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41:虚像神聖高楼1

「いやはや、儂が望んでいる形ではなかったが、再び見えることができて光栄だよ」


 部屋に入ってもいないのに声をかけられる。教皇だ。疑似聖人と思しき人の列の奥の奥、30m程先に姿が確認できた。微かな違和感。その正体は均整すぎる疑似聖人かそれともこの空間そのものか。幻想と虚構が高く積み上げられた塔の一つ、その頂点に君臨するは虚の創造主。


 彼の完成された物語がもし一冊の本だとしたら、それは本屋の隅で埃を被る駄作でしかなかっただろう。しかし波乱のない幸福に満ちた物語が自分の人生だとしたらどうか。目を閉じ耳を塞ぎ、ただ与えられた神の声に従うのみで幸福が得られるのならば俺だってその道を選ぶだろう。この有象無象の世界に、進むべき光を明確に示してくれるのだから。


「ディナルドはどこだ。用があるのはあんたじゃなくてあいつなんだよ」


 それでも、俺はどうにも彼らが気に食わない。絶対に崩れない安寧を享受することは人間にとって喜ぶべきことなのかもしれない。だが俺は彼らの命に色彩を感じることができない。貧民街の溝から眺めていた、街行く人の日々の営み。決してそれは完全に穏やかなものではなかったが、それぞれに確かに自分があった。


「君と彼、というか儂らはとても相性が悪いのでね、隠匿させてもらったよ」


 もちろんディナルドに逃げられることは想定済みだが、ジェイムが張ってくれたという探知が完全に破られている。範囲は皇都内全域と言っていたから、既にその外に逃げられてしまったということだろう。


 ジェイムもかなり苦い顔をしている。ジェイムの設置した結界はとても単純なつくりになっている。それゆえに看破はできても対策するのは難しい。広く、強い魔術は凡百の手段に対抗できる。だからこそ逃げた場合はどちらかが追跡に動くという手筈だったのに、このままではみすみすディナルドを逃してしまう。


「レイ君、教皇を君に任せてディナルドを捜しに行ってもいいかい? それが現状の最適解だと、そう思うんだ。足止めを、頼みたい」


「依頼ってことでいいんだよな。標的は教皇、高くつくぜ」


 ジェイムは険しかった顔を一瞬綻ばせる。


「殺し屋の私が殺し屋に依頼をすることになるとはね。いやすまない、『元』殺し屋か。ではよろしく頼んだよ」


 ジェイムはそのまま外套を翻して来た道を戻っていく。気温が一気に下がったかのように身体が冷える。身体というよりはむしろ雑事ばかりが過る心を冷やしているのだが。こうして一人で目標と対峙すると、数カ月前までの自分を思い出す。あの秋の日にキャスからの依頼を受けるまで続いていた生き地獄。


 この時代俺の性質もあって手強い目標というのは少なかった。ジェイムみたいな存在はむしろ珍しかった。そのジェイムと向かい合ったかのような威圧感、濃密な空気が外から大きな手で握りつぶされているような圧迫感。魔力のせいか、それとも緊張しているのか、教皇がぼやけて見える。


「来たまえよ、さっきの啖呵は虚勢かな?」


 教皇の煽りで、冷え切っていた身体に火が灯ったように熱が生まれる。冴え、研ぎ澄まされていく神経。大きく息を吐くと床を蹴る。強化なしの速度で部屋まで入り、それに合わせてきた疑似聖人たちをギアを上げて抜き去る。身体補強フィジカル・シフトを利用した昔からのテクニックだ。疲労を最小限に、効率的に目標に辿り着ける。


 教皇の目が細くなる。


「……ッ!」


 勢いを抑えようとしたが遅かった。俺が触れた途端部屋は小さな空間に変わり、扉は実体化した疑似聖人に閉ざされる。ディナルドの罠だ。教皇がいる空間と扉を接続され、この小さな空間が本来の部屋であることに気付けなかった。擬似聖人の魔力で周囲が満ちていたせいだ。


