498:戦装束
「今度は無理しちゃダメだよ。助けられないから」
「任せとけ。もう心配されるようなことにはならねぇよ」
そう言って、リリィに揚げた魚を挟んだパンを差し出す。心配をかけた、ほんのお詫びのようなものだ。寝込んでいる間に食べたが、少し酸味のあるまろやかな味わいのソースが魚によく合う。
「美味しい」
「だろ? ちょっと中見て帰ってくるだけだし、ヴィアージュもいるから大丈夫だ」
パンで機嫌が良くなったのかリリィがこくこくと頷く。城にいるときにヴィアージュに会わせておいたのは正解だったかもしれないな。
なにせ、彼女の強さは実際に見てみなければわからない。あの剣技、どんな素人だろうとそれが人の域を超えたものであるとわかる。なにせ、過程がわからないのだ。舞い踊る彼女が近くを通れば、いつの間にか致命傷を受けている。神秘というほか説明できない。
さて、予定通りならばそろそろヴィアージュと待ち合わせだが、まあそうきっかりに来なくてもいい。悠久の時の中を生きる彼女だ、多少の時間のズレはあるだろう。
そうして、数分後。ちょうどリリィがパンを食べ終えたところだった。
空が急に黒く覆われる。まさか、神話領域外の……。いや違う。この黒はあの世界を切り取ったような虚無の黒ではない。むしろ、何か蠢く影のような……。
「鳥……?」
リリィの言う通りだ。一瞬黒く染まったように思えた空は、しかしすぐに晴れた。一瞬でこの街、いや近辺にいる鳥が一気に飛び立ったのだ。なぜこんなことが……。
「いやぁ、びっくりだねぇ」
背後から聞こえるくぐもった声。振り返れば、姉と同じマスクをしたヴィアージュが呑気に笑って手を振っていた。
気配がないせいで気づかなかったが、鳥たちはこれを感じ取ったのだ。世界に何らかの、おかしなものがやってきたと。
「いつもと服、違うね」
「お、気付いたかい? お姉さん嬉しいなぁ」
リリィの言う通り、ヴィアージュの衣装はいつもと違っていた。戦装束というやつだろうか。それはどこか奇妙だった。
王のような気品と威厳がありながら、旅人のように自由で質素。そして神のように孤高の、何にも囚われない余裕があった。これが超越者、ヴィアージュの本気の姿ということか。
「さて、これの魔力はそう長く保たないしね。そろそろ行こうか」
ヴィアージュの言うことももっともだ。リリィも連れて船に乗ると、沖にある大型船のところまで連れて行ってもらう。
船にいたのは当番だったセリ、ハイド、カノンと、俺が仕事を頼んでいたシャーロットだ。皆本物の伝説を目の前にして、驚きが隠せないようだ。
「すっごぉ〜。きれ〜」
驚きが閾値を超えたのか、カノンは子どものような反応になっている。いや、子どもでももう少しまともな感想を言いそうなものだが。
「シャーロット、頼む」
「りょーかいです!」
びしっと敬礼をすると、シャーロットが魔力を纏う。すると足元から氷が湧き上がり、俺とヴィアージュの身体を持ち上げる。
「レイ、気をつけてね」
「ああ。今度は無事に戻ってくるさ」
しっかりと俺を見上げるリリィの目は、不安と迷いで満たされていた。こんな顔をさせてしまったのも、俺のせいだ。今度はしっかり戻ってきてやらないと。
「君は、ゆめゆめ失うことのないようにね」
オラージュからも聞いた、リリィに似ているという相棒のこと。どこか、嫌な予感が頭を過ぎる。
死んではいないのかもしれないが、もはや俺たちに敗北した男の、思わせぶりな言葉。俺が【リベレーター】と同じ道を辿らぬようにと。ハーツの言葉が、銃の動きを蝕む錆のようにこびりついてくる。
だが、俺は彼ではないし、彼は俺ではない。降り積もる不安を振り払うためにも、俺は行くのだ。
真っ暗な亀裂の中に────。
次回、499:原始の恐怖 お楽しみに!




