44:虚像神聖高楼3
「解っちゃいたが、キリがねぇな」
一方的な攻撃とはいえさすがに疲れた。身体の疲れというよりは精神面での疲労が大きいような気もするが。秋も終わりに近いため、夜はかなり冷え込む。死体の腐食が遅くなるのはありがたいが、こうして徐々に体力が奪われていくのは嬉しくない。
陽が沈むのに合わせて雲が出てきたようで、いくら夜目の利く俺でもモノの輪郭を捉えるのがせいぜいだ。神殿でさえその輝きを今は失っている。これでも地上で吠える彼らは俺の居場所を知って向かってくるのだ。
どうにか教会の尖塔の上までたどり着き、今は身体を休めている。神像や祭壇を破壊してバリケードにしているが、教会には手を出しにくいのか尖塔を直接倒そうとはしてこない。バリケードを破った後にもいくつか罠を仕掛けてあるため、しばし仮眠を取っても構わないだろう。
意識だけを表面に残し、身体を休眠させる。血の匂いのする風と喧騒だけが届く。魂が抜けだしたかのような感覚、暗闇の中を漂うようなこの時間もあまり嫌いではない。
身体を休めはじめてからだいたい30分、ノイズが俺を目覚めさせた。じりじりと何かが焦げるような、それでいてそれより不快な音。この部屋には誰もいないが、丸いこの部屋の反対側に音の発生源がある。
目を開け立ち上がる。誰もいない。誰もいないが、僅かに空間が揺れている。真夏の蜃気楼のように、そこだけがゆらゆらとした歪みでできている。
「出て来いよディナルド」
声をかけるとすぐに彼は姿を現した。この国では異質な紺のコートを朱く染めて静かに笑っている。血は主に脇腹の醜い傷から出ているようだが、明らかにディナルドのものではない血も少なくない。あんな傷をつけられるということは…。
「ジェイムを倒したのか」
「ああ、あの趣味の悪い武器は厄介だったが所詮はただの殺し屋。俺に倒せないことはない」
ディナルドの性格からいって生かしておくことはないだろう。ジェイムは死んだと考えてこれから行動するよりなさそうだ。こんな言い方をするのは気が進まないが、もはやここにジェイムがいなくとも作戦は成立する。ならばここでできることをするしかあるまい。
「それで、ここに来た理由は何だ。自分の傷の治療もなしに俺を殺すか?」
「その通り。だが手を下すのは私じゃない」
いきなり階下の喧騒がわっと大きくなる。いきなりバリケードが破れたにしてはタイミングが良すぎだ。恐らくこの男が瓦礫部分の空間をどこかに移し替えたか、そんなところだろう。窓のないこの閉所に俺を閉じ込めて否が応でも俺を戦わせる気か。
「そうだ、あの男から伝言を預かっている」
足音が迫ってくる中、そんなことを教えてくれるとは。あまり粋とは言えない計らいだが、ジェイムが最期に俺に何を伝えようとしたのか、少し気になる。
「『納得して死ぬために生きるな』だと。せいぜいこれから不服に唸りながら死ねればいいな」
ディナルドが言い終わるのと同時に民衆がなだれ込んでくる。彼らの目は暗くても分かるほどに、昼間見た義憤の炎に満ちている。俺には言葉のジェイムの言葉の意味は分からないが、確かに誇れる死に場所をどこかで求めていたのは事実だ。人はみんな、そうではないのか。
いくら広めの部屋だとはいえ死体が溜まればどうしても人は入れなくなる。できるだけ早く殺して、入り口をどうにか埋めるよりないか。
「悪魔に裁きをッ!」
斬りかかってきた若い男の喉を突き、腹を蹴って扉近くまで飛ばす。それにぶつかり数人がよろけるが、すぐに死んだ男はぼんやりと消えていく。民衆が入ってきてもディナルドが姿を消さなかったのはこのためか。いくら殺しても死体で部屋は埋まらない。
拳銃と散弾銃を抜き、人の密集したところに撃ち込む。散弾銃の威力はさすがなもので、一度に複数人を屠れる。拳銃にしてもかなり貫通力のある弾を撃てるように改造してあり縦に並んでいてくれればそれなりに効果はあるはずだ。
