを信じて両手のナイフを放つ。この正確にナイフを投げる技術はレイさんに教わって毎日練習したものだ。実戦で使うのは初めてだが、その技には生きた経験が宿っている。


 ナイフは寸分違わず向かってくる布を射抜き壁に縫い留めた。【毒の女】の聖遺物【夢幻の毒布】は自在に形状や硬さなどを変えることが出来るが、個体に触れてしまうとその変更が出来なくなってしまう。


 故に編み出された戦略がこれだ。空間把握を利用し布の軌道を見切り、それを固定し、持ち前の身体能力を少しでも奪うやり方。作戦は大成功だ。


「小賢しい。私の戦いがこれだけだと思うな」


 両腕の聖遺物が機能しないのを悟ったのか、【毒の女】は巻き付けていたそれを無理矢理外す。そしてあろうことか、両足に巻き付いている方を全身に纏わせたのだ。


 せめて触れないようにと上着を着てきたが、あの状態で顔や手でも攻撃されようものなら即刻死ぬ。解毒剤も貰ってはいるが、概念毒にはほとんど効果がないという。


「気が付く暇もなく殺してやろう」


 そういって【毒の女】は身体を滑らかに捻って視界から消えていった。


 その瞬間、気配や毒気までもがさっぱりと消えた。一瞬で存在が消滅してしまったかのように。


「【キャッチ・ザ・ワールド】……!」


 部屋の中を隅々まで把握する。その精度は目で見るのと比べて数倍高く、ありのままの世界を知るのに不可欠な魔術だ。


 見つけた。左後ろ、天井に張り付いて気配を消している。女のごく小さな筋肉の動きまでも見続ける。これが少しでも動いた瞬間、回避行動をとりつつナイフと銃で攻撃する。


 女の脚の筋肉が緊張する。数秒後の死から逃れるため、振り返りながら地面を蹴り、女が着弾するであろう場所から少しでも離れる。初撃が避けられたとして、接近されては勝ち目がない。


 僕だって早打ちには自信がある。ナイフを放った後、ナイフに当たらないように六発の弾丸を撃ち込む。


「笑止」


 だが、あろうことか【毒の女】はそのすべてを躱してしまった。魔力での身体能力の補助はしているが、それにしても圧倒的だ。尋常な努力量でたどり着けるような領域ではない。


 そういえば、いつだか聞いた。必死で努力する、生き抜くために手段を選ばない。それが“普通”になっている世界では、どれだけ頑張ったかなんてことは意味を為さないと。


 僕だって限界まで頑張った。だがそれが他の人間も同じであれば、その必死さに意味はなく、結局は才のある者が勝利する。積み上げる量が同じならば結局差は埋まらないから。


「僕は……天才っすッ!!」


 それはただの苦し紛れ。ただ自分を鼓舞するだけの出まかせだ。尊敬し、信頼する人たちのような、他を寄せ付けない圧倒的な力が欲しかった。


 そんな大層なものはないけれど、僕には空間把握というたった一つだけの、小さいけれど力がある。これだけは誰にも負けない。その思いだけでも身体は動く。


 生きてきた中で一番集中している。【毒の女】の身体の挙動一つ一つまでを見過ごさず、攻撃の来る場所を見切って避ける。


 接近戦なんてそう長くはしていられない。この異様な集中力だって数秒後には切れてしまうだろう。だから。この一瞬で隙を探せ。


 今の体勢から、絶対に防ぐことのできない場所。右肺の辺りに銃を押し付け、これから飛んでくる強烈な右脚での蹴りに耐えられるよう左腕を掲げる。


 銃声と腕の折れる音はほぼ同時に響いた。お互いによろめいて数歩下がる。普段から使っているこの拳銃は決して口径の大きいものではないが、それでも肺を撃ち抜けばかなりのダメージだ。


 もちろん、かなりのダメージが入ってしまったのはこちらも同じこと。左腕の骨が砕け、その衝撃で鎖骨まで逝った。ただの蹴りでここまでなんて、レイさん以上だ。


 さすがにここまでは想定していなかった。左腕を完全に潰され、むしろ邪魔になってしまっている。勝つのならここで腕を落とすより方法はない。ハイネさんは上手く接いでくれるだろうか。


 震える手で肩口に銃口を押し付ける。自分の腕一本と仲間の命、どっちが大切か。そんなのは言うまでもない。


「さすがは俺の見立て通り、よく耐えたね」


 必死の想いで引き金を引くが、その寸前に銃口が天井に向けられ、弾は腕ではなく吊るされていたカンテラを打ち砕いた。


「【剣の女】は俺を恐れて逃げちゃってさ、時間余ったから助けに来たんだ」


 そう言って、アーツさんは僕の前に立った。あの異常なまでの身体能力をどうやって突破するのか。普段動くタイプではないアーツさんについていけるのだろうか。


 【毒の女】が地面を這うように、しかし装甲車のようなスピードで近づいてくる。その速度は、二人の距離を一瞬で詰める。


「アーツさん!!」


 音速にまで至りそうな拳が、顔面に叩き込まれ首を吹き飛ばす。そんな予感を覆すように、拳の風切り音を掻き消す清廉な鎖の音が響き渡る。


 一枚、刃が通るかどうか。鼻先と拳にはそれくらいの隙間しかなかった。しかしおそらく表情は全く変わっていない。いつもと同じ笑顔のままだろう。


「悲しいかな、君は俺には勝てない。ここが君の限界さ」


 アーツさんは歌うようにそう宣言して、鎖でがんじがらめの【毒の女】を解放する。すかさず飛び退き体勢を立て直そうとしているようだが、ああ宣言されてしまった以上きっと彼女は勝てない。


「喰らえッ!」


 最後の突進。限界かと思われた先程の速度を超えた、見切れても避けることが能わないようなまさに弾丸となったような一撃。これが、彼女の断末魔。命の最後の咆哮だ。


「惜しい。実に惜しかった」


 それでも、圧倒的な力には敵わなかった。上下から飛び出した鎖によって【毒の女】は昆虫の標本のように空中に縫い留められた。


 適当に撃ち込まれたような鎖の一本一本が、よく見れば急所を貫いているのが分かる。これだから天才というのは恐ろしい。


 とりあえず窮地は脱したが、まだ仕事は残っている。クレメンタイン王女様の率いる部隊を案内しなければならない。


「空間把握のおかげで人員の分配が一瞬でできる。任せたよ」


「了解っす!」

二回連続でレイ以外の人物の視点でお送りしました

それぞれの戦いを描くための方法ではありましたが少しでも新鮮な感じなんかを味わってもらえていれば幸いです

次回、72:西部決戦・訣 お楽しみに!

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