439:消え失せる意志
「一瞬気付きませんでした。随分雰囲気が変わっていたので」
「ああ、ちょっと負傷してな。生活に支障は出てないんだが、ちょっと目立つよな」
眼帯について言われたのは何回目だろうか。やはり久しぶりに出会った人にとっては新鮮に映るものなのか。
「いえ、そうではなく。貴方からは以前の獣性のような殺意を感じません。迸る魔術のような、強い意志が、すっかり消え去ってしまっている」
「そ、そうか……?」
考えたこともなかった。俺の雰囲気か、あまり自分で気付けるものではないか。以前のような獣性が失われてしまっている。どこかで、気が抜けているのかもしれない。
俺がこうなったのはいつからだろうか。といっても、考えられる転換点は一つしかない。王都での決戦の勝利、あれをきっかけに俺の戦意はどこかに消えてしまった。
それがいいことなのか悪いことなのかはわからない。しかし、ユニは良くは思っていないようだ。
「意志の低滅は満足や諦めに起因します。そして貴方は前者、どうやら現状に満足してしまっているようだ」
確かに、少なくとも現状に不満はない。戦いが終わり、特務分室で果たすべき目的も果たした。であれば、これ以上俺にやるべきことはないのかもしれない。
「そう、かもな。ユニ、お前はまだ満足していないのか?」
俺の質問に、視線が鋭くなる。こんな眼もできる男だったのか。
「ええ、全く。同盟によって我々同士の平穏こそ得ましたが、それは根本的な解決ではない。ただ力で、意志を削いでいるだけ。少し時が経てば、絶対に争いは表出します」
ディーファ軍の侵攻がいい例か。今は同盟という大きな枠組みに抑圧されて争いが起きていないだけ。いずれ、勝つだけの自信と力を身につけた者たちが現れれば、再び争いが起こる。
ずいぶん先のことを考えているものだ。さすがは研究者というべきだろうか。だが、一方でユニの望む世界は本当に作れるのかという気持ちが湧いてくる。それは、もはや世界を均質化するくらいしか方法はないような気がする。
だが、どこかやってしまいそうなのがこの男だ。言われるまで意識していなかったが、ユニの瞳には強烈な意志が宿っている。極端に冷酷でありながら、それでいて激しく燃え盛るような意志。どんな手段を使ってでも目的を果たそうとする、危うさを孕んだ力を感じる。
今までの俺も、こう見えていたのだろうか。思えば王都での決戦を終えるまで、真に心が安らいだことはなかった。一時の平穏に身を任せても、どこかで戦いを、死を予感していた。
しかし今は違う。面倒だとぼやきながらも仕事をこなして、帰り道にリリィとハイネに会えば一緒に食材を買って料理をする。その生活のどこにも、死や喪失を予感することはなかった。
思えば、ファルスでもそうだった。セリをはじめとした兵たちの身を案じてはいた。終わらない戦果への危機感はあった。でもそこに、揺るがない目的意識はなかった。少し前の俺ならば、あの軍を一人で撤退させられていたかもしれない。
「心当たりがあるようですね」
「ああ。だけどな、俺はこれもいいと思うんだ。確かに俺は後戻りのできない場所にいるが、それでも今はこれでいいんじゃないかって────」
そう。今は刃が鈍ってもいいんじゃないか。そう思う。だが、急に不安になってきた。本当に、鈍になってしまってもいいのか。そのせいで、また何かを失って……。
「う……」
眩暈がしてくる。視界が狭まり、鼓動が高まるのがわかる。これは焦りか、恐怖か。過去の感情を無理やり引き出されたような感覚。
「すみません、少し熱くなりすぎてしまいました」
熱した鉄に水をかけるように、ヒートアップした思考が遮られる。だが、ついさっき味わった恐怖はしっかりと身体に残っている。
すっかり冷めた紅茶を飲み干すと、一つの決心を固める。俺はまだ満足してはいけないと。
思えば、ヴィアージュの部屋にも久しく行っていない。切迫した状況、どこへも行くアテのない気持ちを解消するために行っていたあの部屋に行く理由を、持ち合わせていなかったから。
まずはヴィアージュに助言を求めよう。最近全然会いに行っていないせいで愛想を尽かされていなければいいが。
「ちょっとやりたいことができた。悪いが行かせてくれ」
「いえ、こちらこそ難しい話をしてしまってすみませんでした。よければまたお話ししましょう」
笑顔のユニに見送られて部屋を出る。ヴィアージュの部屋に行くのに必要なのは、鍵のある扉だけ。俺に当てられた部屋にも鍵があったはずだ。
一旦部屋に戻ると、内側からヴィアージュの鍵を差し込む。扉の奥は、見慣れたあの部屋だ。
「やあ。会いたかったよ」
次回、440:幼稚な愛 お楽しみに!