 閉所での近距離戦か。否、俺の得意分野であることは把握しているはずだ。とりあえず扉を破壊して出るのが一番良さそうだ。


 右腕を構えたところで、一度落ち着く。厭らしい彼らのことだから、罠は二重三重に設置していてもおかしくない。逸っていた気持ちを鎮めて打てる手を探す。


『少年、恐れる必要はない。扉を開けたまえ』


 上の方から教皇の声がする。向こうから誘ってくるということは確実に罠だが、このまま立ち止まっていても教皇に近づくことなどできない。キャスにわかるように【奉神の御剣】を皇都に置いておくところからこちらをおびき寄せているのは判り切っていたが、いずれも動かなければ事態が好転しない、いわば罠にかかりに行かなければいけない状況だった。個々の能力がずば抜けている俺たちに対して彼らは悪知恵が恐ろしく効く。唇を噛みながら扉を押し開ける。


 扉の向こうの景色は一変していた。壁や天井に荘厳な絵が描かれ、前方には議会のような木製の席が並び、その少し手前に一人用の演台のような机。また、新しい空間だ。


 ここは議会などではない。咎人を裁くべき正義のみがまかり通る場、裁判所だ。俺を裁判にかけようというのか。


 正面一番奥の大扉が開き、白装束の人間たちが入ってくる。もっとも『人間』であるように見えるのは教皇だけだが。彼らはずらりと並んだ机に腰かけると無機質な声で俺に前進を促す。


「被告人、前へ。これから裁判を始める」


 中心に立つ教皇の表情は複雑、というかどうにも形容しにくかった。慈悲であり、歓喜であり、嘲弄であり、哄笑だった。しかし別に裁判を受けなければいけない理由など俺にはない。このまま教皇を斬りに走ることができる距離にいるのに、なぜこんなにも笑っていられるのか。さっき嵌められたのが頭を過り、手を出したら決定的に負ける、そんな予感がしてならない。


「お前、どういう魂胆だ」


「さっき言ったでしょう、裁判を受けてもらうだけです。ただしこの法廷での下された刑を執行するのはこの世界そのもの。君の体質など些事、この世が悪を裁くのだよ」


 つまりここで俺が教皇を斬れば人殺しになり、何らかの裁定が為されるということか。経典なんぞ読んだことがないがおそらく人殺しは最大級の悪に違いない。『世界』というのが何を指すのかはわからないが人智を超えた力だというのは確かだ。


 やはりどうやっても彼らの描いたシナリオから逃れられない。破断点も見えないために反撃も不可能。相手の切り札も分からないせいで予測もできない。形勢逆転の機会が来るまでは従い続けた方がよさそうだ。それが時間稼ぎにもなるし相手の隙を作るチャンスにもなり得る。情けないがジェイムに頼るしかない。


「分かった。だがこの裁判が正当でないと思ったら直ぐに訴え返すからな」


 教皇を睨みつけながら証言台に立つ。いままでどうにか憲兵に捕まらずに済んできたというのに、こんな異国の地で裁判を受けることになるとは思っていなかった。アイラ王国で受ければ縛り首は確定だろうからむしろ良かったのではないかと思う。


「さて、異端審問の始まりだ。君はもともと信徒ではないから破門はできないが、それなりの裁定を覚悟しておいた方がいいよ」


 そして、開廷。受けると豪語したはいいが俺はこの裁判の負けを確信していた。ルールの抜け道とかそういうものではなく、正当なやり方で完膚なきまでに彼らの望む判決が下るだろう。


 それでも俺がここに留まり続けるのは、引き返すことも立ち止まることもできないというのと別に、彼らの真の目的は俺を殺すことではないと感じたからだ。今思い返せば殺せる機会はいくらかあったはずなのに、それをしていない。本来の目的を知るためにももう少し粘ってみようと思ったのだ。


「それでは、第74回異端審問を開始します」


今回はいつもより気持ち短い話になっています。

そろそろファルス皇国編も佳境に近づいてきました。今月中には次のエピソードに入りたいと考えています。

現在ファルス皇国編のアニメPVを製作中です。拙いクオリティではありますが完成したら報告するのでぜひ見てもらえたらと思います!

ありがとうございました!

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