42:異端審問
異端審問などと言って形式を整えてはいるが、予感以前に俺が異端でない訳がない。そもそも俺は信徒ではないのだから、彼らの道において正統であるはずがないのだ。俺の弁舌でできるのはせいぜい罪を軽くすることくらいか。
「問おう。貴様は神を信ずる無垢たる子か」
「否。俺は神を撃ち堕とす只人だ」
一切の弁明なしに反抗したのが意外だったか、教皇の細い眼が少し開かれる。せっかくこんな場にいるのだから、俺も少しは向こうから情報を引き出しておきたい。今のタイミングであれば教皇も何かしら教えてくれるかもしれない。
「俺からも聞きたい。お前の洗脳は何を利用してる?」
「ここまで核心に迫って、まだ気付いていなかったのか。いや、それも当然か。洗礼の儀式だよ。歴史と信仰心が積み重なった結果神性を持った儀式は、意図せずに神の意志を反映する装置に進化したと」
聖典などと言う回りくどいやり方ではなかった。単純かつ根深い、根本を支配する魔術だ。怠惰で避けること能わず、信徒であれば誰であれ通る洗礼の儀式。繰り返し続けることでただの動作も魔術的な意味を持ち、いずれ強力な力を得ることがあるという話は聞いたことがあるが、これだけ多くの人心を掌握できるほどのものだとは思っていなかった。
魔術に格上げされた儀式を一般的に儀式魔術と言ったか、これに関しては動作自体に意味があるために適性を完全に無視して行使ができる。それゆえ危険度の高い儀式魔術に関しては隠匿され伝承程度の与太話としてしか伝わっていない。噂では特定の相手を即死させられるような恐ろしいものもあるという。噂どころか目の前にとんでもない儀式魔術を利用している人間がいる訳だから余計確かに思える。
「ああそれで、異端だというのは全面的に認める証言と。では次に貴様の犯した罪についての話をしよう」
罪状を読み上げるだけでもかなりの時間がかかった。主だったのは殺人だったが、その他にも聖典に載せられた訓戒やら細々した窃盗や恐喝などの罪もかなり調べ上げられていた。もちろん総数に比べたらまだまだ足りない量だが、『世界』にかなり厳しい罰を下されるのは間違いないだろう。
罪状を読み上げ終わった教皇はいやに聖人めいた微笑みを浮かべて俺を見る。
「すべての罪を認め、贖罪し、洗礼を受けるのならば今読み上げた罪を全て神の名のもと許そう。如何にする?」
ここで手駒になるか、判決を受けるかのどちらかを選べということか。もちろん手駒になんぞなって堪るか。かつて終わっていたはずの命、少しだが同じ時を過ごした人を殺すために使うのならば捨ててしまった方が数段いい。だが。
「お前、俺の罪をいくつ挙げた?」
「175だが何か?」
湧き上がってきたのは怒り。今俺がどんな顔をしているのかはわからないが、それでも教皇は表情を変えない。きっと厭な顔をしているのだろう。そうでなければいけない。なぜならそれは。
「それが、お前の侮辱した罪の数だ」
最大限に憎らしい面を教皇の正面に向けてやらなくてはいけないのだから。思い切り睨みつけ、首を掻き斬る動作をする。罪を重ねて金を贖ってきた俺が言っていいことではない。むしろそれは俺に注がれるべき罵倒だ。生きるために他の命を踏み越えていく、生物としては至極当然ではあるが、それでも忌避される生き方をしてきた俺に。
しかし、もとよりそうなのだ。数多くの人民の心を支配し、安寧の皇国を築く。利用できるものは全て使う。そういう男なのだ。そうして作られた、生きながらにして殺された人間の王。これこそが教皇の正体。臣民なき国を支配する、虚の支配者。
「お前は目的のために、罪を利用した。欲のために、傷や苦しみを利用した。これは罪じゃないのか?」
教皇を訴え返す。それが、今の俺に可能な精いっぱいの反撃だ。彼には俺の姿が矮小な虫と同じか、それ以下に見えるのだろう。呆れ顔がそれを物語っている。もし少しでも俺の訴えが通るのであれば、教皇であろうと罰を受けなければならないだろう。何しろここでは神の許に罪人を裁く。であれば聖職者たるもの神前で不正は働けまい。
人間、生きている限り己の罪から逃げきることはできない。もちろん本人が罪を自覚できないほどに破綻している場合は話は別だが、自分の為したことは、最後まで自分の中に残り続ける。自らの為に多くの人民を利用した教皇だからこそ、最早言い逃れなどできない。
「私が神を裏切ったことなど、一度もない」
教皇は、少しも揺るがずにそう言った。自らの行為に一片の迷いもなく、そしてそれが正しいと本気で思っている。もとより絶対的な正しさなどこの世に在りはしないのだから信じることは勝手だが、それでもこの不動の軸は恐ろしい。
