50:羊肉と創痕と
帰還する特務分室に迫る危機。 そしてこれからの旅路は……。
EX章 《薄暮貴賓列車》 開幕。
オル州に無事到着した俺はといえば、皇都で受けたいくつかの傷が原因で発熱していた。高熱という程ではないが、少しばかり頭が朦朧とする。身体補強で傷を治すのは余計に体力を消耗するだけだから、自然に治せるレベルの怪我ならば自らの地力に任せることにしている。
おかげで腹には包帯がぐるぐる巻きになってしまっているわけだが、そんなにひどく動きを制限されるものでもないしこれくらいは許容すべきだ。リリィに言いつけられて館から出してもらえないのは気が滅入るが、その分できることもある。
今は部屋にカイルを呼んで装備の損傷個所を調べてもらっている。その時その時でバラさなくていいうえ、精度はどの職人よりも高い。使ってきたものは補充するしかないが、長く使えるものはできるだけ大事にしていきたい。
「銃はどれも大丈夫っす。回転弾倉なんかは予備があった方がいいかもしれませんが、あと二回くらいファルス皇国に出向いても無事に帰ってこられそうっすね」
なかなかに恐ろしいことを言う。無事に帰ってこられたからこうして何ともなく話せているが、あの戦いは誰かが死んでもおかしくなかった。カイルなりのお墨付きなのだろうから、ありがたく受け取っておくとしよう。
「でも、刀はちょっと危ないっすね。かなり負荷がかかってるから王都に戻ったら修理が必要っす」
「ああやっぱり、刀はダメだったか。銃が無事だと分かっただけいいさ」
装備を片付けてカイルとともに部屋を出る。時刻は正午、昼食の用意が出来た頃だろう。ほのかに香辛料の香りがするのが何よりの証拠だ。ファルス皇国に行っている間ほとんどまともな食事を摂れていないから、俺としてはかなり楽しみではある。干し肉などの野戦用の糧食も悪くはないが、さすがに毎日食べるには味気ないし、なによりジェイムと行動を始めてからは何も食べていない。
出撃前にあれだけ食べた羊ももう懐かしい。老人のように時の流れるのが速いとかそういうことではないが、数日間でいろいろなことが起こりすぎた。
「レイ様、カイル様、もういらしてましたか。今お呼びしようとしたところです。どうぞこちらへ」
廊下の角でシーナと出くわす。行き違いにならなくてよかった。リリィとキャスはもう食堂にいるようだ。戦後処理のために出かけていったアーツだけがいない。
さすがに辺境といえど領主の館の食堂だ。王都の貴族のそれには及ばないが、大きな広間のようになっている。5メートル程の長さのテーブルを4人で使うのは気が引けてしまう。
「領主はいないのか?」
「領主さまは執務室でお仕事をなさっています。戦争のお仕事がたくさんおありのようです」
アーツ同様大きな出来事の後は組織のトップは忙しいということか。特にオル州は侵攻してきたファルス皇国軍を最初に引き受けただけあって犠牲者が他の州と比べると桁違いに多い。さすがに死者の確認や遺族への遺体引き渡しなどの作業は部下がやるのだろうが、王都とのやり取りは任せられないか。
席に座るとすぐに料理が運ばれてくる。今日は羊肉の煮込みとパンだ。戦後というのもあり、具材は肉と芋、玉ねぎだけ。だが、スープはじっくりと野菜を煮込んだのがわかる繊細な味だ。安直にトマトとスパイスで臭み消しと味付けをするのではなく、しっかりとベースから味付けをしている。
格式のある食事には慣れていないために、簡素な料理にしてくれとお願いしたからか、出てくるのは基本的に旅館で出される料理のより手の込んだものというところだ。ファルス皇国との戦いの前後で随分とオル州の世話になってしまった。
「そういえば、領主様がお食事のあと執務室に来てほしいと仰っていました」
食後の小さなケーキを持ってきたシーナが言う。応接室ではなく執務室というあたり、どうにも血の香りのする話だろう。とはいえ辺境の州の持ち込んでくる問題だ。危険は伴うとしてもそう大事にはならないだろう。
「ありがとシーナ。話が終わったら遊ぼうね」