俺が引き金を引いても引いても死体は陽炎のように消えていく。それこそ不死身の敵を相手にしているような気分だ。何度同じ作業を繰り返したか、ついに弾が底をついた。乱暴に銃を投げると刀を抜く。もはやこうなったら上着を着ている意味すらない。中折れ式の拳銃だけ腿のホルスターに確保するとコートを脱ぎ捨てる。
上着を脱いでしまえばあとはほとんど肌着のようなものだ。それこそ獣のように敵を斬れる。躱して斬り、弾いて斬り、先んじて斬る。いくら疲れているとはいえまだ身体補強を使わずに戦えている。疲れているときに使ったところで余計に疲労し死期が早まるだけだが。
わずかばかりの休息で戻った体力はすぐにマイナスへと傾く。刀を振るうごとに息は荒く、動きが鈍くなってくる。ごく低い程度でだが発動した身体補強もかなりかなり効いているみたいだ。少しずつ後手に回りがちになり、技術も何もないただ振り回すだけの剣に押されて一人すら楽に殺せない。
「くッ……!」
左肩を刃が抉る。すぐさま反撃するが戦いの均衡は完全に崩れた。もはや攻撃の暇など俺にはない。ただただ死ぬ時刻を後へ後へとずらしているだけ。疲弊したり隙のできた者を斬ってもすぐに元気な別の誰かが出てくる。もはや刀を片手で振るうことすらできない。逸らし切れなかった刃や避けきれなかった打撃に少しずつ傷ついていく。
そしてその時は急にやってくる。
「あ」
白い刃が後ろから俺の腹を貫いた。骨を断てるような威力ではなかったのに、不幸にも骨を避けて肉を切り裂いた。考えての行動ではないだろう。たまたま、反射で突き出した剣がうまい具合に俺を刺したのだ。
咄嗟に刀を後ろに回して首を落とす。だが流石に痛い。肉体的な痛みももちろんだが、戦略的な話も含めて。刺さった剣を引き抜き二刀というのも頭を過ったが、いくら手数が増えたところで大した差はないし、それを実現する体力も残ってはいない。既に両手で構えないと素人の剣すら受けられなくなってしまっている。
抜いた剣を投げ捨て向かい合うが、もはや攻撃することなど考えられない。剣を打ち付けられて右へ左へとふらふらすることしかできない。当たり所の悪い強撃によろめいた俺は、自分の血で脚を滑らせる。
十分な受け身も取れずしたたかに身体を打ち付ける。まずい。そう思った時には既に三振りの剣が俺の身体を貫いていた。意識が遠くなる中追撃を食らわそうとする民衆を制止するディナルドの姿が目に入る。裏がありそうだが、ここで俺を殺すつもりはないようだ。残る力を集中させ自己治癒力を強化したところで、それで安心したのか意識は途切れてしまった。
◇◇◇
妙に窮屈な感じがして目が覚める。手足を何かに固定されて縛られているようだ。目を開けると何か高い台の上にいるのがわかる。眼下には大勢の民衆。ここはいわゆる処刑台というやつか。俺を縛っている恐らく木の柱からは油の匂いがするし、火炙りにされるのだろうか。
油のに交じって酷い腐臭がする。俺が何人殺したのかはわからないが、純白の皇都はここからでもわかるほど死に汚されていた。血と破壊の跡、そして無数の死屍がどうすることもできずにそのままの姿で残っている。
足音がしてそちらを見ると、精緻な造りのトーチに蒼い火を灯して教皇がこちらに歩いてくるところだった。後ろにはディナルドが従っている。限りなく危機的な状況ではあるが、なかなかに悪くない。まだまだ身体は怠いが少しは体力が戻ったようだ。
「君達は頑張った。頑張ったが一歩届かなかった。人はそれを負けと言う。さあ、裁定の時間だ」
教皇がゆっくりと、トーチを近づけてくる。
8月もあと少しということでクオリティを落とさないレレベルでできるだけ急いで投稿していこうと思っています!
多分あと一回か二回くらいで終わるとは思うのですが『父の肖像』のように予想外に伸びてしまうこともありますのであまり信用しないでください!
今回もありがとうございました!