「洗礼術式は、信徒の幸福を究極的に体現するのに必要なものだ。我らは昔から、これによって安寧の大地を確立してきた。神のお膝元にある民を幸せにすることの何が罪だというのだ!」
あまりの迫力に数歩下がる。なるほどこいつは、俺の思っていたような利己的な男ではないようだ。むしろすべての救済を願うような、異常なまでの聖人だ。もっともこの男の『すべて』が指すのはファルス教の信者のみだが。
残念ながらこの男は完全な無罪だ。俺は認めたくはないが、少しの隙もない。ただ単純に法で裁くのであれば今のような理屈に全く意味はないが、この場で俺たちを裁いているのは法であって法ではない。この男は自分のすべきことを理解し、それを全うしているだけなのだ。少なくともファルマ教の聖典が言う上では。
「いや、ここまでとは。俺の負けだ、判決を言えよ」
「『存在証明の上書き』だ」
教皇の宣言とともに判決文が書かれている紙らしきものが光柱となって空へ伸びていく。天井をすり抜けているようだった。そして空からそれが返ってくるように、純白の光が俺を包む。それは魔力で生み出されたような、【奉神の御剣】の光の類ではない。人智を超えた、因果律や時間軸に近いこの世を構成する何かだった。
「この術式によって、貴様の存在を人間から神に仇なす悪魔へと作り替えた。対象は信者のみだが、街へ出ればどうなるか想像できない訳ではあるまい」
まずい。純粋な信仰心のみで動かされている彼らにとって、俺は駆逐すべき邪悪そのものだ。そして彼らは、その悪を滅ぼすためなら命を顧みずに向かってくるだろう。つまり狂戦士と化した皇都の民全てと殺し合いをする羽目になる。人口は把握していないが、長期戦に向かない俺は確実に死ぬ。そして俺の状況を知らないジェイムやキャスたちは混乱の只中に巻き込まれ救援要請もできない。
「はじめから分断が目的だったのか」
「左様。諜報役はともかく、戦闘員が固まると厄介だというのは報告されていたからな。緒戦で私の精鋭を破った貴様を最初に潰せて本当に幸運だ。これも神の加護かな」
王都から動かない親衛隊と、その影響で主戦力とともに行動しなければならない戦闘員、残る別動隊の俺たちをそれぞれ手持ちの全戦力で叩く。そのファルス皇国にとって理想的な構図を俺たちはまんまと再現してしまっていたのだ。
完全に悪魔と化した俺は、教皇と疑似聖人からの視線が鋭くなったのを感じていた。これが明確な敵になったという感覚か。しかし、こんなものは序の口だ。教皇の手から噴き出した風によって、俺は為すすべなく天井の吹き抜けを通り、魔術で一時的に開通したのであろう天井の穴を抜け、地上階へたどり着き、そして外に放り出された。あの法廷、地下にあったのか。
受け身を取って素早く起き上がる。悪魔の気配に気づいたのか、皇都全体が痺れるような殺気に包まれる。そう、睨まれるくらいなら、石を投げられ迫害されるくらいならばまだいいのだ。俺はこれから書き加えられた情報などではなく、正真正銘の悪魔になる。この純白の街に屍の山を築き真紅の大河を造るのだ。全員殺してでも生き残る。『世界』からの処刑のような避けようのない死ならば受け入れるが、今のようなか細くとも生存の道のある状況ならば、絶対に死ねない。
どういう心境の変化なのか、俺にはよくわからない。多分きっと、あの胡散臭い教皇の差し金で死ぬのが気に入らないからだ。今はそういうことで納得しておこう。
続々と家から出てきた民衆が、魔術の構えをとって俺を囲む。いつまで魔術での攻撃を続けてくれるものか。民家に大した武器はないだろうが、刃物は刃物、鈍器は鈍器だ。その気になれば人なんていくらでも殺せる。接近戦はできるだけ避けたい。
ふとざわめきが起こる。民衆に倣って見上げると、教皇庁の出窓から、教皇が顔を出していた。その瞳は民衆を見据え、日の当たる様子は神々しさすら感じるものだった。
「皆に伝える。そこに現れた悪魔は神聖な光を忌避したために、魔術での攻撃を受け付けない。武器を取れ! そなたらの刃で悪魔を討ち滅ぼすのだ!」
そう高らかに言い残して教皇は室内に消えていく。最後まで余計なことしやがって。一度家の中に消えた民衆が持ち出してきたのは白銀に輝く剣。宿に飾ってあるのは見たが、まさか標準装備の武器だったとは。【奉神の御剣】を模したような意匠で、装飾剣としての役割も果たしているのだろう。さすがに魔力ではできていないだろうが、厄介なことになった。
民衆が雄叫びをあげて向かってくるのと同時に、俺も刀を抜いた。
気づいたらふだんよりボリュームが少し増えていました。本当に今月中に次のエピソードに入れるのか不安になってきました。きっとできます! 頑張ります!
次回は「虚像神聖高楼2」になります。お楽しみに!
ありがとうございました!




