678:濃霧の迷宮
俺は現状【影】から任務を委譲された、一時的に同格の存在、ということになっている。多少の無理は通してでも元凶は見つけてみせる。
「こちらが……依頼されている……あ、え、兵装……です……」
研究員の様子も相当におかしい。こんなに露骨に変化が起こるまでに精神感応系の魔力を浴びせてしまっては、確かに研究所は支配できるかもしれないが、怪しさ満点だ。もしこの状況を不審に思った誰かに大々的に訴えられでもしたら、疑いの目は強くここに突き刺さる。そんなことをしては計画の妨げになるはずだ。
限界を迎えたのか、ぱたりと崩れる研究員を部屋の隅に寝かせると、部屋を出る。このままでは研究所内は全滅だ。
「まさか……」
黒幕の狙いはそれか。毒などの致死性の魔術を使えばその死に事件性が生じる。だが、この状況ならば。確かに研究所全体が異常な雰囲気を醸し出してはいるが、全員死んでしまえば過労死の現場にしか見えない。全員死に絶えてから、魔力を絶てばそれで万事を闇に葬れる。
そして、ここまでわかりやすい手段に出ているということは、全てを終わらせる準備ができているということ。もう周囲に露見しても、止められないところまで事態が進んでいるということ。これを止めて、俺に何かできるのだろうか。
それを今考えても仕方がないか。何が起こっているにせよ、それがどこまで進行しているにせよ、今取り組むのが現状では最速だ。俺はクリスのように過去に戻れはしない。今以上の最善、最速はない。
手早くそれぞれの扉を開け、部屋の中を検める。どの部屋も生気のない研究員が動くこともできず項垂れているばかりで、魔力を発生させているとみられるようなものは見つからなかった。
この霧の立ち込めたような、人の呼吸も感じられない研究所を一人で歩いていると、さすがに不安になってくる。通話宝石を使って連絡も取れないし、応援は来られない。完全に俺一人だ。
研究員たちのように、息が細くなる。じわじわと脳を外側から喰われているような、自分がすり減っていく感覚が確かに心を身体を蝕んでいる。こうして完全に一人で、しかもこんな不気味なところを歩くなんて、久しぶりかもしれない。
「ユニ……?」
扉を開けた先にいた、大きな丸メガネの青年。間違いない、ユニだ。理由はわからないが、他の研究員よりは少し衰弱を免れているらしい。しかし一心不乱といった様子で書類に何かを書いており、俺の呼びかけにも応えない。
「おい、ユニ! 話を聞かせてくれ!!」
揺さぶっても、反応が出るのは身体だけ。俺が揺らした分だけ文字が乱れて、それでも書く手を止めはしなかった。
ユニの書いている書類に目を向け、驚愕した。写したように量産されていたその書類には見覚えがある。押収した魔導具とともに添付されていた納入書だ。ここでユニの手によって書かれていたのか。
動揺と同時に、ほんの少しの安心を覚える。どうやらユニは操られていただけらしい。彼がいくらか健康そうな理由はわからないが、この状態ならば魔力を抜いて話を聞くことができそうだ。無理矢理で申し訳ないが、帰りに連れ出させてもらおう。
ユニのいた部屋から離れ、入っていいのか悪いのかもわからない部屋をいくつも周り、それでも魔力の発生源は特定できなかった。見当たる扉は全て開け放って、中も捜索したつもりなのだが……。
いや、まだ一つ部屋がある。あの事件の時から出入り禁止となり立ち入りを封じられていたあの部屋が。
かつてイザベラが囚われていた地下深くの部屋。木の板で入れないように固定されているが、事前に部屋の中に魔力を発生させる何かを仕込んでいたとしたら。可能性は大いにありうる。
身体補強を軽くかけ、扉を蹴り開ける。その瞬間、俺の予感は的中したと確信した。
地下から、瘴気のように重苦しい魔力が溢れ出ている。確実に、ここだ。
次回、679:水底へ堕ちる お楽しみに!




