49:父の残像
目が覚めると朝になっていた。虚像の塔での決戦から一夜、馬車は未だ鈍行でファルス皇国の領内を進んでいた。行きに通った城塞都市を避ける形のルートを通っているようだ。夜通し馬を御していたからか、ハイネはかなり眠そうだ。
「お前は寝てろ、俺が代わる」
「は、はい。ありがとうございま……ふわぁ」
代わってやった途端寝てしまう。途中で休んでもよかったものを、夜通し走らせ続けてくれたのだろう。皇都までの案内を頼むつもりが、かなり危険なことまで任せてしまった。だがそれもこれでおしまい。次は真っ当に生きてほしいものだ。
身体はまだ痛いし疲れも全く抜けてはいないが、馬を操るくらいならば今の俺でも可能だ。国境まではもう少ししかないし、問題なくオル州までたどり着けるだろう。
「君を保護した日も、私たちは馬車に乗っていたよ」
いつから起きていたのか、ジェイムがぽつりと独り言のように呟く。教皇庁に向かう時に聞いた養父の話か。ちらりと振り向いてみても特におかしな様子もなく、きっとこれがこの男が養父といるときの素なのだろう。
「それがどうしたよ」
「いや、こうして傷だらけで馬車に乗る君を見ていると思うんだ。悪いところばかり父親に似てしまったとね」
それが皮肉や謗りではないことは一瞬でわかった。自分で「悪いところ」などと言っておきながら、ジェイムは少しもそれを悪癖だと思っていない。むしろそれを、愛おしいと表現するのはおかしいかもしれないが、ある種長所のように考えているように聞こえる。
戦闘において多く傷を受けるというのはその筆頭だろうが、その他にも俺の意識していない部分でも知らず知らずのうちに似てしまっているところがあるのだろう。短い期間とはいえ俺はあの男に育てられたのだ。すでに染みついた癖だ、そう悪い事でもないし気にすることはない。
「それにいつまでも構ってやるあんたも大概に馬鹿だと思うがな」
「ああ、それはもちろん」
馬鹿と言われたときのジェイムは心底嬉しそうだった。こいつはこいつで自分なりに誉め言葉として受け取ったのだろう。
「それに傷だらけはあんたも一緒だ。その腕、仕事を再開するにはずいぶん時間がかかりそうだが」
不意に、言葉が途切れる。沈黙の中流れるのは単調な馬の蹄の音だけ。ああ、これでは眠くなるのも当然だ。適度な揺れと変わらないリズムはどうにも人を眠りに誘う。
「それがね、もう腕にほとんど魔力が通らないんだ。地力でこんなに重い剣を振り回せるほど私は元気ではないからね」
なんとも言えぬ罪悪感が俺を襲う。自分から作戦を提案したとはいえ、結局それに乗り実行すると決めたのは俺だ。だからといって今思えばジェイムの手助けなく教皇とディナルドを打倒できるわけもなかった。
これは俺の現実逃避、責任逃れなのかもしれないけれど、ここで謝るのはジェイムに悪い気がする。ジェイムはおそらく何もかもを理解してやってきた。もちろん全員が無事に、計画が滞りなく進んだという結末は最善のものだが、あれには俺たちの辿った最悪に近いケースのことまで考えられていた。全てが思い通りではなかったが、重要な分岐点において最良の決断を瞬時にする助けとなった。そこからも、自分の運命は理解できていたはずだ。
最悪自分がどうなるかわかっていてなお共闘を申し出たジェイムに対して謝罪するというのは、彼の想いをないがしろにするものだと思う。それは覚悟を踏みにじられるのと同義だから。
いくら魔術の通用しない俺でも、逃れられないものがいくつかあるのが最近分かった。聖遺物の効力、世界からの干渉もそうだ。そして呪い。責任感や罪悪感の生み出す呪いは何より強い枷となって俺を縛る。自らの行いが今の状況を生み出してしまったのだから、それの贖いをしなければならないという義務感。
それを与えたことを、相手を恨んでいるわけではない。その分の救いを俺は得ているから。何より救えないのは、そのために取り戻せないものを失った誰かだ。人の最も大事な命を奪って生きてきた俺が言っていい事ではないが、奪ってきた俺だからこそ自分からそれを投げ出せる人を何より恐れている。
命乞いというのは惨めなものだ。涙を流し、普段は端正に整えていたり、綺麗に化粧したりもしている顔を滅茶苦茶に歪ませて必死で死から逃れようとする。俺が命を懸けられるのは、相手も同じく自分の命を自分の腕に、刃に賭けているから。そうでなければ俺は命など怖くて投げられない。
「どうしてあんたは俺を助けた?」
「アールハイトとの約束さ。君がもし、危ない戦いに身を投じるなら。……その時は、少しで良いから助けてやってくれとね。室長さんにも協力してもらったよ。」
たった、それだけの理由だったのか。殺し屋同士でありながら、戦場で三度まみえることができたのは彼のおかげなのだ。二度も手加減されていたとは。
「それも今回で終わりになってしまったがね。これからは約束を守れそうにないな」
「だが────」
「でも、君が新しい場所で生きていくというんだ。その背中を押したくてね。アールハイトもきっと、喜んでいるよ」
今俺にできるのは最大限の感謝だけだ。今回の皇都攻略は、一人の戦闘不能という犠牲を払っての勝利となった。この犠牲が多かったのか少なかったのかは俺にはまだわからない。だが、少なくとも養父の庇護を完全に失ったのは確実だ。これからは本当に一人の、そして四人の仲間の力で歩いていかなければいけない。本当の意味での独り立ちというのは、やはり俺も人並みにのんびりだったということだ。
「そろそろオル領中心街に着くぜ。ハイネを起こしてくれ」
中心街の入り口あたりにどうも妙な人影が見える。視覚を強化して見てみれば、揃って横に並んだ四人がこちらに向かって手を振っていた。
これで本当にファルス皇国編はおしまいです!
軽いまとめとネタバラシ的な回だったのでボリュームは少なめになっています
次回から新章に入ります!ご期待ください!
ありがとうございました!




