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586:視察

「や、視察に来たよ」


「き、聞いておりませんが!?」


「言っておらんからな、当然だ」


 なんなら俺も聞いていない。というより俺に知らせないためにオルフォーズにも知らせなかったのだろう。口止めをすれば黙っていそうなタイプだが、一方で隠し事も苦手そうだ。態度に出てしまうかもしれない。黙っていて懸命だっただろう。


 演習場に入ってきたのはオルフォーズの祖父、ラインハルトと俺の授業の設置を決定した委員たち。きちんと授業が機能しているか見にきた、といったところだろう。


 しかし、三人ほど見知らぬ顔もいる。おそらく委員とはまた違うが、授業を評価する立場にあるのだろう。これの評価次第では俺もクビか、恐ろしいものだ。他の教師もきっと怯えながら視察を受けているのだろう。


「お、今の一撃は良かったな。相手の防御が切れた隙を狙ったんだろ?」


「あ、はい!」


「初めから攻撃の準備をしてるのと障壁を解除してから攻撃に移るのだと確実に前者の方が速いからな。射程を意識すると隙を突かれにくいぞ」


「射程、ですか……?」


 法律はともかく、射程も把握していないのか。魔術の訓練をしている中でなんとなく身につけるものだと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。俺も具体的に把握しているわけではないが。


 どうにか説明しようと、木剣の先で地面に図を描く。何となく分かってもらえればいいのだが。


「こう、魔術はある程度届く距離とか有効な威力が持続する範囲があってな。自分と相手の射程を意識しておくと戦いやすいってことだ」


「なるほど……」


 完全に理解はしていないようだが、とりあえず概要だけは分かってもらえたようだ。あとはそれを基に自分で身につけてもらうことしかできない。やっているうちにだんだん分かってくるだろう。


「射程の概念を利用するのは軍でもごく一部です。少々内容が高度なのでは?」


 急な声に驚く。そこかしこに人の気配があるから真後ろにいるのにあまり意識がいっていなかった。鈍っている証拠だろうか。


 振り向くと、眼鏡の男が立っていた。きっちりと服を着込んだ真面目そうな風貌だが、眼鏡のせいであまり表情は読み取れない。しかし口調だけでもあまり機嫌が良くはないのが理解できた。


「俺は必要だと思うから教えてる。……ます。だいいち、生き死にを決めるのに高度も何もないでしょう」


 確かに不慣れで難しいことかもしれないが、意識すればそこまで敬遠するほどのことではない。それどころか重要度は相当に高い。教えておくに越したことはないと思うのだが。それで防げる致命傷が、それで作れるチャンスがどれだけあるだろうか。


 実際ジェイムからそのあたりを教わったからかオルフォーズは絶対に前に出過ぎない。ロプトがいまいち決定力に欠けるように見えるのもそのせいだ。


 首を捻りながらも男が去っていき、一息吐く。不機嫌そうな奴が去っていったから、というだけではない。少し俺にも思う部分はあったのだ。俺と彼らは、生きている世界が全く違うのだと。


 俺と彼らでは持ち合わせている常識が違う。生きる上で当然だと思っていた知識を、初めて知ったと言われてしまう。殺し合いの中で生きてきた俺たちと、より良い生活のために鍛錬をしてきた彼らでは全く違うのだ。


 高度すぎるという指摘も、少し響いた。もしかしたら俺はこの授業の方針を少し変えた方がいいのかも知れない。いや、それ含めてきっと彼らが評価してくれるのだろう。俺はまだ、目の前の授業に集中すべきだ。


 そうして、委員たちに少し質問を受けたりもしながらも初めての授業は終わりを迎えた。なんだかどっと疲れた気がする。今日はとりあえず研究室は休みにしてもらおう。


 生徒が演習場から出て行ったのを確認してから、俺も施錠をして演習場を後にする。なんとか終わった。生徒はどう思っているだろう。それもこれも、次の授業を待つしかないか。


 今日は頑張ったし、少しはいいことがあってもいいはずだ。となれば行くべきはあそこしかない。そう考えると急に元気が湧いてくる。足取りも少し軽やかだ。

次回、587:千変万化の魔力 お楽しみに!

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