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435:行ってきます

「結構夢中になっちゃいましたね……」


「……そうだな」


 かなりたくさん釣ったと思ったのだが、手本と実践で捌きまくっていたら、いつの間にか全ての魚が綺麗な開きになってしまっていた。もともとこうする予定だったからそれ自体は構わないのだが。


 あらかじめ港町で仕入れておいた調味液に魚を全て入れると、魔力特性が水属性寄りの船員を捕まえて氷を出してもらう。魚を入れた容器を氷で囲って腐食を防げば完成だ。


「辛そうなのでちょっと不安です。食べられますかね……?」


「もともとガーブルグ料理らしいしな。まあ誰かしら食べられるだろ」


 なんでも、交易船を通してガーブルグから伝わってきた魚の保存法らしく、味がつけられる上に長持ちするのだとか。直轄領で魚は手に入れる予定だったのだが、おかげで手間が省けた。


 せっかく港に来たのだから海らしいものを、とハイネが買った調味液だ。おかげで出向ギリギリにはなったが、旅のいい楽しみになりそうだ。もし興味があるようならシャーロットにも分けてやろう。


「お二人も、ちょうどキリがいいみたいですね」


 リーンがイゾルデを伴って近づいてくる。俺たちが魚を捌いている間に随分打ち解けたらしく、ハイネは少し羨ましそうだ。


「そっちもか。どうした?」


「数時間後に港に着くということでご報告を。本国からの装甲船も向かっているようなので、すぐに出発できると思います」


 リーンの帰国は予定ならもっと前、迎えの準備もバッチリだったのだろう。当初の予定よりかなり輸送人数こそ増えてしまったが、広さ的には問題ないはずだ。魚を持ち込んでも問題ないだろう。


 話はついているらしく、船が着いたら最優先で俺たちを降ろしてくれるらしい。気を遣ってもらっているのだし、下船の準備くらいは整えておくか。


「国の代表というだけで、こんなに優遇してもらえるなんて。少し気が重くなってきました……」


 イゾルデが呟く。いい扱いは期待と畏怖の証だ。自分が優遇されていると感じたならば、その優遇度合いが自分に向けられた期待と同じだ。だからこそ、緊張しているのだろう。


 期待が大きければ大きいほど、失敗した時の落胆も大きい。他者からの失望、思えば俺はあまりされたことがない。案外いい環境で生きてきたものだ。しかしイゾルデは結果次第では大きな失望を招く立場にいる。よく考えずに引き込んでしまったが、そのあたりも考えてやらなければ。


 多分、イゾルデは人一倍わかっているのだ。一度評価されたら最後、それを下回れば落胆の声が聞こえる。膨れ上がった期待に応えなければ失望される。多分この場の誰よりそれを理解している。


 だからこそ、ここまで緊張しているのだ。この扱いを、どこか恐れているのだ。少々固くなりすぎな感はあるが、決して悪いことではない。


「大丈夫! きっとなんとかなります! 私もお手伝いしますし!」


 こわばった面持ちのイゾルデの肩を、ハイネが優しく叩く。よほど勇気を出した行動だったのか、すぐにそっぽを向いてしまったが。


 俺も気持ちはハイネと同じだ。俺たちがついてきたのは、何もイゾルデの監視と警護ばかりではない。その道行を支え、この交流を成功させることも、俺たちの役割だ。


 イゾルデの表情が少し柔らかくなった。ハイネの行動も、役に立ったらしい。当の本人は全く気付いていないようだが。


「見えてきたぞぉ〜」


 帆の上方で見張りをしていた船員、さっきハイネが工具を届けた彼が叫ぶ。つられて前方を見ると、少しずつ陸のようなものが見えてきた。ここまで来ればあと少しだ。


「皆さん、準備はいいですか?」


 鞄を背負ったリーンが問う。全員荷物は全て持った。俺も船室を確認してきたが、特に起き忘れたものはなかった。そもそもほとんど荷物を出していないし、当たり前だが。


 接岸が待ちきれないのか、ハイネはぴょこぴょことその場で飛び跳ねている。やっと自分の行動がイゾルデに届いたことを認知して、興奮気味なのだろう。


 一方のイゾルデは落ち着いていた。緊張の色こそあるが、ハイネのおかげでそれもそれなりという様子。久しぶりのニクスロット、俺も楽しみだ。


 接岸するなり、ハイネが陸地に飛び移る。リーンも手慣れているようで、危なげなく飛び越える。俺にとってもこの程度の距離など造作もない。のだが。


「無理するなよ。板でも渡すから」


「い、いえ……! 私も同じように渡りたいです!」


 よくわからないが、イゾルデの心に火をつけてしまったらしい。本人がそれを望むのなら別にいいが、無理して飛び越えるものでもないだろうに。


 戦闘スタイルを見る限り、イゾルデは動き回って敵を翻弄するタイプではない。どちらかといえば、どんと構えて迎撃するスタイル。しっかり動き回る俺たちと同じことをしなくてもいいのに。


「い、いきます!」


 助走をつけて飛び上がるイゾルデ。身体能力自体は問題ないらしく地面にきちんと足が乗る。しかし、背中の大荷物が悪かった。


 ぐらりと後ろ向きにバランスを崩すイゾルデの腕を掴むと、こちらへ引き上げる。だから無理をするなと言ったのに。本人が満足そうだからいいが。


「ふふ、私も渡れました」


 なるほど、面白い。ハイネがイゾルデに憧れているように、イゾルデもハイネやリーンのような軽やかに駆ける戦い方に憧れているのだ。これは、その第一歩とでも言うべきか。


「いいガッツだったぞー!」


「その調子で頑張ってな〜!!」


 船の上から船員の声援がする。大きな賞賛、期待。彼女が魔術学院で戦ってきた相手。しかし、今回のそれは、多分少しばかり違う。


 これは、少女の小さな一歩に対する賞賛。そして、次の一歩への期待だ。きっと、上から押しつぶすのではなく、前に進むための後押しになってくれる。


「はい……!」


 それは、俺が語るまでもない。何よりも、大きく手を振り上げたイゾルデの表情が、それを物語っている。


「行ってきます!」

次回、436:異変 お楽しみに!

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