55:北への船旅◇
────これは、心の在り処を問う旅路。
制海権の確保のため、レイたちが訪れるのは極北の島国、ニクスロット王国。
神話息衝く極寒の地で、凍りついた伝説が牙を剥く。
凍土に沈む脚と未来に足掻く腕、勝利を掴むのは。
第2章 《極北凍土戦線》 開幕
ニクスロット王国。その領域のほとんどを雪に覆われた極北の島国。近海の風が非常に強く普通の船では接近すら難しい、俺たち大陸諸国にとっては半ば幻のように扱われる地。
とは言ったものの、ニクスロット王国に入ることはそう難しいことではない。大陸北端のニクスロット直轄領から不定期に船が出ているのだ。その厳しい環境からか魔導工学の発展したニクスロット王国は、旅人殺しの海を渡ることに成功した。直轄領で許可さえもらえばかなり安全に辿り着くことができる。
いくら楽だとしても、直轄領までの道のりは長い。大陸を陸路で進むとなるとアイラ王国東に位置するいくつもの小国を越える必要があり、いちいち通行許可やらなんやらを得るのが面倒だ。だからこそ俺たちは海路を利用している。
「やっぱりヘンな匂い」
「ああ、そうだな。まあこういうのは慣れだと思うぞ」
海に来るのが初めての俺とリリィは、そのスケールの大きさに驚愕した。アイラ王国南部の平野を見てこんなに広い土地があるものかと驚いたが、海はその比ではない。港を出てから3日が経つが、未だに出航時と同じ穏やかな波ばかりの風景が広がっている。もちろん天候が悪くなり大波を喰らった時もあったが、ずっと水の続いている風景が俺にはとても新鮮だった。
リリィはといえば最初は軽い船酔いこそすれど、慣れてしまえば元気なもので一日中甲板の上を興味深げに探検している。そして安全の確保と不慮の事故への対応の為に俺がつけられているという訳だ。
しかし3日もすればある程度探検にも飽き飽きしてくるころで、今は帆の上に座って堅焼きパンを齧っているところだ。リリィとしては味気ない保存食はやはり少々不満なようで、いつものような食いっぷりは見ることができない。到着するまでの辛抱だ、とリリィを励ます。
帆の上に上がっても、やはり周りには海しか見えない。今日はよく晴れているし、蒼で塗りたくられた空間に取り残されたような、そんな気分になる。船に並んで空を舞うカモメだけが唯一の異物だ。
「鳥はいいね。私も空を自由に飛んでみたい」
「その代わり鳥には魔法が使えないからな。できることがあればできないこともある」
革命の時に空へ飛びあがったのは誰だったか。言わんとしていることはわかるが、俺たちの中で一番空に近いのはリリィだろうに。俺だって空に想いを馳せたことくらいあるが、あまりに非現実的すぎて夢にもならずに潰えてしまった。もし本当に空を飛べる手段があるのなら、その時は俺も地に足のつかない感覚を味わってみたいものだ。
「おーいレイくん、そろそろ大陸が見えてくる頃らしいんだけどどうだい? そっちからは見える?」
アーツに言われ目を凝らしてみると、確かに水平線の先に黒い影のようなものが見える気もする。あれが大陸のシルエットなのだろうか。
「うっすらとな。ぼちぼちそっちでも見られるんじゃないか?」
ずいぶんと長かったはずの船旅も、新しい発見があると短く感じるものだ。ここまではまだ序の口だが、この先もきっと何かを見つけることができるだろう。
港に到着した俺たちは、乗組員のアイラ人たちと別れ宿で休んでいた。国書を持ったアーツが渡航許可をもらい、船が到着するまでの数日の間ここに滞在することになる。宿は二人一部屋で、キャスとリリィ、俺とカイル、ハイネは一人で部屋を使い、アーツが使節と同じ部屋だ。
使節の男は王家に近い貴族家の一人だとかで、俺たちを全く信用していない。貴族の彼から見れば俺たちなど取るに足らぬ平民に過ぎない。そんな者たちと行動を共にしなければならないとなれば自然に嫌な態度になるのも頷ける。
「全く、これが貴人に出す料理か? 魚をただ野菜で煮ただけではないか」
せっかく俺たちが楽しく初めての魚料理を楽しんでいるというのに、こうやって水を差すから堪らない。確かに味付け自体はシンプルだが、俺にとっては未知の食材なのだ。邪魔されるのは好ましくない。
事情を察したキャスが厨房に話をしてくれたようで、夜食として色々な魚料理を少しずつ盛り合わせにして部屋に持ってきてくれると耳打ちしてきた。リリィにも同様に食事を食べさせてくれるようで、とりあえずは使節の話をできるだけ聞き流すことに注力した。
飯を食って風呂に入ってしまえばもうほとんどすることはない。あとは運ばれてくる料理を待つだけだ。窓を開けて潮の匂いのする風を帯びていると、その中に血の香りが混ざっているのに気が付く。宿が海に面しているせいで判りにくいが、間違いない。
「カイル、周辺で誰かが怪我をしてる。かなりの出血量だ、索敵を頼む」
「波止場に……アーツさんと使節の人がいるっす……」
カイルに待機しておいてもらい、窓から飛び出す。幸い夜は俺の時間だ。なにかあっても生きては戻れる。
「やあレイくん、どうしたんだい?」
アーツは何事もなかったかのように笑ってこちらを見る。足元には体中から血を流す使節がいるというのに微動だにしない。ハーグを殺したときを思わせる無垢さだ。夜風の冷たさとはまた違う寒気が身体を駆け登る。
「これは……どういうことだよ」
「邪魔だから殺したのさ。彼の用意した条約は、到底相手に受け入れられるようなものじゃなかったからね」
アーツの言いたいことは理解できた。確かにこの男は自分の用意した条件を曲げることはないだろう。どのようなものかは知らないが、一方的な要求を突きつけようとでもしたのだ。そうであれば俺だって殺していた。
「帰って来てから死にましたって報告すればいいだけの話だからね。自由にやれてむしろ良かったよ」
そういってアーツは使節を海に落とした。禁呪の効果なのか血液を消し去って波止場を立ち去る。いったいアーツの精神の強靭さはどこから来ているのだろう。気分を悪くして吐いたりはしないが、俺だってさすがにあれを食後に見るのは嬉しくない。
部屋に戻ってカイルに事の顛末を伝え、食事が運ばれてくるのを待つ。しばらくすると料理人が部屋に入ってきて料理を置いてくれる。
身を細かくして団子状にしたものや、焼いたもの、煮たもの、揚げたもの、肉と同じくいろいろな調理法があるものだ。特に変わったことはしていないから、と味付けやら調理法についてでも聞けばいろいろと教えてくれる。その様子はとても楽しそうで、キャスやリリィが料理をしようとするのはこのあたりに理由があるのかもしれない。
一通りの料理を食べ終えるとだいぶ腹も膨れ、眠くなってきた。渡航許可は下りたようだが船が到着するまで少しかかる。この港は他国との関わりこそあまりないものの、本国との往来があるためかなり栄えているから数日見て回るには困らないだろう。
疲れていたのか俺が夜食を食べている間に寝てしまったカイルに毛布を掛けてやり、ランプの灯を消して俺も布団に潜り込んだ。
新章ニクスロット王国編です!!




