47:虚像神聖高楼6
「がはっ……! 謀ったな!」
怒ったようにディナルドが叫び、紙を投げ捨てようとする。だがそれより早く紙から闇色の魔力が噴出する。しかしあれ自体は【奉神の御剣】の魔力砲のような殺傷能力はない。ただ単に何か魔術を行使する際の余波のようなものに過ぎない。
「どうやら召喚の対象を間違ったようだな」
疲れの滲むような穏やかで力のない声。こんな奥の手を味方にまで隠して計画を実行するとは。稲妻のようにギザギザの光が魔力の向こうにちらりと光る。
「何故お前が生きている!?」
ディナルドの驚愕に満ちた声は、それを上回る叫び声によってかき消された。それもそのはず、凶悪な刃が深々と身体に突き刺さったのだから。恐らく右側の鎖骨は粉砕、肋骨も折れているだろう。あの短剣は形にばかり目が行きがちだが、かなりの厚さだ。斬られるのはもちろん、刺されなどしたら骨は砕れ、肉は割れ、臓は潰れる。そして本当に苦しいのはここからだ。
さらに悲痛な叫びが空に響く。俺も一度しか味わったことはないが、刺すときよりも、引き抜くときの方が数段痛い。刺突の衝撃が脳を貫いた後にやってくる、あの鉤のような部分で肉を引きずり出されるような激痛。思い出しただけでも寒気がしてくる。痛みに慣れていない人間であれば確実に脳まで破壊しているそういう類の、殺人的な痛みだ。
「レイ君、君一人に任せて悪かったね」
黒いポンチョのフードをずらしてその男、ジェイムはやんわりと笑った。ディナルドが殺したといったのだから完膚なきまでに殺したのだろうが、目の前にジェイムがいるということは生きているのだろうし、そのためになにか細工をしたと考えるのが妥当だろう。
ディナルドはと言えば正気と狂気の境目ギリギリで踏みとどまっているというか、精神が壊れる寸前といった顔をしていた。【彼方の人形師】などという二つ名を頂き、ずっと自らの作り出した人形に戦わせてきたのだ、痛みに慣れていないのも仕方がないのか。
というかディナルドが、というよりは魔術師そのものがと言った方が正しいのかもしれない。東方、北方の小国では未だに小競り合いが続いているが、ガーブルグ、ファルス、アイラ、それから北の半島を支配するニクスロットはここ数百年戦争という戦争をしていない。せいぜい辺境の地方の警備兵が気付かず国内に侵入してきた他国軍を追い払うだけで、まともな戦争が再開されたのはここ近年の話だ。
長い平和は、長ければ長いだけ人を弱くする。もちろんその平和がずっと続くのならば人が強くある必要は無いが、人間が全くの争いなしに生きていくのはそれこそ洗脳でもしないと難しい。弱い者同士が戦うならいいが、周りがのうのうと生きている中にも才能がある人間や命を賭して命をつながなければいけないものがいて、結局英雄が戦争をする時代と言われるのだ。
軍や政府機関の上層部、議会は先祖の武功や働きのおかげで貴族になっただけの金持ちで埋まり、率先して国民の盾となるべき部分が完全にその役割を喪ってしまっている。だからこその英雄。弱くなった1000人を殺せる一人を生贄に祀り上げることで、盤上遊戯のようにいくつかの駒を動かすだけの英雄同士の戦いをさせる。
そしてその英雄の末路がこれだ。『痛さに慣れていなかった』、ただその一点のみで自我を喪う寸前まで追い込まれているのだ。俺は別にディナルドを憐れむわけではないが、それでも生き残れなかった同業者にその姿が被って哀しくなる。
「ジェイム、【奉神の御剣】の回収を頼む。俺は迂闊に触れられなくてな」
今のうちに聖遺物を回収してここを去るのが得策だろう。まだ国全体に広がっている召喚の術式は消えていないが、魔力源の聖遺物さえなければあとはディナルドが魔力を吸い尽くされて死ぬだけだろう。ジェイムがそっと手を伸ばす。
「やらせて……堪るか」
呻き声のような呟きと共に、ディナルドが莫大な量の魔力に包まれる。まるでそれは自分を守る暴風の結界、そして……。
「連続かつ高速の治癒魔術……?」
