667:不穏
「これから名誉な研修旅行だっていうのに、浮かない顔してますね」
「まあ、名誉な分考えることも色々ありましてね」
もっとも、俺が困っているのはそれだけではないが。オルフォーズを始め、生徒たちを強く鍛え上げなくてはいけないうえに、それ以上に大量に任務が積み重なっている。
どうなるのか全くわからない魔導具事件、ヴィアージュが言っていた嫌な予感、その真相は未だ見えない。今までヴィアージュと話すことで気持ちが楽になったり行先がはっきりしたことが多かったから、こういう気持ちになるのは少し新鮮だ。
あの表情、そして彼女すら途轍もなく大きいと表現するほどの力に強要される、世界の変化。そんな予兆は全く見えないが、彼女が起こるというのだから起こるのだろう。俺に止める術はない。
術はないが、少しでも争うことはできるかもしれない。世界の命運など興味はないし、俺にできることはたかが知れているが、それでも被害を被るであろううちの一人は俺だ。できるだけのことはしておきたい。
少しでも変化を食い止めるとか、変化の内容が少しでもわかれば対策できるかもしれないし。正体の、その一端だけでもどうにか掴めれば……。
「優秀な人は大変ですねぇ。でも、あんまり暗い顔をしていると男前が台無しですよ」
「また冗談を。俺なんていつも愛想悪いですし、大差ないでしょう」
カイルとかならばともかく、俺が男前というのはまた少し違う気がする。もう少し着飾ったりしたならばいいとしても、無骨、無愛想が板についてしまっていまさら変えられない。
「イゾルデなんかもよく褒めてますよ。入学してから特に、レイ先生の話をすることが増えました」
そりゃあ、俺が赴任するより前からの知り合いなのだからそう悪くは言わないだろう。互いに顔も知っているわけだし。イゾルデが特別嘘をついているとは思わないが、同時にそこまで俺の評価が高いとも思えない。そう言ってみたのだが、ドロシー先生は笑って首を横に振る。
「イゾルデがお兄さん以外の話をするなんて、珍しい話ですよ。彼女の兄への気持ちの大きさを舐めちゃいけませんよ」
確かに、エルシを持ち出されると少し納得できる気がする。そういえば、俺はエルシからも妙に気に入られていたか。どうにもあの兄妹を引き寄せてしまう変な匂いとかが出ているのかもしれない。
「それなら、少しはいい顔しますかね」
指で無理に口角を上げてみる。それが思ったよりも不恰好だったのか、ドロシー先生は笑い転げて、そのまま椅子をひっくり返して倒れ込む。そこまで面白かっただろうか。この勢いで笑われると逆に心配になる。
とはいえ、俺も疲れやら緊張で少しおかしくなっていた。少し落ち着けた気もする。
「あの、それはいいんですが……」
ドロシー先生を椅子に戻してやり、顔を上げる。ルーチェルだ。
「ドロシー先生はここにいて、大丈夫なんですか……?」
確かに、ルーチェルの言う通りだ。あまりに自然にここにいるから忘れていた。というか最近は毎日のようにここで時間を潰している気がする。自分の研究室の面倒は見なくてもいいのだろうか。
「イゾルデがいるからね。あの子がいれば問題ないよ」
「そこまでの信頼、羨ましいですね」
こういう研究室でなければ、すぐにでもオルフォーズに指導を任せてもいいと俺は思うが。実際魔術に関する知識だと俺が劣っていて、教えてもらうことも多い。そう言っても今はそれを素直に信じることなどできまいが。
「とはいえ、ウチもそろそろ研修旅行です。打ち合わせぐらいはしておきますかね」
ルーチェルが持って来てくれたお茶菓子を二、三個掴むと、ドロシー先生はそのまま自分の研究室へ帰っていく。俺たちもすぐに研修旅行だ。どんな波乱が待っているかはわからないが、始まったらしばらく休むことは出来なさそうだ。
「俺たちも、最後に打ち合わせておくことにするか」
次回、668:西方へ お楽しみに!




