603:自然の迷宮
「月がない。いい夜だね」
「暗いよ。目の前に木があっても気付けないかも」
俺もリリィに同意だ。俺たちが例の森へ出発したのはアーツに呼び出されてから5日後のこと。その間もティモニに関する情報は入らなかったし、当然エルシからの連絡もなかった。
こんな月のない夜にしなくてもいいだろうに、いくら目を強化しても輪郭とうっすら表情がわかる程度。敵も俺たちのことは見えないだろうが、俺たちもかなり視認が難しい。それこそ罠でもあれば確実に引っかかってしまうだろう。
「これは……そういうことっすか……」
小さな声でカイルが呟く。カイルの放つ雰囲気の変化に合わせ、俺も警戒を高める。何が起こるのかと思ったが、カイルはそれ以上言おうとしない。
アーツに「行くよ」と言われ、俺たちもついていく。何故だか道のわかっているアーツとカイルはいい。だが何もかも諦めてハイネの背に乗るリリィと、そのハイネが俺の新しいコートを思い切り掴んでいるのはどうにかならないのか。
「俺の視野も怪しいぞ。カイルかアーツの方がいいんじゃないか?」
「いや、自信満々に歩く人にはついていけませんよ……」
それもそうか。とはいえハイネに言った事も嘘ではない。ふとした瞬間に木と人をうっかり見間違えてしまいそうになる。俺ももう限界だ。
「え、ええ!?」
「悪いな。しばらく頼む」
俺も限界だ。カイルの肩を掴んでついていく。こうやって連結している人数が増えれば増えるほど歩きにくくなるのはわかっているのだが、暗闇の中で遅れることの方が問題だと判断した。そしてなにより目が疲れる。
「もう少しの辛抱だよ、頑張ってね」
そんなふうに笑うアーツは本当にどうしてこんなに楽そうなのか。空間把握で木をはじめとする障害物の存在を感じ取れるカイルよりも足取りが軽やかだ。これはもう賢さとかそういう次元ではない気がするが。
心の中でぶつくさと文句を言っていると、途端に視界が明るくなる。あまりの眩さに一瞬視力が奪われたが、慣れてみるとそこまでの明るさではなかった。無明の闇の中ではこの程度の灯りもここまで強く感じるものか。
「アーツさん、これは……?」
「彼らの支配領域さ。この森はある程度進めば帰る道を見失う迷宮の秘境。それを逆手にとって好き勝手に使える土地を確保したってことだね」
誰も、自分が迷うとわかっている道を通りはしない。それで得をすることがあるのならまだしも、この森に入ったところで利益は全くない。せいぜい自殺志願者か見栄っ張りの命知らずか、その辺りだろう。
そしてそんな人間を狩る事もそう難しいことではない。アーツがあれだけ軽々歩いていたのは、わかっていたからだ。暗い森の間は警戒心を掻き立てないために罠など用意していないと。むしろ本番はここから。
一度目が慣れてしまえばこの森も決して明るくはない。視界ははっきりしているが、色はほとんど感じ取れない。そして多すぎる木々のせいで見える距離が圧倒的に短い。
俺たちの侵入はバレているだろうか。ここまで周到に拠点を用意する集団が敵の到来を察知することには気が回らなかった、なんてことはないだろう。俺たちが気付かないうちに、敵はすぐそこまで近づいてきている。
「俺は真打、露払いはお任せしようかな」
アーツが何歩か下がって目を閉じる。俺たちにやれと言うのならまあ、それに従うが。
「ハイネ」
「はい」
ここでの戦闘ならハイネが適任だろう。俺の背中を預けるのにふさわしい。もう予想ではない。すぐそこまで来ていると、カイルの空間把握を持ってしなくてもわかる。この膨れ上がるような殺気────。
次回、604:迎撃対迎撃 お楽しみに!