自分が死の危機に直面しているからといって、随分と無理なことをする。あれだけの傷であれば完全に修復するのに70回は中等の治癒魔術が必要だ。この短時間でそれだけの回数を自分に行使すれば、自己治癒力をほぼ失ううえ、それ以降の魔術の効果も薄くなる。死ぬよりマシという考えなのかもしれないが、これは完全に自殺行為。未来の自分の歩む道を断つやり方だ。しかしそれも、件の召喚を成功させれば気にならない問題か。
「ジェイム、どうにかその壁を破れないか?」
「レイ君はできないのかい? こういうの君の十八番だと思うんだけれど」
「俺は触れた魔術しか消せないからな、そうやって多重になっているものは苦手だ」
魔術師を殺すという点においては基本的に便利だが、やはりこういう状況での突破力に欠けるのが俺の体質の欠点だ。デメリットは両手の指では数え切れないほどあるのにメリットは片手でも数えられる。
ジェイムはなるほどといった様子で頷くと、短剣を鞘に収める。そして稲妻が走るほどに両手に魔力を集中させる。
ものすごい魔力量だ。聖遺物にはさすがに劣るが、人間の許容できるとされている魔力量のほぼ限界に達しているのではないか。リリィはおそらく魔力特性の影響だが、ジェイムのこれは本来の量だ。
そして貯められるだけ貯まったのか、それを全てディナルドに向かって解放する。それは力の暴圧。アイラ・エルマ叙事詩に描かれた大砲のような、破壊の権化。吹き荒れる力の奔流に、ディナルドの防壁は剥がれていく。
しかし、それと同時にジェイムもその影響を受けていた。膨大な量の魔力を一度に放出したせいで手の平はもちろん、腕のそこかしこから血が滲み出ている。あれこそ自殺行為だ。未来を断つだけではなく本当に死にかねない。それを躊躇わずに為したジェイムに感服するのと同時に、罪悪感が俺を襲う。ディナルドの治癒が予想より速く、結局ジェイムが護りを四散させた時には傷はほぼ塞がっていた。少なくとも外見は。一人の人生を壊して得たものがこれである。
「さて、お互い少しずつハンデがあるし、いい感じに一騎打ちができそうだね」
それでも俺が声をかける暇なくジェイムは剣を取る。左手が潰れるまで使うことで、右手をどうにか生かしたのだ。まともに動かなくなってきた右手を魔力を放出することで加速させ、ディナルドと打ち合っている。
「レイ君は神殿の外壁から頂上に向かって術式を破戒するんだ! 回収役にハイネ君にこちらに来てもらっているから聖遺物は安心してくれ」
首肯すると神殿に向かって飛び降りる。彼の献身を無駄にしないためには、それによってできた時間をできるだけ有効に活用するほかない。削り取った命に、できる限りの価値を積み上げてやるのだ。怪物の出現を阻止する、なんていうのは悪くないだろう。
召喚術式の顕現によって雲が晴れたおかげで月が見える。月を背負い、二人の様子が影絵のようになって見える。元の剣技の上手さから言ってジェイムが押しているようだが、それも危ういバランスの中でだ。距離を取られれば小規模の魔力砲を撃たれる。やはり左腕がないのは厳しいようで、身体のバランスや防御などに少しずつ綻びが生じている。
焦った俺は身体補強をかなり強化して神殿の外壁を駆け上がる。装飾が豪華なおかげで凹凸が多く、登りやすい。すぐに鼓動が速くなるが、動作に支障のないレベルでの強化でできるだけ早く屋根に辿り着く。
屋根の中心で魔法陣がゆっくりと回転している。召喚魔法陣なんてものは人生で何度かしか見たことがないが、やはりこれが一番複雑で大きい。輝く円の端にそっと触れる。すると神殿のものを中心に各地の光が消えていき、地平線の向こうまですぐに暗くなった。今この国を照らしているのは月と、戦いの光だけ。
「壊したな、私の術式をォォッ!」
ジェイムのとは比較にならない勢いの魔力放出で、ジェイムが吹き飛ばされる。空中で咄嗟に右手から魔力を出して一段下の段差に戻れたおかげで下までの落下は免れたようだ。
ディナルドの怒りは頂点に達したようで、今度こそ理性を失っている。【奉神の御剣】がそれに呼応するように、強く輝き出す。
「神話顕現、目覚めよ【天衝く白雷の槍】ッ!」
またまた投稿が微妙な時刻になってしまいました。
次回で戦闘自体は終われそうです。
この作品もなんだかんだで50回ということで、とりあえずここまで続けられたこと、感謝いたします!(もちろんこれからもがんばります)
今回もありがとうございました!