ワゴンを下げにシーナが一度部屋を出る。
ケーキは案外と素朴な味だった。だがそれが良くないという訳ではなく、むしろキャスがたまに作るもののような感じがした。もちろん手をかけたら美味くなるが、庶民の舌には庶民の味というか、つまりは高いものを食べるのはたまにでいいということだ。
「さて、飯も食ったことだし行くか」
少しケーキの甘さの残る口を水で流してから、シーナに連れられて執務室へ向かう。合計すると意外と長い時間ここに滞在しているが、執務室へ行くのは初めてだ。妙な緊張と共に中に入る。
「やあ、来てくれてありがとう」
そう言って穏やかに笑った領主の顔は、少し疲れて見えた。それを証明するかのように、書類が山となっている。ちらと見たところそのほとんどが被害の報告のまとめと防衛予算の申請に関するものだった。普段は王家の依頼で金には糸目をつけずに好き放題やっていたが、そうでもなければ資金を捻出するのはそれなりに大変なことのはずだったのだ。
「それで、俺たちに用とは一体どのような案件でしょう」
「いや、身構えさせて申し訳ない。頼みたいのはそう仰々しいものではなくてね、王都まで私と使用人数名を護送してくれんかね」
今の時期、王都で何か催物はなかったはずだ。というかまず諸侯が王都に行く用などといえば基本は祭の時だけ。まさか今回の責任を問われるなんてことはないだろうし。俺たちが怪訝な顔をしたのを見て、領主が付け足す。
「君たちには言ってもいいだろう。数日後に告知されるとは思うが、諸侯会議が開催されるのだよ」
なるほど、その可能性は失念していた。何しろ通話宝石のおかげで魔力遮断などの妨害さえ受けなければどこにいても話すことができる。通話宝石の技術が普及してからは、俺が生まれる少し前を最後に会議は開催されていないはずだ。
すべての州の諸侯が一堂に会する諸侯会議だが、話によれば反発する州の領主を殺そうと画策する輩が数回に一回は現れるという。大抵は少々腕が立つ程度の英雄気取りが返り討ちにされるだけで済むのだが、腕試しに襲撃をする厄介な無法者も少なからずいるのだとか。
「僕はいいっすよ。どうせ僕たちも王都に戻るんすから。皆さんはどうっすか?」
満場一致で賛成だった。なにしろ特に断る理由がない。一緒に鉄道に乗車して王都まで向かう、仕事そのものは単純だ。甘く見ている訳ではないが、そこまで負担になる依頼でもあるまい。
思ったよりも危険度の低い依頼に少し拍子抜けしつつ、安全なのに越したことはないとどこか安心しながら部屋を出る。
「しかし、領主も随分とのんびりした男だな。悪いことだとは思わねぇがよ」
ふと思ったことを口にする。のんびりという表現が正しいのか俺にはわからないが、あの人の好さといい態度といい、辺境とはいえ広い領土を治める者にしてはずいぶん珍しいと、特に帰って来てから思っていた。
「ふふん。レイ坊、まだまだ甘ちゃんだねぇ」
俺のつぶやきにキャスが反応してくる。その顔は妙に得意げで、姉が弟に自慢をしているような、そんなちょっとした憎たらしさがあった。
「ありゃ結構な大人物さ。前王派であるはずなのに、目の前で前王を殺したレイのこともきちんと実力と結果で評価しているしね。実力での評価を採用すれば効率的に利益を得ることができる、それを理解したうえで実行しているんだから相当のものさ」
キャスの強さはこういうところか、と改めて思い知らされる。領主と交流する時間は大してなかったはずだが、その間にここまで性質を見抜いている。この観察眼は大いに尊敬に値する。俺も身に着けたいものだ。誇らしげに宣ったあとで、俺たちを鼓舞するように拳を上げる。
「さて、出発は明後日だし各自準備はしておこうね!」
空き時間に少しずつ書き溜めていたものの区切りがついたので投稿します!
まだ一カ月弱休載に近い状態が続いてしまいますが、どうかあともう少し、お待ちいただけると嬉しいです!
次章については設定プロット共にかなり時間をかけて練っているので楽しみにお待ちください!




