39:父の肖像3
壁をジェイムの魔力で吹き飛ばして突貫する。移動の時にも魔力を消費してしまったし、戦えるのはせいぜい2分。この数ならそれだけあれば十分か。狭い部屋の中を、刃渡り20㎝程のナイフを握って駆けまわる。致命傷になる魔術のみを躱し、末端のものは全てその身で受ける。魔術師としての戦い方ができない以上、この魔術至上主義の世界では身体を張った戦い方しかできない。
一方ジェイムは【魔弾】も【灼炎】も魔力を放出することで霧散させ、例の悪趣味な短刀で無慈悲に敵を抉っている。護衛を難なく捌ききり、残すは奥に座る幹部のみとなった。大規模ギルドの幹部らしく、落ち着いて座っている。敵が眼前にいるというのに、魔力を活性化すらしていない。
「取引をしないか?」
彼は顔色を変えずに言った。命乞いにしては落ち着き過ぎているが、取引をするには唐突だ。ともかく俺たちと戦うつもりは少しもないようだった。
「お前たち、『貧民街の狂犬』と呼ばれる殺し屋だな。俺たちの依頼を受けてくれれば俺の懸賞金の倍の報奨を出そう」
ちらりとジェイムを見ると、警戒はしているものの話は聞くつもりのように見える。俺も無駄に魔力を消費したくはない。身体強化を解除して短剣を少し下げる。
「話を聞こう。内容によっては考える」
「何、話は簡単だ。正面からかち合っている我々を避けて反対側の敵将を討ってほしい。相手の顔は知っているから殺すなり捕縛するなりして連れてきてくれれば報酬は出そう」
命惜しさに言っているのかはわからないが、どちらにしろ両方に利益があるのには変わりはない。受けない理由はないように思える。それはジェイムも同じようで、目を合わせて意志を通わせる。
◇◇◇
「ふふふ、得してしまったね」
結果から言えば楽勝そのものだった。もともとギルドというのは資金力と物量で相手を殴るものだ。個々の戦闘能力は殺し屋や傭兵には遠く及ばない。だからこそ俺たちを利用しようと思ったのだろう。しかし、ジェイムのことだから報酬を受け取った直後に幹部も殺して懸賞金まで攫おうとするものだと思っていたが、思うところでもあったのだろうか。
「富める者はそんな強欲な真似しないものさ」
澄ました顔でジェイムが笑う。普段は報酬の高い者から順に殺していくくせによく言う。確かに過ぎた贅沢をしなければ半年は暮らしていける額だ。これだけの金を一瞬で用意できる辺りさすがはギルドといったところか。
雨はかなり弱くなっていて、油紙を出す必要がなくなった。安いものではないから使わないに越したことはない。二人でフードを被って雨降る街を進む。
「ん、あれって子供かな」
ジェイムの指差した方を見ると、水路の縁に引っかかるように男の子が流されかかっていた。つい数刻前に見た俺の夢とそれはとても酷似していて、無視する気にはとてもなれなかった。
息もまだあるようだ。とりあえず水路から引き揚げてやり、肩に担いで根城まで連れて帰ることにした。痩せ細った身体を見る限り、孤児か、親がいたとしても相当悪い環境での生活だろう。俺たちの方が幾分かまともなはずだ。
歩くたびに身体のあちこちに受けた傷が痛む。俺の身体で成しえるのはその身を砕き、死を辞さない特攻で敵を屠る悪鬼のような血みどろの戦いだけだ。少ない魔力が消え去る前に全てを殺し、それができなければ死ぬ。そんな阿呆のような命の繋ぎ方をしているせいで、俺の身体は痛みに慣れてしまった。このような人間にはなってほしくはない。
「しかしアールハイトもお人好しだなぁ。こんなことは言いたくないが、君にこの少年が救えるのかい?」
そう言われると何も言い返せない。道を間違え続けた俺が果たして肩上の少年に正しき道を示せるものなのか。ジェイムは決して嫌がらせでこんな事を言っているのではない。本当に少年と、そして俺の身を案じているのだ。
しかし死ぬよりは幾分いいだろう。もはや虫の息という子供であろうと、生きている限り生への渇望と、そして死の恐怖からは逃れられない。戦地で命を削りに削っている俺も、ついぞ恐怖が消え去ることはなかった。曲がりなりにもこの歳まで生き延びた子供ならなおさらだろう。死んだことはないが、死にそうな絶望感というのは年端も行かぬ子に味合わせたいものではない。
「こいつは昔の俺だ。でも、俺がいれば同じようにはならないだろ。生き抜く術と、ガキの俺にはなかった教養を叩き込んでやれば、もしかしたら軍で出世できるかもしれねぇ」
「なるほどねぇ。……まあ君のおかげで大金も手に入ったことだ。私も協力しよう。軍属は賛成できないがね」
きっかけは一時の感傷だ。しかし、子として育てる以上俺のような人生は歩ませたくない。ただの自己満足だ。この少年にはその犠牲になってもらうことになるが、きっと良い方へ向かう、そう信じたい。
「それで、名前はどうするんだい? 彼、きっと名前もないだろう」
「そうだな、『レイ』なんてどうだよ? 未来を拓く『光』だ」
俺とてこれくらいの言葉ならば知っている。残念ながら綴りは分からないが。いい考えだと自画自賛して顔が緩んでいたのか、ジェイムが腹を抱えて笑う。
「いやはや、君はセンスがあるなアールハイト。この腐った下水道のような街に射す光、悪くないじゃないか」
◇◇◇
これより二年の後、アールハイトは長年の強引な戦闘が仇となり息を引き取ることとなる。養子も概ね健康に成長し、一人で生きていくことも叶うような、そんな時分だった。その夜は、煌めく月明かりがアイラ王国北のバーウィック湾に道のように伸びていたという。
「……と、私が知っているのはこれくらいかな。しばらく相棒として戦ってはきたが、家族ではなかったからね」
養父が何を思って俺を拾ったのか、そんなことはいままで知る由もなかったし、知るつもりもなかった。なにせ俺が養父にきちんと教えてもらえたのは護身術という名の殺しの技だけ。というか彼に教えられるのはそれくらいだったのだろう。本もただ押し付けられただけだったし。拾ってくれたことは感謝しているが、結局俺は養父アールハイトと寸分違わぬ人生を生きてきた。
不意に頭を過ったのはリリィのことだ。俺が養父の写しだというのなら、リリィを幸せにすることなく、俺は死んでしまうのではないかと。どうあがいても人を殺すことから抜け出せない血みどろの修羅の道、そこからリリィを救い出すことは俺には無理な話なのかもしれない。
「まあ、似ているといってもね、君とアールハイトには大きな違いが一つあるのさ」
俺の心を読んだようにジェイムが言う。今更何を言っても仕方がないが、この男、相棒の養子を殺そうとしていたのか。どうせ『仕事だからね』だとかなんとか言うのだろうが、こちらとしては少しくらい手加減してほしかった。
「少なくとも君は親というものを持って育っている。追いかけるべき、もしくは乗り越えるべき最も近くて高い背中を、君は持っている。だからこそ君は、今こうして異国の地を歩いているのではないかな?」
ジェイムの話は、俺にはよくわからなかった。おそらく俺を励まそうとしてくれていたのだろうが、きっと年の功というやつなのだろう。とりあえず目標は大切だと覚えておいて、きちんと意味が理解できた時には、偉そうな面でリリィにでも受け売りしてやればいい。
「ああそれから、君はアールハイトよりは長生きしそうだ。君の前では温和で冷静な父親のようにふるまっていたようだが、戦いっぷりは君の数倍強引だったからね。あれでいてよくあの歳まで命を落とさなかったものだよ」
確かに、俺のイメージする像とジェイムの話す像には少し違いがあるように感じていたが、そこの差か。俺の戦い方も大概乱暴だが、そこも似たのだろうか。
時間というのは話しているとすぐに過ぎていくもので、気付けば教皇庁の裏手に到着していた。それなりに長い昔話をしていたのだ、当然か。白亜の要塞は、眼前にそびえ立っていた。
無駄に長くなりそうだったので強引に切ってしまいましたが、ショートエピソード、「父の肖像」はおしまいです。レイの原点というか、そういうものを少し知ってもらいたいなと思って入れたエピソードです。
次回から本編(これも本編ではあるのですが)に戻ります。ハイネという仲間も加わりさらに加速していく戦いの行方、ご期待ください!!




